1.

 横断歩道の信号が青になっても、その少年は足を動かそうとしなかった。
 休日だというのに都心にあるこの町は人が多く、動かない少年を邪険にしつつも気に留める者はいない。
 万が一注意して見ていたとしても、忘れ物や用事などで戻ってこない限りは気付かないであろう。この少年が、もう二時間もここでこうしているなんて。
 彼にしてみれば、そのくらいの時間をただ立っていることなんて苦痛でもなんでもなかった。高校に入ってから一年と二か月、ずっと虐められ続けていたことに比べれば。
 きっかけは訳の分からないいいがかり。クラスメイトの無視をしたとか睨んだとか、少年には心当たりのないことばかり。
 世相的に虐めへの批判が厳しい今、金銭の要求や目立った暴力はない。すれ違う際に肩をぶつけられたり、教科書を違う場所に移されていたり。小さな嫌がらせは少しずつ少しずつ少年の心を掻き、今や大きな傷へと変化していた。
 もう疲れた。
 下駄箱の中でビショ濡れになっている靴を見つけたとき、そう思った。
 青信号が点滅し、赤に変わる。もう何十回も見てきた光景を最後に、少年は目を閉じた。
 足を出そう。このまま死んでも、構わないから。
 信号の変わり際で早足の人たちに紛れて、足を踏み出す。ぶつかるまでは、きっと誰も気付かないだろう。あと少しで真ん中に出るはず。そう思った瞬間、一つの足音が近づいてきた。
 もう赤信号だろうに。一体、どれだけ急いでいるのか。
「見つけた!」
 がしりと手を掴まれて、思わず目を開けた。目に入ったのは、明るい茶色に染められた髪の毛。誰だろうと考えるより先に手を引かれ、横断歩道を渡りきったところで後ろ頭を猛烈な風が撫でた。横目で見ると、一台のトラックがもの凄い速さで走りぬけていった。
「うおー、危なかったなお前。ちんたら歩いてっからだぞ」
 トラックを見送った後で、男は少年に向き直った。細身の薄い緑色をしたサングラスをついと下ろし、その上からまじまじと顔を見てくる。そして両肩をバシバシと叩いて、顔を近付ける。
「なあお前、AVに出る気ねえ?」


 半ば強引に連れて行かれた先はホテルの一室で、入った瞬間スタッフと思しき連中に取り囲まれた。といっても注目されているのは男のほうばかりで、少年は剣幕に面食らって身を小さくした。
「ちょ、ちょっ木坂さん! あんたこんな大変なときに一体どこへ!」
「突然前触れもなく出て行くくせ直してくださいよ!」
「もう29だってのに、どんだけ落ち着きが足らないんだ!」
「まあまあまあ、落ち着いてよみんな。それに長峰さん、俺はまだ28」
 木坂と呼ばれた男は両手を前に出して揺らすと、自分が責められているというのにあっけらかんとして少年を前に押しやった。詰め寄っていた三人のスタッフがそれに気付き、揃って口を噤む。
「じゃ、じゃーん。新しい子連れてきたぜえ」
 三方から見つめられて、久々の視線に緊張する。その中でも一番偉いらしい長峰という男が少年越しに木坂を見て、口を開いた。
「この子、どこの事務所?」
「知らね」
「・・・年は」
「知らね。高校生ぐらいじゃね?」
「・・・名前は」
「だからさあ、そこで拾ってきたんだって。ピチピチの素人。元々こういう企画だった訳だし、結果オーライだろ」
「あのなあ!」
 長峰の怒鳴り声に、少年の肩がびくりと揺れる。
「今回のは、素人ってことで新人をデビューさせようって企画なの! それを本当の素人使うなんて・・・」
「いいですよ」
 控えめな少年の声に、長峰の言葉が止まる。後ろの木坂は驚いてすらいないようで、な、などと同意を求めていた。
 中でも若そうな男が軽く腰を折り、少年と目を合わせる。
「え、と・・・俺らは嬉しいんだけど、本当にいい訳? 何されるかちゃんと分かってる?」
「まさか木坂さんに弱み握られてるとか? ならこの人すぐ忘れるから逃げたほうが・・・」
「うーるーせーえーなあ」
 木坂が間延びした大声を出し、少年の背中をぐいと押した。三人が避けてできた間を通ってベッドに向かい、そこに腰を下ろさせる。
「いいじゃん、やるって言ってんだし。それとも、今から他の子捜すの?」
 その言葉に、長峰は諦めたのか額に手を当てた。渋々といった様子で残りの二人に指示を出し、自分はカメラの準備を始める。
 それらを見て木坂は満足気に胸を張り、少年を見下ろす。
「ほんじゃま、くる途中でも言ったけど、全部俺に任せて喘いでりゃいいから」
 木坂の言葉に、少年はかくんと首を下に動かした。
 少年の自殺紛いな行動を図らずしも阻止した男は、なんでもやや有名なAV男優であるらしかった。
 今日はその男を使ってのゲイAV企画ものの撮影日で、記念すべき第一弾の相手役が突如病欠したのだという。もうホテルの部屋も押さえているし機材も確保している。今更キャンセルする訳にもいかないということでスタッフが慌しくなった際、木坂はここに来る途中で見かけた少年を思い出し、颯爽と駆けてきたのだという。突然のことに断る人のほうが多いだろうことに自信満々で行動するところには、正直敬服する。
 色々含むところがありながら見上げると、木坂はその視線に気付いてにやりとした。サングラスを外し、軽く咬んだ。
「お前、無表情だけど可愛い顔してるよな。人気者になれっかもよぉ?」
 言われて、少年は不思議な面持ちで首を傾げた。両親が可愛いと言ってくれたのはうんと小さなときだけだし、クラスではよく平凡な顔だと陰口を言われていた。本人に知られている時点で陰口ではないのだが、面と向かって言われてはいないのでそう言ったほうが正しいのだろう。とにかく、少年は容姿について褒められたことがあまりなかったのだ。
 少年は全体的に小振りな印象を持っており、中性的と言えば聞こえはいいが、悪く言えばちょっとなよっとしている。それに加えいつも俯き加減でぼそぼそと喋るため、目立ちはしないがよくも思われてこなかった。
 それが木坂の目にどう映ったのかは分からないが、とにかく好みの部類であったのだろう。まじまじと見ては、自分の勘のよさを一人で賞賛している。
 一方的に木坂が喋り続け、それに意味があるのかないのか分からない相槌を打っている間に準備が整った。カメラを挟んで、長峰が少年を見る。
「じゃあ始めようか。えっと・・・」
「名前。下だけでいいから」
 木坂に促され、少年はぽつりと言う。
「ひろ、き」
「ヒロキな。よろしく」
 正面からしっかりと目を合わされ、少年は改めてこの男が奇麗な容姿をしていることに気が付いた。


「ヒロキ、19・・・です」
 言われるまま嘘の年齢を言い、少年はカメラを見た。いいとは言ったものの、やはり始まってしまうと少し緊張する。今更だが、かなり恐い。
 その点木坂は流石に慣れているようで、少年の緊張を知りそれを解こうと近くに寄ってきた。肩を撫で、くすりと笑う。
「ヒロキくん、緊張してる?」
「すこ、し」
「少し、ね・・・」
 くつくつと喉の奥を鳴らして、お決まりのようにキスをする。そして右手で少年の左手を軽く掴み、もう片方は服の裾から中へと侵入させた。初めて触れる他人の手に、少年の眉が動く。
「もしかして、人に触られるのは初めて?」
 問いかけに、かくんと頷く。木坂がにやりと笑い、たくし上げるように服を剥いでいった。
「じゃあセックスも初めてなんだ? 可愛いね」
 営業トークだろうが、低く囁かれるとドキドキする。そのままろくに抵抗もできないまま剥かれていき、いつの間にか残るのは下着と靴下だけになっていた。心もとなさに、自然と指先が木坂の服を摘んだ。
「オナニーは週に何回?」
 触れるか触れないかの微妙なタッチで布越しにつつきながら、薄いピンク色の乳首に口を付ける。ピリ、とした感触に肩が揺れ、思わずカメラを意識する。マイクのような機材を持った男が、少年の小さな声を拾おうと動いた。
「あ、んまり・・・しない」
「しないの? だからかな、凄く感じやすいみたい」
 吸われて少し膨らんだそこを親指の腹で潰すようにこねられて、喉が鳴る。触れられていないところまで熱く火照り、余裕が消されていく。
 その様子を見て、木坂は下着を引っ張りながら少し身を引いた。指先から布地が離れ、少年の顔が不安に揺れる。
「ちょっと自分でやってみようか」
 ずるずると下着を抜かれ、手をそこへと誘導される。4、5回手伝われながらしごいて、完全に上を向いたところで一人にされた。カメラもスタッフもそこに注目しているようで、知らず興奮が高まる。
 被さった皮をずらすように動かしながら、切ない吐息を漏らした。
「気持ちいい? ちょっと剥いてごらん」
 いつの間にか上を脱いでいた木坂の言葉に促され、親指と人差し指で作った輪に挟んで下へ引く。敏感な皮膚の上をずれる感触に腰が甘ったるく痺れ、先端に透明な雫が浮いた。
「エッチな汁が出てきた。腰、もっと突き出して」
 言われるままシーツの上を滑る。追うようにカメラが動いたが、それを少年が認知する暇はなかった。今までにない気持ちの昂ぶりに、理性を保つことで精一杯だった。
 少年の口から殺しきれない声が漏れ出した頃、木坂は用意されていたローションを手の平に出した。にちゃにちゃと揉むように温め、たどたどしい動きでしごく少年の手の上からそれを纏わせた。そのまま手ごと性器を揉み込み、強すぎる刺激に少年が高く喘ぐ。
「んやっあっあ、やあぁ・・・」
 触れているのは自分の手なのに、蠢き方は自分の意思に全く添っていない。いやいやするように首を左右に振りながら、ビクビクと全身を揺らす。木坂がわざと焦らして、少年の耳元に小さく呟いた。
「イクって、言ってみ。おちんちん気持ちいい、って」
 その低さではマイクも拾えなかったであろう。少年は弱く歯を鳴らして、潤んだ目を瞬かせながら口を動かした。
「・・・お、おちんち、気持ちい・・・っい、イク、イっちゃ・・・!」
 ぶるりと全身を震わせて射精する姿を、スタッフ一同喉を鳴らして見つめた。毎度のことながら木坂のリードは目を瞠る。その気なんか全くなくても、腰が疼く心地すらする。
 射精の瞬間に手を離し、少年の性器から白い液体が腹に飛ぶのを舐めるように眺める。カメラもその視線に倣うように動き、息も絶え絶えに喘ぐ少年の顔に近付いた。
 少年の手は未だ力なく自分の性器を握っており、残滓を滲ませながらひくつくそこは限りなく煽情的だ。木坂が嬉しそうに唇を歪ませ、再びローションを手に馴染ませる。
「ヒロキくん・・・膝の裏を持って、腰を浮かせてごらん」
 始めた頃よりも更に従順になった少年がそれに従い、割れた肉の間にある窪みに指の腹を付けた。柔らかく押し返してくるそこにローションを塗り込み、押しては戻すという動きを何度か繰り返す。恐がるような、それでいて少しの興奮を隠せない少年の顔を窺い、わざと音を立てて指を動かした。
「ここ、使ってみたくない?」
 うっすらと涙を浮かべながら睫毛を震わせるその目を覗き込み、指に力を入れる。反動で開くことによって粘膜が直で擦られ、そのざわりとした感覚に少年は支配されかけていた。
「ヒロキくんが嫌ならもうここでおしまい。少し勇気を出してくれたら、きっと気持ちよくしてあげられるよ」
 指先で、ほんの入り口をくるりとなぞった。ひくりと肌が揺れ、少年の吐く息が熱っぽくなる。
「それ・・・」
「ん?」
「それしたら・・・あなたも嬉しい?」
「・・・そりゃ、勿論」
 挿入があるのとないのだったら、あるほうが格段に売り上げは伸びる。それも今回はまるっきりの素人だし、そこを前面に出していけばかなりの収益が望めるだろう。それはつまり、木坂の貰えるマージンも増えるということだ。
 そういう意味での返事だったのだが、少年は自分でも役に立っているのだと嬉しくなり、少しだけ考えてから頷いた。
「使っても、いいです」
 木坂を含む四人が驚きつつも目の色を変える。これはいい拾い物だった、と内心で舌なめずりをして。
「それじゃあ・・・約束通り、気持ちよくしてあげるよ」
 そう言って差し込まれた指を、少年は唇を咬んで受けた。擦り、広げながら指の本数が増やされていく。それにつれて少年の体は甘く溶けていき、三本の指でピストンされたときには声が止まらなくなっていた。部屋にいる誰もが、その様子をとっくりと見つめている。
「あぁ! あん、あっや、っやぁ、ん、んっ・・・」
「エッチだなあ、ヒロキくん。初めてのお尻でこんなに感じちゃうなんて」
「やあぁ・・・そこ、だめぇ・・・っ」
 こりこりと中のしこりを揉まれながら竿をしごかれ、まるで噴水のように先走りを飛ばす。今や、木坂に触れられているところが少年の全てに思えた。
「ああん! やん、も、イっちゃう・・・イっちゃう、よぉ・・・」
 がくがくと頭を動かしながら泣くような声を上げた少年をにやりと見下ろし、不意に指を抜いた。喪失感に怯えて強く締め付けたそこが卑猥な音を立てて、少年の目が疑問で揺れる。
「物欲しそうだな。太いの挿入れてって、おねだりしてみ」
 カメラがいやらしく蠢いて艶っぽい肉を映し、そして取り出された木坂のものが近付くのを横から収めた。そして少年の顔に移動して、答えを待つ。
「く、ください・・・太いの挿入れて、くださ・・・」
 その言葉に木坂は唇をべろりと舐め、柔らかくなったそこにずぶずぶと押し込んだ。
 挿入れてすぐやんわりと押し返してくるところを無視して強引に進めば、あとは楽になる。肉の壁の方からもっと奥へ引き込もうと絡み付いてくるからだ。
「あ・・・っ・・・ああぁあぁ!」
 両手でシーツを引き寄せて、少年は高い声を上げた。ごりごりと亀頭が前立腺を押しながら進み、その初めての感触に戸惑いながら精液を吐き出した。その小さな射精にもオルガズムを感じ、きゅうきゅうと中を締め付ける。木坂が苦笑しながら、少年の小振りな性器を摘んだ。
「あ、や! 今、さわら、触らないで・・・!」
「イった直後でくすぐったいか? でも、こうすると中がよく締まる」
 搾るようにゆっくりとしごかれ、少年はぞくぞくと背骨を走る快感に歯を鳴らした。
 内臓を突き動かされる衝撃に目の前で白い光が明滅する。体の奥ではひっきりなしに快感が爆ぜ、もう何度イっているのか分からないぐらいだ。
 尻を犯される悦びに打ち震える若い姿態はどこまでも淫らで、長峰はレンズ越しに見ながら木坂の見る目に感謝した。近頃は仕事だと割り切って気の乗らないセックスをしていた木坂でさえ、今日は楽しげだ。攻める口調も、途中から本気が入り混じっている。
「ひゃっあっあっあ、も、だめ・・・っこれ以上は、だめ・・・ぇ!」
「だめ? 何がだめ? 自分で動いてるの、分かってるだろ?」
 リズミカルに突き動かしながら、指先で尿道に蓋をする。逆流する感覚に、少年の体がブルブルと震えた。
 生まれては弾けて広がる快感に、少年は頭の中が洪水のように掻き回される錯覚を感じた。さっきまで死にたいと思っていたことさえ、濁流に飲まれ遠く流されていく。
 目の前がきらきらするのは、自分を組み敷いている男の髪の色だろうか。
 高く甘い声をしとどに漏らし、少年は本日何度目になるか分からない吐精をした。高いところから一気に落とされるようなオルガズム。
 矮小な世界が、壊れていくような気がした。





続。