7. 手術中のランプが消え、中から医者と一緒にカートに乗せられた舟木が出てきた。 麻酔で寝てはいるが、一命は取り留めたらしい。駆け寄りたい気持ちを必死に抑え、唇を咬む。そんな葛井の肩に、手が置かれた。 「行こうか」 男の言葉に、葛井が頷く。 キャスターで運ばれていく舟木を名残惜しそうに見てから、葛井は男と通路を進んでいった。 「・・・そういう訳で、猫ちゃんは大人しく先方に受け渡されたよ」 昏睡状態から三日目。病室で目覚めた途端に暴れ出した舟木は、安定剤を打たれた上独房のような部屋に移された。そこへ現れた男にそんなことを言われ、半身を立てた姿勢で太股の辺りを拳で殴った。 「あの、馬鹿」 「一度見に行くか? 大事にされてて、かなーりやらしくなってたぜ」 嬉しそうに言う男に殺意を覚えながら、舟木はぎりぎりと歯を喰いしばった。 自分が助かったところでこうなっては意味などない。憎むように、足の間を何度も殴った。 「まあ落ち着けよ。絶対安静の意味分かってるか?」 「・・・帰ってくれませんか。その顔見てると、殺したくて堪らなくなる」 「ははっ。いいね、その顔。好みだな」 「気持ち悪いこと言わないでください」 声の怒気が増したことに、男は肩を竦めて扉を開けた。廊下に、足音が響いている。病院で走るなんて一体どこの馬鹿だ。ふいと向けた視界に、信じられないものを見た。一瞬、夢でも見ているのかと疑ったほどだ。 「舟木さん!」 扉にぶつかるようにして入ってきたのは紛うかたなき葛井巳春の姿で。足をもたつかせながら近寄り、舟木の顔に手を添えた。 「ああ、よかった。ちょっと帰ってる間に目ぇ覚めるから・・・」 そう言って頬や肩に触れる葛井をありえないという風に見て、どういうことだと男を見た。にやにやしている態度に、もしやと口に手を当てる。何か言う前に葛井が振り返り、怒鳴った。 「リューさん! 病室変わったならそう言ってくださいよ! 俺、もすっごい走っ・・・」 後ろから引き倒すように抱き締められ、葛井は言葉を途切れさせた。起き上ろうとすると顎を掴まれ、咬むようにキスされる。じたばたと足を動かしたのも最初だけで、すぐに抵抗をやめされるがままになった。観念したように力を抜き、自分からも舌を絡ませる。 「おーおー、お熱いこって」 リューと呼ばれた男が扉を閉め、そこに寄り掛かる。それを一瞥するだけで、舟木は葛井の唇を貪った。くにゃり、と葛井の躯が崩れたのを機に漸く解放する。 「んく、舟木、さん・・・?」 唾液を飲み込み、その顔を見上げる。怒っているのか、目が射殺すように細められていた。 「どういうことだ?」 「え?」 「お前、なんであの人と仲良さげにしてる?」 「あ、と・・・」 照れたような顔を見て血が昇る。怒りで立ち上がりそうな舟木を慌てて制し、ベッドから飛び降りた。 「違う違う! リューさんは・・・竜也さんは、舟木さんが寝てる間に色々世話してくれただけだよ。マンションだって、リューさんが入れるようにしてくれたんだし・・・」 「そうだぞ。感謝こそすれ、殺すってお前なあ」 「大体、売られる話はどうなったんだ? 訳が分からん」 「あ、ああ、そのこと。・・・リューさん、何言ったの?」 また怒るように訊かれ、竜也は降参するように手を上げた。 「朗報だって言ったろ、刺される前に」 「・・・言ったか?」 「言ったんだよ。・・・ったく」 どいつもこいつもと竜也は頭を掻き、煙草を取り出すと口に咥えた。しかし禁煙なのを思い出したのか、苛々とそれを箱に戻した。 「死んだよ。お前から電話のあった日の夜中に、ぽっくりとな」 「死んだ?」 「道楽が過ぎたんだろうな。可愛い子とナニしてる最中だったそうだよ」 そこまで聞いて、ふうと溜め息を吐いた。そしてもう一度葛井を抱き寄せて、鼻を擦り付ける。 「じゃあ・・・こいつはもう、俺のなんだな?」 もう触れないのではと思っていた分、感激もひとしおだ。葛井も同じ気持ちだが、やはり人目が気になる。ちらちらと竜也を見ると、視線に気付いて露骨に嫌な顔をされた。 「へいへい。邪魔者は退散しますよ」 煙草も吸いたいし、とぶつくさ言いながら扉を開ける。去り際に一言嫌味でも残してやろうかと振り向いたが、馬に蹴られそうなのでやめた。というか、二人とももうこちらを見てすらいない。さっきまで冷静にしているように見えた葛井のほうから、舟木の首に抱き付いている。 「・・・漸く泣いたか」 ぽつりと言って、静かに退室する。 竜也が漸くと表現した通り、葛井は一度も泣くことなく三日間を過ごしていた。 手術が成功したときも、自分が助かっていたことを知ったときも、脱力はしたが泣かなかった。 ただの意地だったのかもしれないが、舟木に言った手前泣けなかったのだろう。本人に見せる前に、誰かに見られたりしたくなかったのだ。 「う、ふ・・・っ舟木、さ・・・」 その分溢れ出したらなかなか止まらず、扉が閉まる音にさえ気付かなかった。舟木もその背中をさすり、流すままにさせる。あれほど見たかったものが、ひどく愛おしい。 「守るとか言って、逆に助けられちまったな」 声を殺して首を振る葛井の顔を両手で包んで、熱くなった鼻や目尻に口付けた。 「早くヤリてぇなあ」 今度はベッドの上で啼かせたい。そんなことを言いながら、唇をついばむ。 面会時間の終了が迫っていたが、お互い離れがたかった。 「今日退院ですね」 とらのご飯を配達してもらう際、笑顔で言う菅に葛井は中途半端な受け答えをした。 嬉しくないのかと言いかけて、その反応の含む意味に気が付いて菅が赤面する。なんとなく気まずい空気が流れた。 「あ、あーと・・・とらは元気ですか?」 「お、おうよ。もうずいぶんデカくなっちまったけどな」 話題を変えたが、どうも雰囲気は払拭できなかった。いつもは何かと話していくのだが、菅は早々に退散していった。 そんなことがあったから覚悟していたのに、昼前にタクシーで連れ立って帰ってきた舟木は何もしかけてこない。肩透かしを喰らった気分で食事を作り、一緒に食卓についた。 「いただきます」 いつものように手を合わせて言うと、舟木は嬉しそうにこちらを見ていた。 「・・・何?」 「いや。お前がそうやって喰い始めるの、懐かしくてな」 「・・・もっと懐かしいことがあるんじゃないの」 「ん?」 聞き直されたが、もごもご言って誤魔化した。自分ばっかり求めているみたいで恥ずかしい。 その後も何もなく食事は終わり、大きくなったとらと遊んでいるうちに夕方になった。もう夕食の準備しなきゃなあと思いながら洗濯物をたたんでいると、後ろから乗るように抱き締められた。重さに、苦しくて唸る。 「・・・ちょ、舟木さん」 「やっぱダメだ。夜までなんて待てねぇよ」 服の上から胸をまさぐられ、ぴくりとする。 「シャワー浴びて、ヤろうぜ。とら締め出してさ」 「・・・うん」 たたみかけの洗濯物を落とし、葛井は首を捻ってキスに応じた。 とらをリビングに閉じ込め、カーテンをぴったりと閉めしかし明かりだけは煌々と点けて服を全部脱いだ。熱情を宿した目にまじまじと見られ、顔が赤くなる。久し振りすぎて、まるで初めてのような心地だ。 「奇麗だな。俺の付けた傷が一つもない」 「随分間があったから・・・また付けて、いいよ」 過去の傷を思い返すように腹を撫で、舟木に笑いかける。舟木は複雑な顔で答えを詰まらせた。 「本当はやめたいんだが、どうにも抑えられなくてな」 きまり悪そうにこめかみを掻く舟木を見て、葛井が笑う。 「無理だよ。それに俺、殴られるのも悪くないと思ってるし」 「なんだって?」 「知ってる? 舟木さんって、俺に酷いことした後は凄く優しいんだよ。手付きも、目もさ」 照れるように俯いて、胸の前で五指を合わせる。 「そういうときが一番幸せ。殴られて痛くても、それがあるから、全然平気」 「クズ・・・」 恥じらって笑う葛井を優しく引き寄せて、キスをする。立ち膝で応じる葛井の腰骨をついと撫で、反応を楽しむ。 「ん、んっ」 「じゃあ今日は、奇麗な体で楽しませてくれよ」 腰を落とさせ、膝を持って足を割る。既に少し立ち上がっているそれを眺め、自分でしてみろよと言った。葛井の目が、え、と問い直す。 「だからオナニー。俺がいない間どうやってたのか、してみせろよ」 葛井の顔が見る間に赤く染まっていく。耳も首も同じようになり、手で隠すようにして上半身を引いた。しかし膝を掴まれているので、離れることが叶わない。 「や、やだよ。なんでそんなこと・・・」 「楽しませろって言ったろ? それに俺、まだ本調子じゃないしなあ」 「ひ、卑怯だ!」 怪我のことを引き合いに出せれたら逆らえない。 迷ってはいるが、期待しているのは一目瞭然だ。触ってもいないのに完全に上を向いたそれは、先端を濡らして子犬のように震えていた。それを指摘され、葛井も放置状態に負け手を添えた。ゆるゆると擦り、泣きそうな面持ちで熱い息を吐いた。 「・・・ん、はあん」 少しでもよく見えるようにと足を広げ、腰を反らした。玉の奥に隠れた後孔も姿を現し、ひくひくと物欲しげにしている。そこを唾液で湿らせた指でなぞり、ゆっくりと埋めていく。 「ふぅ・・・っん、んんん!」 「エロいこと覚えたなあ、おい。いいのか?」 問いかけに、こくこくと頭を動かす。あんなに嫌がっていた行為だけに、見られながらするのは恥ずかしかった。しかし、今更やめることもできない。 「っも、前だけじゃうまく・・・イケなくて・・・」 ぎりぎりまで引き抜いては根本まで挿し込むというのを繰り返しながら、葛井はベッドサイドの机に目をやった。つられるように舟木に目をやると、そこにあったのは太めのマジックペン。手に取ろうとすると、葛井が慌てて制止した。 「一人でするときは・・・ん、それ使って、た。それ、ぁ・・・舟木さんの指とおも、て・・・気持ち、とこ・・・」 懺悔するような告白に、舟木は掴んでいた膝を押して後ろに倒した。引き寄せて、腰を太股に乗せる。背中を反らせ、葛井が声を漏らした。 「あ、舟木、さん」 「それもそれで見たいところだが、またの機会に頼むわ。早く俺のちんぽ喰いたいだろ?」 卑猥な言い方に、それでも葛井は頷いた。大きく広げて、腰を押し付ける。 「ちんぽ、欲しい・・・っ舟木さんで、イキたい」 久し振りの行為だからきちんと慣らしてやりたかったが、目を潤ませて求める痴態に理性が保てるはずもなく。舟木は少し膝を立てるようにして、ぱくぱくと蠢く肉にいきり立ったものを挿入した。 指を咬んで打ち震える葛井の性器から、こぷりと精液が溢れた。久々の、それも待ち望んでいた圧迫感に葛井は我慢できなかった。 「っあ、ああぁ・・・おっき、よ・・・舟木さんの、ちんぽ・・・」 「自分でちんぽ言って硬くしやがって。このド淫乱が」 笑ってはいるが、舟木も限界が近い。何度か動かして、奥深くに大量に吐き出した。 「あ・・・やだ! 抜かない、でぇ・・・」 「んな勿体ないことするかよ。入院中に溜まってた分、全部注いでやる」 もの凄い宣言に、葛井は期待と興奮にぶるぶると震えた。一滴も漏らすまいと、繋がったところを喰い締める。 「舟木さん・・・」 「なんだ」 「あれ、嘘だから・・・嫌いだなんて、んぅ、嘘、だから」 ぼろ、といつかのように涙が耳のほうへ垂れる。それを見て、舟木は額に貼り付いた髪を剥がしてやりながら頷いた。 「好き、好き・・・舟木さんがいて、息、してて・・・それが、死ぬほど嬉しい・・・っ」 体を折り、ぼろぼろと泣く葛井に口付ける。唇に、頬に。瞼に、鼻に、耳の付け根に。 そうやってゆっくり一巡して、再び唇に。今度は、深く、慈しんで。 「死ぬなんて言うな。洒落にならん」 「舟、木さぁん」 「クズ・・・巳春」 「舟木、さ・・・」 初めてまともに呼ばれる名前に、喜びが増す。 「巳春。巳春・・・」 キスしながら、ゆっくりと腰を動かし始める。 唇が触れると粟立つ肌が、穿つと悦ぶ体が愛おしい。何より、こんなにも自分を求めてくる姿に、胸が震えた。 「ずっと、俺の傍にいろ。今更嫌なんて言っても、絶対離してなんかやらないからな」 真剣な目に、葛井は一瞬恥ずかしそうに目を逸らした。しかしすぐに見つめ返し、その頭を抱き寄せる。 「仕方ねぇな・・・」 表情は見えなかったが、その声は少し震えているように聞こえた。 「とーら。とらってば。悪かったよ、追い出したりして。ほらほら、高級猫缶だよー」 スプーンで叩いて誘うが、とらはソファの下から出てこようとしない。どうやらずいぶんとへそを曲げてしまったようで、葛井は頭を掻いた。 「ここんとこずっと構いっぱなしだった分すねちゃった・・・どうしよう」 立ち上がり、ソファの上に寝そべっているほうの虎に助けを求める。しかしそちらはつまらなそうに目を向け、葛井の腕を引いて体に乗せた。背中をぽんぽんと叩いて、目を閉じる。 「ちょっと・・・大河さん」 「なあに、腹が減りゃあ出てくるだろ。所詮獣なんだし」 「冷たいなあ、もう」 そうは言いつつも、葛井も缶とスプーンを床に置いて目を閉じた。まるで猫のようだ、といつかと同じ感想を持って頭を撫でる。 虎に、猫に、とら。 まるで家族ごっこだなどと嘯き、舟木は大きくあくびをした。 午睡には最適すぎる気候だった。 終。 |