「レイジロ」 少し鼻にかかる高い声に振り向くと、ケバいというよりは重い化粧をした顔と目が合った。 いや、これは目が合ったと言えるのか? 付け睫毛がバッサー生えてる所為でどこが本当の目だか分かりやしない。眉間に皺が寄るほど目を細めてその視線を合わせようとする俺の額を、これまた長い付け爪の付いた指が小突いた。 「何ガンたれてるか。コレやるから、喜んで受け取れ」 「お、サンキュ」 えらく抑揚のない声で喋るこいつは、学部内でも浮いている女だ。 ひらひらのレースが付いているくせに、まるで夜中みたいに全身が真っ黒け。靴は底が厚くで歩くたびごつごつとうるさい音がする。いわゆる、ゴスロリってやつだ。 そんな格好をしている典子(本名だがそう呼ぶと怒る)と俺は、意外にも仲がいい。というか、実は幼馴染だ。今は化粧で分からない元の顔を、多分俺は長子の家族以外で知っている貴重な存在だ。 「毎年悪いねぇ。今回は何?」 「チョコタルトに今年流行のキャラメルクランチを載せてみた。美味いぞ」 ビーズの付いた睫毛をぱしぱしとさせ、典子は黒い唇でそう説明してくれた。こいつの作るチョコレートは、いつも美味いんだよな。 「マジでありがとうな。還ってからゆっくり喰うわ」 「うむ」 つんと尖らせた唇で頷き、典子は手首にかけていた黒い日傘を開いた。それを肩にかけ、帰るのかと思ったら首を傾げて俺の上から下までをゆっくりと眺めた。なんだよ、幼馴染暦20余年にして漸く俺のかっこよさに気付いたのか? 俺に惚れたんならまずお前の素材を活かすような化粧とスタイルを模索して・・・ 「今年は僕のチョコ一つだけか? 他はどうした?」 「・・・」 「レイジロ?」 「・・・訊くな」 「ぅむ?」 「訊かないでくれ・・・っ」 ぐふぅ、と漫画だったらきらきらを背負っているような劇的な倒れ方をする俺を、典子は無表情に見下ろした。わかってはいたが、やはり恥ずかしい。さっと立ち上がると、何事もなかったように俺は鼻で笑った。 「今年はお断りしたのさ。俺には全ての女を幸せにすることなど・・・」 「いつも義理ばかりじゃないか」 幼馴染というだけで、こいつはかなり遠慮がない。その癖、俺が本名を呼ぶと怒るのだから手に負えないときたもんだ。 げんなりした顔で溜め息を吐くと、こいつを信奉するコアな連中なら卒倒したであろう仕草で典子は首を傾げた。ああもう、確かにお前は可愛いよ。ネット界のブログだけで全世界にファンがいるのも頷けるくらいだ。 「そうか、とうとうあのバカ女たちに愛想を尽かされたのだな」 「なっ」 人の友人たちになんてことを、そう言おうとしたが、俺は中途半端なところで口を噤むことになった。驚くほどの速さで閉じた傘の鋭利な先端を、唇までわずか数ミリという距離で突きつけられたからだ。 目を見開いたまま唾を飲み込む俺の目前で、傘はまたパっと開かれた。それを優雅な動きで再び肩にかけ、くるくると回す。 「お前の見た目に惹かれて寄ってきて、誘われればいつだって足を開く。だのにレイジロがちょっとでも付き合いが悪くなったというだけで簡単に手の平を返すのだから、バカ女と言ったんだ」 淡々とした口調で、それでも微かに怒りが含まれているのが分かった。そういえば、他の女といるときに典子とすれ違うと、こいつは目も合わさずにどこかへ行ってしまうことがあった。俺の知らないところで、何かしらの中傷を受けていなかったとも限らない。 「間違っているのなら謝る」 「いや・・・その通りだ、ごめん」 「うむ」 典子はうっそりと笑った。その顔だけは、俺の知っている幼いものだ。 「てか俺、付き合い悪いか? そんなつもり全然・・・」 「一緒にいても目が誰かを追っている。セックスの最中もたまに何かを思い出す素振りをして上の空だ。・・・これが僕の聞いた女の子たちの言葉だ」 「・・・へぇ」 「心当たりでもあるのか?」 典子の言葉に、俺は言葉を滞らせた。そして一瞬の間を置いて「ない」と答える。 ないよ。あるわけがない。あったら、まずいんだっての。 目を逸らした俺の前で、典子が首を傾げる気配がした。典子は勘が鋭い。しかし今回ばかりは、俺が何に対して悩んでいるのか気付きはしないだろう。何故なら、俺だってよく分かっていないからだ。 分かるわけがない。分かりたくもない。 認めたくななかったが、無理やり自覚させられた。 俺は、友人の男に対して現を抜かしている。 「しゅうと」 迷った挙句、結局先の典子のように俺は少し上擦った声でその名を呼んだ。尤も、俺の場合は典子と違って地の声が高いのではなく、若干緊張していた所為なのだが。 前を歩いていた男は、背を向けていたときはびくりと肩を跳ねさせたくせに、振り向くときには何事もなかったかのような無表情で俺を見た。 「染谷か。どうした?」 にこりともしない。しかし僅かながら眉を下げるようにしているが、これが吉井の笑顔だ。吉井秀人。俺の、友人。 典子と分かれて暫くののち、進む先に吉井の姿を見つけた。大きめの紙袋を抱えるようにして持ちながら、吉井は疲れたような顔で駅に向かっていた。今日はバイトのシフトも入っていないはずなので、このまま帰るのだろう。 去年の俺ならあの時点で駆け寄って声をかけるどころか背中を叩いているはずだが、最近それができない。悶々と手を上げたり下げたりしているうちに、吉井は駅に着いてしまった。そこまできて、俺はなんとか声をかけた次第だ。 「しゅうと、今帰りか?」 俺の声、掠れてないだろうか。やけに喉が渇くような気がしたが、無視して問うた。吉井が、一つ頷く。 「ひさぶりに行っていいか?」 一瞬迷うような間を空けてから、吉井はもう一つ頷いた。なんだかほっとして、俺は吉井より先に改札を抜けた。 そして人の少ない車両で並んで座り、気になっていたことを口にした。 「どうしたんだよ、その荷物? 夏休み前日の小学生みたいだぜ?」 「は? 何言ってんだ、お前もだ・・・ろ?」 言いながら吉井は俺の荷物がうっすいショルダーバッグだけだということに気付き、言葉を濁らせる。俺の方はというと、吉井の持つ紙袋の中身に気付いて打ちひしがれたように目を閉じた。チョコレートだろ、これ全部。 「お、お前貰ってないのか? いつも、俺以上にいっぱい・・・」 はは、珍しくうろたえてやがるよ。そりゃな、いつもは俺がもりもり貰って、お前の家に置きに行ってるくらいだもんな。まさか今年の収穫が一つとは思わないよな。 「なんか俺、女の子に嫌われちゃったみたい。・・・しゅうとはいつもより多くないか?」 「そーなんだよな。俺は一番多くて5個だったから・・・」 本当はもっとあっただろう。でもこいつは奇麗な顔をいつも不機嫌そうにさせているから、あげる勇気が湧かないまま泣き寝入りする女子が後を断たないのだ。 「お前最近妙に色っぽいからじゃね?」 「・・・は?」 「あ」 な、何言ってんだ俺! 「あはは、冗談冗談。驚いたか?」 「あ、ああ、冗談な。驚かすなよ」 お互いに乾いた笑いを交わし、どちらからともなく目を逸らした。すげ、気まずい。せっかく普通に喋れたと思ったのに。 俺と吉井は、年始早々気まずい間柄になった。俺は記憶がないのだが、どうも、え、エッチ、をしてしまったらしいのだ。本当に、俺に記憶はないのだ。本当だ。 目を覚ました俺は責任を取りたいからと言って交際を迫ってみたものの、吉井の控えめな笑いに流されてしまった。色々気になったことがあったから追求したのに、未だ真相は謎のままだ。俺たちの間に何があったのかは、吉井しか知らない。 「なんかな、俺最近付き合い悪いらしんだわ。一緒にいても上の空だーってよ。典子に言われた」 「ノリコ?」 「ああ、黒野燕。ツバメ姫だよ」 典子は家族や俺の前以外ではそう名乗る。大学のテストぐらいは本名で書いているだろうが、吉井にはツバメ姫の方が親しみ深いだろう。 「そか、お前ら幼馴染なんだったか」 「そ。今年はあいつからのチョコだけだったわ」 ちょうどその時に電車が停まり、俺たちは揃ってホームに降りた。そこから特に中身のない話をし、吉井の家へと向かう。 ほら、やっぱり何もなかったじゃないか。俺が吉井を気にしているなんて勘違いだ。だって俺たちは、何もなかったのだから。 「染谷?」 知らぬ間に足を止めていた俺を、吉井が振り仰いだ。その顔に、ある映像が頭をよぎる。ここ最近見ては飛び起きる、夢の中で繰り返される吉井の痴態。もう、頭がおかしくなりそうだ。 「か、帰るわ」 「え?」 虚を衝かれたような顔をして、吉井は口を中途半端に開けた。その後ですぐに常態を取り戻し、微かな、本当に微かな笑みを以って俺を引き止めた。 「ちょっと待ってろ」 言うなり吉井は荷物を持った不安定な姿勢で玄関を開き、そこに紙袋の中身をぶちまけた。そしてがさごそとやっていたかと思うと、その内の一つを手に俺の方を向いてシニカルに口端を持ち上げた。 「一つやる。幼馴染のだけじゃ流石に虚しいだろうからな」 「なっ・・・」 そんな情けはいらん、と叫びそうになったが、俺の手は主人の意志に反してそれを受け取っていた。吉井がくすりと笑い、俺も苦く笑う。 「ありがとな。でも貰ったやつくれるなんて、お前もワルだな」 「付き合っちゃ捨てるお前よりはましだよ。ほら、帰った帰った」 来客があるから、と吉井は思い出したように言い、俺がさよならを言う前に扉を閉めた。相変わらず、無駄な時間を惜しむ奴だ。 しかし、なんとなくとはいえついてきて正解だった。思わぬ収穫に眉を下げ、俺は電車に乗るなりその包みを開いた。 まだ発車までは時間がある。待つ間に食べきるのは勿体ないかなーなんて思いつつ、可愛いというよりは若干シックな感じに巻かれた包装紙を剥いだ。顔を出したのは、俺の大好きなブランド店のチョコレートで。俺はまた、悦びで妙な声を上げてしまうところだった。 せっかくなので、早々といただくとしよう。にんまりと口を弧の字にし、一つを口に放り込んだ。 あぁ、美味い。表面は普通のチョコレートなのに、中には舌で上顎に押し付けるだけでじわっと染み出しそうなラム酒たっぷりの生チョコに、これまた鼻をツンと抜けるほどの芳香を持ったラムレーズン。これを一口でも食べてハマらないやつなんて、いないんじゃないだろうか。 吉井にもこのチョコレートの素晴らしさは、奴の耳にたこができるくらい教えている。おかげであいつもこの味にハマり、たまにどちらかが買っては取り合いどころか奪い合いになるような状況を作り出していた。 ていうか、俺ってばそんな悲愴な顔をしていたのか? 吉井が珍しく執着するようなチョコレートをこうも簡単に譲ってくれるなんて。 全然貰えなかったのは残念だけど、これを一箱分悠々と喰えるなら、そんなことどうでもよくなってくる。 なんて幸せなのか不幸せなのか分からないことを思ってもう一つ、と摘み上げたところで。 俺ははたと気付いて先ほど剥いだ包装紙を見た。 店名、書いてないよな。 「・・・・・・」 いや、ないないない。 あいつが教室かどっかで喰ってんのを誰かが見て、それを本当にただの偶然で吉井が手にしたのかもしれないし。 でもあいつ、大学に菓子なんて持ってくるような人物だっただろうか。 発車を知らせるベルが鳴る。 走って出て、改札を戻り、あの鉄面皮に真実を明かさせるべきなんだろうか。 この長いようで短いベルが鳴り終わるまでに、俺は決めなくてはならない。 終。 09.05.03 |