クリスマス特別編.『その日、朝から景色は白かった』


<12月24日 AM9:28  郊外、円邸執務室>

 窓からまぶしい朝日が差し込んでいる。この辺りでは珍しく降った雪が、太陽光を浴びて輝いている所為だ。
 その光を背中から受け、屋敷の党首は難しい顔をしていた。円仁人。若き資産家である。
「15時より支社の視察、16時になると同時にヘリポートまで向かい・・・」
 正面に立つこの男は、円の秘書であり人生においても右腕といえる存在、倉内総。9時ちょうどにこの部屋に入ってきてから、短い朝の挨拶に続いて昨日までの事業報告をつらつらと語り、手紙や書類の説明および返答方法、そして本日のスケジュールについて淡々と話している。
 一度も咬むことのない明瞭とした言葉の羅列を聴き始めてもうすぐ30分になろうというとき、とうとう円がキレた。執務机に置いてある呼び出し用の鈴をリンリンと鳴らし、倉内の言葉を途切れさせる。邪魔をされた倉内は、それでも無表情を保ったまま手帳から顔を上げた。
「どうしました? 今日は分刻みで動いてもらわないと大変だと最初に・・・」
「お前なぁ! 総っ! 今日がなんの日か知ってるか? イヴだぞ、イヴ! そんな日に、なんだってこんな仕事ばかりさせるんだ!」
「・・・仁人様は、いつからクリスチャンに?」
 奇麗な顔を傾げられるが、円はそんなものにうろたえない。むしろ怒りを増して、ダムダムと机を乱暴に叩く。
「俺の神は俺だ! 別にキリストの誕生祝いをしたいわけじゃなくてだな!」
「ああ、安心してください。19時から20分だけ、カスミ電工主催のパーティに出席を予定してまsから」
「違ーう! 俺は、恋人との甘い一夜を所望する!」
「お相手が?」
 さらりと返され、円は口も動きも止めた。そんな主人を前にして、倉内が口元だけの笑みをうっそりと浮かべる。
「いつの間におできになられたのですか? それなら私も配慮いたしましたのに。さあさあ、どこのどなたです? 早く私にも紹介・・・」
「ごめんなさいいません許して下さいサボりたいだけです」
 項垂れる様子に、倉内は満足して手帳の続きを読み上げた。夜の12時ちょうどまでびっちりと埋められたスケジュールを早口で言い切り、パクリと閉じる。
「あ、あと一つ。帰宅は一人でしていただけますか?」
「は? なんで。お前も一緒じゃ・・・」
 口にしてから、円は後悔した。倉内の鉄面皮が、一瞬だけ崩れる。
「ホテルのスウィートを一つ、抑えてあるもので」
 そういえば、屋敷でもう一人雇っている秘書見習いは、午後から休みを取っていたような気がする。多忙な倉内の代わりに、そいつがチェックインするつもりなのだろう。
「総、てめぇ・・・」
「あ、もう時間ですね。先に車まで行ってますので、早いこと用意して出てきてください」
 口を挟ませない速度で言い、倉内は頭を下げた。そして歯噛みする円が椅子に座ろうかというときに振り返り、とどめの一撃をお見舞いする。
「そうそう、ホテルの支払いは仁人様のカードでさせていただきましたから」
「は?」
「素晴らしいプレゼントをありがとうございます、兄さん。メリークリスマス」
 にっこりと笑う弟が出てから随分経って、円は怒りの叫びを上げた。


<12月24日 AM10:05  某大学、正門前>

 始めてくる場所というのは、否応なしに緊張を強いられる。慣れ親しんでいない場所で自分は明らかな異分子で、少しでも楽になりたくて豊橋は何度もバス停の方を見た。二年ぶりの雪が降った町は想像よりは寒くなく、それでも溜め息を吐けば空気は白く濁ったものに変わる。
 10時に正門前と約束したはずなのに、一体どうしたのか。時間に正確な金森が遅れるなんて、何かあったのかもしれない。
 あと5分待って来なかったら移動しよう。そう思って見た腕時計に、ふっと陰が射した。
「かな、」
「君可愛いね。高校生?」
 顔を上げた先にいたのは、長めの黒髪をなびかせた、ホストのような男だった。びくりとして身を引きかけるのを、精一杯の虚勢で止める。
「か、可愛いって・・・俺、男なんですけど」
「うん? そんなん、百も承知だぜ。つーか制服着てるしな」
 これってどこの? なんて訊きながら当然の流れのようにピーコートの前を開けられ、目を丸くした。新手の恐喝なのかと思い、肝を冷やす。
「あ、の・・・俺」
「ありゃ? なんか俺ビビられてる? 安心してよ、怪しい男じゃないからさあ」
 そんなこと、コートを捲られたまま言われても説得力がない。その辺りの雪でも投げて逃げてしまおうかと思っていたら、突然男が横方向に飛んだ。そのまま雪の上を数メートル転がって息、動かなくなる。
 ぽかんと見てから視線を戻すと、男と入れ替わりにそこへ現れた小柄な青年がそこにいた。どうやらこの人物がホストを蹴り飛ばしたようで、ダッフルコートの前をぱたぱたと叩いて身なりを整えている。そして固まっている豊橋に目を向けると、ぎこちなく笑った。
「大丈夫か? なんか、変なことされなかった?」
「えっと、あ・・・その」
 寧ろ、今の一幕の方がよっぽど心臓に悪かった。うまく言葉にできないでいたら、青年は眼鏡を押し上げて申し訳なさそうな顔をした。まだ寝たままの男に目をやり、頭を掻く。
「あの人も、ただの変態なだけなんだけど・・・ってこれフォローにならないか。てか、俺があの人のフォローする必要なんかないっていうか、あーうーん・・・」
 基本的に慰めるという行為が苦手らしい。二人して言葉を濁らせあっていたら、遠くから豊橋を呼ぶ声がした。はっと顔を上げた先に、三人の人物が目に入った。
「金森!」
「豊橋。聞いて聞いて、この人僕の尊敬する御門さ・・・っ」
 どすんとぶつかるように抱き付かれ、金森は雪で滑りそうになりながらもその衝撃に耐えた。横にいた二人も、恐らく眼鏡の人も驚いた顔をしていると思う。そう感じたが、豊橋は金森から体を離そうとしなかった。
「ど、どうしたの豊橋? あ、怒ってるの? ごめん、ちょっと色々あってさあ・・・」
 宥めるように背中を叩くが、反応がない。どうしようと考えあぐねていたら、眼鏡の青年が雪まみれの男を引きずってやってきた。
「その子の友達? なんかこの人が絡んでてさぁ」
「絡んでた?」
 急に目を細め、豊橋を軽く引き寄せながら低い声で問い直した。その冷たい声にきょとんとしたホストが、肩をすくめて頭を振る。
「ち、違うぞ少年! 俺はその子の制服を大野に着せたら似合うだろーなーとか思ってただけで・・・」
「はあ?」
 眼鏡の人のドスのきいた声に、場の空気が冷えた。どうやらこの人が大野というらしく、ホストの襟元をクロスに締め上げている。
 その妙な空気をものともしていないのはただ一人、御門と紹介された男の隣りにいる男だけだ。無垢な顔で豊橋に近付き、頭を突付く。
「大丈夫? 伊部さん、いい人だよ?」
「そうそう、外見は嘘臭いけど、妙に努力家なところもあるし」
「いきなり褒めんな、カマ王子」
 全員が口々に話を始めてしまった所為で、収拾がつかなくなる。それを大野がなんとかしようとしている中で、金森は必死に豊橋の気持ちを落ち着かせようとしていた。
「ね、顔上げて。怒ってるなら、謝るから」
「・・・怒ってない。怒ってない、よ」
 ちょっと、恐かっただけだ。金森が送れてきたのも、変な男に声かけられたのも、それを飛び蹴りで場外に追いやった男も。
 でも、それが一人でいた心細さに起因したものだと知られるのも嫌で。豊橋は、ここが人の行き交う正門だというのも忘れ、暫く抱きついたままでいた。


「やー・・・可愛かったね、あの高校生。付き合ってるのかなあ?」
 ぽややんとした声に、御門は去っていく二人を見ながら頷いた。
「あの空気は間違いなさそうね。いいわぁ、初々しそうで」
 妙な女言葉の隣りで笑うのは、その恋人の春樹だ。平凡な顔立ちだが人に好かれるという、不思議な魅力の持ち主。今日もまたそれによって痴漢に遭遇したのだが、そこを金森が助けた。といっても間に割り込んだ程度だったのだが、後に合流した御門と二人して感謝した。金森にしても、憧れの人物に会えて嬉しかったようだ。
「春になったら、また会えるかしらね? ここが第一志望って言ってたし」
「じゃああの子とも話せる? 小さくて、可愛かったぁ」
「小さい方はここ志望じゃないって言ってたよ」
 横槍を入れる声に顔を向けると、大野が雪を払いながらやってきた。その少し後ろで、伊部が半分ほど雪に埋まっている。
「俺は違うって言ってたし。残念だったね、名取」
「えぇー。大野だけ喋るなんて狡い」
「会話のうちに入らないような程度だよ」
「まあ、また会えるわよ。なんか縁がありそうじゃない?」
 春樹の手に己のを絡め、御門がくすくすと笑う。それに対して、春樹も顔をほころばせた。
「そうだね、会えるよね。だって今日は、イヴだもん」
 ねぇ、と人目も憚らずイチャつく二人を、正門を通る学生たちが顔を逸らして遠巻きに歩いていく。
 それら諸々の状況を見て、大野が大業な溜め息を吐いた。コートのポケットに手を入れ、中にある細長い箱を軽く握る。少し力を入れたくらいではひしゃげない、軽めの箱。それを握ったままちらりと伊部を見てから、御門と春樹の背中を押す。
「さ、今日は実験結果の確認だけなんでしょ? せっかくのイヴなんだから、さっさと済ませてとっとと帰りましょ」
「あれ、大野。伊部さん置いてっちゃっていいの?」
「・・・知るかよ、あんな奴」
 不機嫌顔のまま、大野はずんずんと雪道を進んでいった。


  ○大野を追いかける
  ○春樹と御門の行動を見てみる
  ○まだ金森に付き合う↓


<12月24日 AM11:37  大学生協食堂>

「うー・・・ごめん、金森! せっかく憧れの人に会えたってのに」
 むっつりと食事をしていると思っていたら、突然両手を合わせてそんなことを言ってきた。謝られるとは思っていなかったので、金森の箸からうどんの麺がつるりと落ちる。
「どうしたの豊橋。僕がそんなこと気にすると思った?」
「思わないけど、一応ケジメ。謝っておかないと、俺の気が済まない」
「ああ」
 そういえば、豊橋にはこういうところがあった。頬を膨らませて視線を逸らし、紙パックの野菜ジュースを吸い込む。そうやって気まずさを紛らわそうとしている姿が、金森には可愛く見えて仕方がない。さっきは珍しく甘えてきたし、なんて思っていたら、おもむろに視線を戻された。おっと身構えると、今度はやけに周りを気にしだした。
「あの、さ金森」
「ん? どうしたの?」
 切り出すも、どうにも口に出しにくいらしい。暫く手持ち無沙汰にストローをくるくると弄び、漸く決心がついたようだ。
「さっきはそれどころじゃなくて聞けなかったけど、金森の憧れの人ってオカ・・・」
 ばし! と鋭い音が食堂に響いたが、それは金森が豊橋を咎めたものではなく。隣りのテーブルで食事をしていた二人組の方から、聞こえてきたものだった。突然のことに、豊橋も金森も肩を跳ねさせて黙りこんだ。目配せした後でこっそりと隣りを伺い、再び視線を戻してまた見た。俳優かと見紛うような顔をした男が、席を立って怒っている。
「だから! しつけーって言ってんだろ! なんだって男二人でんなもん見なきゃなんねぇんだ!」
「でも先輩、本当に奇麗なツリーで・・・」
「そんない見たいなら一人で見に行きゃいいだろ! 俺は忙しいんだ!」
「でも今日は、」
 瞬きする間に、怒られている側が頭から水を被って呆けていた。周囲が静まりかえり、かけた方も目を丸くして手にしたカップを見つめている。しかしすぐに気を取り直し、正面の男を見据えた。
「でもでもって、うるせんだよお前は・・・」
 ぽつりとそんなことを言い、男は激しい音を上げて席を立った。それを慌てて追おうとするのを制して、一人で歩き出す。
「ちょっと待ってよ、夏威先輩!」
「うるさいバカ月。暫く頭冷やしてから来い」
 そんな捨て台詞を吐く男を、もう一人は髪からポタポタ水を垂らしながら見送った。少し浮かせてしまった腰を下ろし、やれやれと嘆息する。す、とその鼻先にハンカチが差し出された。
「あの・・・これ、使います?」
 少し遠慮がちに言う金森に、男は一瞬目を丸くした。その顔をふっと緩ませ、申し訳なさそうに受け取る。
「変なとこ見られちゃったね。高校生?」
「はい、受験の下見に」
「もうそんな時期かぁ」
 髪を拭きながら笑うのを、豊橋は少し引き気味に見ていた。それに気付き、男がくすくすと笑う。
「ごめんね、驚かせて。あの人も普段はあんな人じゃないんだよ」
「はぁ・・・」
 なんだか今日はバイオレンスなしーんによく遭遇するような気がする。金森もよく相手できるよなぁなんて思っていたら、男はハンカチを戻して立ち上がった。
「これ、ありがとう。本当は洗って返したいところだけど、追いかけなくちゃ」
「え? 水までかけられたのに?」
 言ったから、豊橋はあっと口に手を当てた。男は気にしていないようで、からりと笑ってみせた。
「照れ屋なだけなんだ。それに、僕が謝らないと先輩が謝れないから」
 じゃあね、と名前も知らない男は去っていった。それを見送って、豊橋が久し振りのように深く呼吸をする。
「なんかあの人、金森みたい。相手のことはなんでも分かってて、その上で自分が全部の負を受けるような」
「そう? 豊橋は、僕にとって不思議大発見なんだけど」
「嘘つけ」
「本当だよ。・・・で、話の続きは?」
「話? ああ、もういいや。大学って色んな人がいるみたいだし」
 俺って結構普通の部類なんだな。なんて思いつつ、残りのジュースを一気に飲む。それを見ながら、金森はにこりとした。
「この後どうする? どこか行きたいところでもある?」
「え? もっと回ったりしないのか?」
「うん、もう平気。今日はここまでの所要時間とか試験会場を知るのが目的だから」
「でももっと、雰囲気とか・・・」
「そういうのは入ってから。ね?」
 余裕のある人間の台詞だ。しかし豊橋は金森の努力を知っているので、厭味だとは思わない。
「俺は特にないよ。てか金森、最初からどこか行く予定だったんだろ。午後丸々残るような時間に待ち合わせたってことはさ」
「へへ、バレた?」
 カラカラと笑い、金森は両肘をテーブルについた。そして少しだけ乗り出し、豊橋の目を窺う。
「今の二人も言ってたけど、この近くで大きなツリーが飾られるんだ。見たくない?」
「え? 見たい見たい! 早く行こうぜ!」
「あ、でも一番奇麗なのはライトが点灯する夕方以降だから・・・」
 早く早くと急かす豊橋を宥めながら、金森は内心でほっとしていた。さっきの男のように、男同士で何を、なんて言われなくて。
 ハンカチを貸したのは、ちょっと共感するものがあったからだ。話題のツリーだと聞いたとき、金森は即座に豊橋と見たいと思った。いや、見せてあげたかった。
 あの人はあれで幸せなんだろうか。気持ちに答えてもらえないのは、辛いだろうに。
「金森? 何ぼけっとしてんだ、行こうぜ」
「あ、うん」
 豊橋に促され、金森はトレイを手に立ち上がった。さっき二人のいた机をちらりと見て、その濡れた部分に心を痛める。
 今日は自分たちの同類によく会うような気がする。多分豊橋は気付いていなかっただろうが、間違いないだろう。御門がそうなのには驚いたが、そんなことくらいで尊敬の念が薄れることはない。逆に、もっと話を聞いてみたくなった。
「早く来いってー。いい加減怒るぞ?」
 少し離れたところで豊橋が叫んでおり、金森は小走りに近寄った。本気で怒っているのではないだろうが、不機嫌そうなのがまた可愛い。できればこのままずっと続けていければいいのだけれど。
 しばしの制服デートを楽しみ、夜になってイルミネーションの奇麗なツリーの前でそんなことを祈ってみる。
 無邪気にはしゃいでいる豊橋の姿に和んでいたら、凄いシーンに遭遇した。恐らく、今日で一番の衝撃だったんじゃないだろうか。人ごみに紛れて、男同士がキスしている。その内の一人と目が合ってしまい、危うく声を上げそうになったとき。
「金森ー。あっちに氷像があるってさー」
「う、うん。今行く!」
 ばっと目を逸らして、金森はその場を離れた。今日は一体、どういう日なんだろうか。
「どうした? 金森、顔赤い」
「そう? ツリーの電飾の所為じゃない?」
 誤魔化しながら、金森はさっきのキスシーンを思い返していた。戸惑ってはいたが、幸せそうな顔が目から離れない。
 羨ましいが、自分にそんな度胸はない。でもちょっとだけ。そう思い、金森は人ごみの中で豊橋の手を掴むことに成功した。


  ○浅月と一緒に夏威に謝る
  ○豊橋と金森のストーキングを続ける
  ○謎のキスカップルを追う→第二部




続。

12.24 12:15up