第五話。 最初のキスで、気付くべきだった。 そうぼんやりと後悔したのは、鈍色の顔の上であっさりと追い詰められたときだった。 お互いの性器を食むような、いわゆるシックスナインの体勢で重なってすぐのこと。なんの躊躇いも見せず口にしたのにも驚いたし、何よりその舌技に仰天した。責めが的確かどうかなんて問題じゃない。兎に角動きが素人のそれとは思えなかった。 「あっや、ちょ、ちょっと待て・・・っ」 亀頭を舌先でくじられながら後孔に指を差し込まれ、私は逃げるように鈍色の顔から腰を上げた。ちゅるんと性器が口から離れ、その熱を失ったことに少しだけ残念に思ったのが悔しい。 太股の間から覗いた顔が、不機嫌そうに口を尖らせた。 「気持ちよくしろって言ったの、総だよ」 「い、言ったけど」 服を脱がすのも、キスに始まる愛撫にさえリードを取られっ放しなのが嫌で上に乗ったのに、これではまるっきりの墓穴だ。その動揺を隠しながら降りようとした私の太股を、鈍色の手が撫でた。 「あ・・・!」 ぞくりとさせる触り方に硬直した隙を突いて尻たぶを割られ、その中心に熱い舌が貼り付いた。粘膜を直接舐められる刺激に頭がじんとする。尾骨から背筋にかけてなぞられるまま、私は上半身をへたりと崩した。腰だけを高く突き上げる格好になり、顔を落とした先にあった性器を思わず掴んだ。 「そのままゆっくりでいいから擦って。総に舐められでもしたら、きっとすぐに出ちゃうから」 そうは言うが鈍色のそれはまだ余裕を残していそうで、更にデカくなるのではないかと寒気を感じた。その寒気が、ずるりと入り込む指の感触で快感に摩り替わりつつ全身に広がる。 「ぅあ! あ! んっ、やめ・・・」 「い、痛い痛い痛い。握んないで」 ちょっと笑うように言われ、悔し涙が出る。なんかお前、慣れてないか。 広げようとするその指は見た目より長いのか、置くまで届いて襞をまくり上げるようにして内側を蹂躙した。 その責めは的確に私の弱いところを探り当てては、執拗に捏ね回す。ただの指一本に翻弄され、性器に添えた手を動かすことすらままならない。縋るように弱く握っている間に指は二本に増え、三本に増え。その予想もつかない動きに腰から溶けていくようだ。 「に、にび・・・! も、本当に、やめてくれ・・・」 「なんで? こんなに気持ちよさそうなのに」 ちゅう、と会陰を唇で吸われて、頭が真っ白になる。自分の高い声が遠いところで聞こえ、イったのだと理解した。 「は・・・は、ぁ・・・」 まずい。 こんな年下のガキにいいように扱われるなんて、躯一つで主人の後押しをしていた私の沽券に関わる。 そう思うのに、あまりの快感に身を任せてしまってもいいかなんて考えもちらほらと浮かぶ。カチンと、歯が鳴った。 「鈍色、お前・・・男と寝たこと、あるんじゃないのか」 睾丸を舌で転がしながらその感触を楽しむような仕草にそう言うと、鈍色は口を離して答えた。 「ないよ。でも女の人とはいっぱいした。お金貰うから、頑張った」 「・・・売春か?」 「うん。母さんが、喜ぶからね」 ぐりぐりと内と外から前立腺を刺激され、反射で精液が噴く。 唇を咬んで声を殺したところで体の反応は隠せない。それを見て、鈍色は同じところばかり何度も擦るのだ。 「ん、んぅ・・・っ」 「・・・母さん、俺が嫌いだったみたい。たくさん殴られて、それ以外の時はいないみたいに扱われた」 つるりと指を引き抜いて、鈍色は私を仰向けに返した。緩く座る膝の上に私を乗せて、下を向く。その全身には古い傷が重なり合うように残っており、それを恥ずかしそうに撫でた。 「でも俺の外見が売れるって分かってからは殴られなくなったんだよ。だから俺、」 「もういい」 撫でる指の上からその傷に口を付け、痕を残すように何度も吸い付いた。 「ほら見ろ。これは私が付けた痕だ。名前だって、私が付けた。もうお前は、鈍色なんだ」 その傷が完全に消えることはもう二度とないだろうけれど、新しい絆を付けることはいくらだって出来る。 「本当は訊こうと思っていたんだが、やめだ。そんな女の付けた名前なんて興味がないね」 何かを言おうとする鈍色を跨いでゆっくりと腰を下ろす。案の定太くて苦しかったが、目を閉じて一気に体重をかけた。傘の張った亀頭が前立腺をごりごりと叩く快感に、泣きたいような切なさが湧いた。 「く、ぅん・・・」 「そ、う」 「動くなよ。少しは私にもイニシアチブを握らせろ」 腰を支えようとした手をぴしゃりと払いのけ、肩に置いた手に力を入れて残りを押し込んだ。初めて感じる質量に、ぼろりと涙が零れた。 「あぁぁ・・・!」 喉を逸らして、はふはふと息をする。少し落ち着いてから中を擦るように動かし、その甘美な痺れに躯を震わせた。目の前でいくつもの小さな光が瞬いては消え、性器からは先走りが止まることなく溢れていた。 心が満たされる。杉下の大臣も、その他の権力者の誰も与えてくれなかった安息がここにはある。目の前で、灰色の瞳が揺れた。 「はぁ、ん・・・にび、鈍色・・・」 「総」 呼ぶと、鈍色も答えて私の手を握ってくれた。そのままもう片方の手は腰に回り、ゆっくりと引き寄せられる。 「・・・鈍色?」 腰が反れ、自然倒れそうになった私が不安の色を向けると、鈍色はにこりと笑った。 「もう動いてもいい? なんか焦れったい」 「え? ・・・っわ、ぁ! ちょ、だっ」 否定の言葉さえ言う暇を与えられず、肩からベッドに倒されて足まで上げられた。その体勢でぐん、ぐんと抽出を繰り返され、自分で動いていたときとは比べ物にならない快感が生まれては弾けた。泣くような嬌声を上げながら、鈍色の下で喘がされる。 「あんっやん、にび、にび・・・やあぁ!」 「総・・・気持ちいい? 俺のこと、好きになってくれる?」 もうとっくに好きだよ、馬鹿。 生理的な涙の溢れる目で軽く睨んで、その顔を引き寄せる。 「仕方ないからな。好きになって、やる、よ・・・」 嬉しそうな顔を見ないようにキスをして、目を閉じる。 なんだか胸の辺りがほっこりと暖かかった。 「という訳で、今日から私の下で働いてもらうことになりました。ほら、挨拶しろ」 「・・・鈍色です。よろしくお願いします」 とりあえずにと主人の服を着せた鈍色の背中を押すと、渋々という様子で頭を下げた。 主人も何故かムスっとしているとはいえ、この態度はいけない。ぱちんと後ろ頭をはたいたら、悲しそうな犬みたいな顔をした。 「だってこの人、意地が悪・・・」 足を踏んだら、しょぼくれながら口を閉じた。全く、喋るようになったらなったで煩いな。まあ無言のときも表情だけは常に饒舌だったけど。 まあここの人たちは主人を筆頭にみな煩いからすぐに馴染むだろうなどと考えて、そういえばもう一人の煩いほうがさっきからだんまりを決め込んでいることに気が付いた。見れば、最初に部屋へ来たときと変わらない顔で私を見ている。 「・・・何か?」 「お前にそういう人物ができたのは嬉しい。嬉しいけどなあ」 嬉しいというよりは自嘲気味に笑って、肘を付いた姿勢で身を乗り出した。 「俺が昨晩はどこで寝たのかなんて、考えなかったのか?」 「あ、それはすみません。考えが及びませんでした」 「すみませんってお前! あのベッドは俺がわざわざ注文して作った特別品で」 「その注文をしたのは私ですが」 「俺の稼いだ金だろう!」 「性格には円家に属している企業や小売店が稼いだものです。それを貴方は管理して、動かしているだけ」 他に質問は? と訊くと、主人はうぐぅとよく分からない呻きを漏らして黙ってしまった。口で私に勝とうなどとしないほうがいいと思う。 つん、と洋服の袖を引かれた。 「総・・・酷い」 鈍色がぽつりと言い、さっきまで目の敵にしていた主人を憐れむように見た。その光景に、軽く笑う。 その笑顔を主人に見られたようで、主人は仕方ないというように溜め息を吐いて退室を手で促した。 「あ、総は先に出ていろ。鈍色に話がある」 「うぇ」 「主人に向かってうぇはないだろう。怒るぞ」 お預けを喰らった犬のような顔をした鈍色の肩をぽんと叩いてやり、一足先に部屋を出る。何の話をしているのかは分からないが、悪いことではないと思う。なんだかんだ言って、主人は鈍色を気に入っているし、鈍色だって主人を嫌いになりきれない筈だ。あの人には、そういう空気がある。 それよりも、と天井を見る。 鈍色にはもうしないと言ったが、正直この先も理不尽なことを言って躯を求められることがままあるだろう。そういう時、私は断れるか分からない。これまでずっとしてきたことを、今更私の都合でやめられる訳がない。 実際のところ、主人にはそんな後押しなど必要がないと結構前から分かっていた。それでもやめていなかったのは、私の所為だ。関わる関わらないにしろ、主人の地位のいくつかは私が買った。それをネタに主人が強請られでもしたらと思うと、背筋が凍る。生きては、いられない。 恐い想像に身震いした私の肩を、誰かが触れた。驚いたが、すぐに鈍色だと気付き平静を取り戻した。 「大丈夫?」 心配そうな灰色の瞳に、小さく頷く。 「お前こそ。何か意地悪言われたんじゃないのか?」 軽い調子の言葉に、鈍色は意外にも嬉しそうな顔をした。口に手を当てて、にやりと笑う。 「俺の給料は、総の躯で払ってもらえって」 「な・・・っ」 「俺の言うことに総が逆らったら、旦那様が総の給料から天引きしてくれるって」 くすくす笑う鈍色の言葉に、唇が震える。苛立ちに任せて扉を叩いたら、中から大笑いする声が聞こえた。 「あの、クソ兄貴・・・」 「あとね」 私が怒っていることに怯えながら、鈍色が耳元に口を寄せた。 「お前の心配事は全部俺がなんとかしてやる。お前の精子も喘ぎ声も、全部こいつにやっちまえ」 「は?」 「旦那様からの伝言。弟は兄を頼るもんだ、って」 「そんな、今更兄貴面されたって・・・」 目頭が熱くなり、昨日から緩みっ放しの涙腺から水が垂れた。鈍色がそれに気付き、ちろりと舐める。 「涙も、駄目だからね」 「え、」 「にっびっちゃーん!」 聞き返そうとしたとき、背後から駆け足で近付く音がして、慌てて袖で拭った。シーツをもりもりと持った理沙が、体当たりせんばかりの勢いで飛んでくる。いや、体当たり、した。 「う、痛い・・・理沙、さん」 「あらごめんなさいね。貴方たちが汚したシーツが多くて」 そう言われたらもう黙るしかない。ごめんなさい、と鈍色が小さく謝る。 「いいのいいの。にしても本当に喋れるみたいで、お姉さん嬉しい。ね、何か好きな食べ物ってある?」 「え? ・・・と、クリームシチュー」 「了解。今夜は鈍ちゃんの歓迎会するからね」 楽しみにしてて、と言って彼女は廊下を駆けていった。これからは私も頭が上がらなくなってしまうのか。最強だな、全く。 ふうと溜め息を吐いたところで、鈍色の視線に気付く。 「ああ、そういや何か言いかけてたな」 訊くと、鈍色は私の手を取って指先に軽く口付けた。 「喘ぎ声やエッチな顔は勿論、もう俺の前以外で泣かないで。総の感情、全部、俺にちょうだい」 慈しむようなキスをされて、唇の触れたところがじんと熱くなる。 多分、鈍色にとって、私は始めて得る自分のものなのだろう。それを手放すのが恐い、まるで子供のような男だ。 その小さくなっている頭をもう片方の手で引き寄せ、肩に乗せる。ぽんぽんと優しく叩いて、あやすように撫でた。 「昨日言っただろ? 私はもう、お前のだよ」 額にキスしてやり、顔を離す。不安そうな灰色のガラスを、私に向けさせる。 「だからお前も、もう逸らすんじゃない。ずっと、私だけを映せ」 その灰色の光を、私にだけ注いでくれ。それが肌に触れていると感じるだけで、私は幸せになれる。 「好きだよ、鈍色」 私だけの、灰色の宝石。 終わり。 |