2. 「ん? 起きたか?」 頬の痛みに目を開けると、自分を覗き込む舟木と目が合った。次に、振り上げられた手が視界に入り、やはりこの痛みははたかれた所為かと葛井は溜め息を吐いた。 「あんた・・・他に起こし方知らねぇの?」 「知ってるが、お前にはこれで充分だろ?」 にやりとして、舟木はベッドを降りた。その上半身裸の背中に残る爪痕を見て、昨夜の出来事が悪い夢ではないのだと思う。 葛井は昨夜この男に買われた。というか、取り引きをした。 肩代わりしてくれた借金を返すため、この男の言うことに逆らってはいけない。ギリと歯を鳴らし、痛む腰を庇いながらベッドを降りた。 「クズ、料理できるか?」 「・・・葛井。できねぇよ、しねぇもん」 「じゃあ覚えろ。後で本でも買ってきてやるから」 言いながら舟木はパンをトースターに入れ、コーヒーを淹れた。そしてタオルを投げ、洗面所を顎で指す。 舟木の家は高層マンションで、広い間取りは葛井を呆然とさせた。大きな窓から見える階下は遥か下であるし、さっき寝ていたベッドだってキングサイズのものだ。 いい商売ですものね、と内心で毒づき、袖を捲る。 背が高いと自負していたつもりなのに、舟木が寝巻き代わりにとよこしたシャツは葛井の体格には大きすぎた。ガタイの違いだなどと笑われ、苛々した。 「・・・でも一応、命の恩人ってことになるのか」 認めたくはないが、と一人ごちて葛井は洗面所を出た。トーストの焼ける匂いが鼻につく。 「喰ったら洗っておけよ。俺は出るからな」 「・・・メシは?」 訊くと、カップを上げた。 「時間がない朝はこれで済ましてる」 「あっそ」 別に関係ないかとテーブルに付き、手を合わせる。それを見て舟木は興味深そうな顔をしたが、葛井は気付かなかった。 「掃除と洗濯しとけよ。あとフロ掃除も」 「なんで俺が」 「どうせ俺が帰ってくるまでは暇なんだ。やっとけ」 ネクタイはつけずにジャケットだけ羽織り、舟木は扉に向かった。出際に振り向いて、葛井を指差す。 「逃げるなよ?」 「・・・逃げねぇよ」 昨日の逃走劇で敵わないのは痛感している。苦々しい顔でトーストを咬んだ。 「まあ細かいことは今夜にでもな。・・・ケツ洗っておけよ」 揶揄する笑いに、葛井は顔を背けた。その耳に扉の閉まる音がして、ホっと息を吐く。 強がってはいるが、正直不安で仕方がない。本当に借金は消えたのかとか、舟木が飽きたらどうなるのかとか、いろいろな思惑が浮かんでは消えた。 何より昨日のようなことをまたしなければならないのかと思うと、寒気がする。苦痛と屈辱にまみれた行為だ。だが、死ぬことに比べたらましかと思い直す。 「・・・変なヤクザ」 朝から忙しそうにしたり、気紛れで人を助けたり。 複雑な気持ちで、葛井は口の中に残ったパンをコーヒーで流しこんだ。 慣れない家事に疲れ果てた葛井が舟を漕ぎ始めた頃、深夜近くに漸く舟木が帰ってきた。鍵の開く音にビクリとして、ベッドからもそもそと這い出す。 「お、いたのか」 意外そうな顔で笑い、見ようによっては安堵の溜め息を吐いた。 「・・・逃げてよかったの」 「そうしてたら次に会うのは手術台の上だな」 ケタケタと笑い、舟木はリビングのソファに横になった。 「いつもこんなに遅いのか?」 疲れたと唸る舟木を遠巻きに見て、葛井が声をかけた。 「夜はな。今日は所用で朝が早かったから・・・」 答えてから、舟木は失敗したというような顔をして葛井を見た。しかし葛井はその視線に反抗的な目を向けただけで、特に何かに気付いた風でもなかった。 「・・・来いよ」 手招くと、半歩退いて躊躇いを見せるも、結局は近付いてくる。本当に猫のようだと、舟木は眉を上げて笑った。 「口でしたことあるか?」 「そんなこと・・・っ」 「あー間違えた。口でしろ、命令だ」 ソファに座り直して、唇を咬む葛井を見上げる。何度か口を開いては、悔しそうに目を背けた。長いこと逡巡して、漸く跪く。 「してもらったことくらいあんだろ? なけりゃAVでも思い出せ」 たどたどしい手付きで前を開ける葛井にそんなことを言い、舟木はソファに深く身を沈めた。その顔を憎らしそうに睨み、葛井は取り出した性器をちらりと見た。まだ完全に立ち上がっていないのに大きいそれに、嫌悪より恐怖を覚えた。こんなものを、挿されたのかと。 これはバナナだソーセージだ棒アイスだと暗示をかけ、恐る恐る口を付けた。汗の混じったオスの匂いがして、眉を顰める。それでも我慢して手で扱いたり時々舐めたりすると、それはじわじわと大きくなっていった。形も相俟って、まるで凶器だ。 「ちんたら舐めてないで咥えろ」 形状に慄いているところを、後頭部を掴まれ押し付けられた。ぐっと唇を咬んで、息を飲む。 「・・・くそ」 もう自棄だとふくんだそれは想像以上に大きく、葛井はえづいては涙を滲ませた。その顔を悦に入った舟木が眺め、掴んでいた後ろ頭を何度か撫でた。 「同じ男なんだ、勝手は分かるだろ? 自分の好きなとこ、思い出しながらやりな」 苦しそうな声を漏らしながら、葛井はじゅるじゅると唾液を利用して手を動かした。次第に味が変わり、頭を撫でる手が時々緊張するようになる。 「下手だな。・・・まあ、悪くない」 「ん、ふ・・・」 どんな表情をしているんだと見上げた先に、目を閉じた男の顔があった。それを見た瞬間に不思議な心地がして、慌てて視線を戻す。ドキドキと、心臓が煩かった。 「カリが好きか? ん?」 自分でも気付いていなかったことを指摘され、体が熱くなる。思わず離しそうになった唇に、舟木は押し込んだ。喉にぶつかり、舌が緊張した。 「あぐ、あ・・・」 「離すなよ」 ぐいぐいと突かれ、涙が目尻から落ちた。 「出すぞ」 言い終わると同時に喉に熱い飛沫が迸り、その初めての味と香りに噎せ込んだ。逃げようにも、押さえる力が強すぎる。 どろりとしたものが舌の上に溜まり、漸く解放された。糸を引く唇で手を塞がれ、掴まれたまま上下に揺すられる。 「飲め」 「んん!」 目を閉じて拒絶したが、許されない。ふくみ続ける苦痛から解放されたくて喉を動かしたところで、舟木は手を離した。 「っん、げほ、けほ・・・」 「すっきりした。飯は?」 「・・・最低だ、あんた」 泣きながら噎せる葛井を置いて服を直し、舟木はキッチンへ向かった。そのあとをよろよろとついて行き、炊飯器を開ける。 「・・・なんだこりゃ」 「夕飯」 「目玉焼きは料理って言わねんだよ。しかも焦げてら」 「じゃあ喰うなよ」 ご飯を置いて、味噌汁を温め直す。これくらいなら、葛井にだってできる。 「俺の・・・アパート、さ」 「解約したぞ」 「・・・だよね」 味噌汁を出して向かいに座り、葛井はゴクゴクと水を飲んだ。そのあとで嫌そうに舌を出し、もう一度水を汲みに行く。戻ってから、舟木の視線に気付いた。 「・・・何?」 「いや。素直だと気持ち悪いな、お前」 くすくすと笑って、味噌汁を飲む。悪くないと言って、食事に戻った。そうやって食べる姿を見ながら、葛井は机に伏した。 「だってさ、もうどうしようもないし」 「あ?」 「セッ・・・は嫌だけど、死ぬよりはまし、だし」 半分嘘で、半分本当だった。 一日中この広い家で過ごして、正直かなり寂しかった。恋人でも家族でもない男なんだし、待っている必要なんてない。それでも物音に耳を澄ませて起きていたのは、この男の帰りを待ち望んでいたからだ。 そして毎日をこんな部屋で一人住む孤独を、勝手に想像してしまったから。 葛井は一人でいるのが嫌いな性質だ。パチンコや競馬にはまったのだって、最初は人の多い場所に惹かれたからだった。 黙り込んだ葛井に首を傾げるも、舟木はそれ以上訊いてはこなかった。その内に、あっと声を上げ葛井を箸で指した。 「玄関。土産だ」 早く行けと手を振られ、葛井は文句を言いながらもそれに従った。置いてあったのは書店の紙袋で、中から薄い写真誌が出てきた。 「・・・バカでもできる、簡単料理」 「クズにぴったりだと思ってな。喜べ」 「葛井! ・・・あんた、俺のことどうしたいんだよ。家事させて楽しいか?」 「楽しくはないが、楽だろ。ハウスクリーニング呼ぶ金も浮くしな」 食事を終え、その食器を葛井の方へ押しやる。不満を顔に出してから、大人しく洗い場に下げた。 洗っている間に舟木は風呂に入り、出てくるまでに余った時間で葛井は料理本を見た。確かに、簡単にできそうな気がする。 「おい、クズ」 いい加減訂正するのにも疲れ、葛井は風呂上がりの舟木についてベッドルームへ行った。ベッドに寝転ぶ舟木の命令で、服を脱ぐ。 「ケツは洗ったか?」 にやにや笑いでされた質問に、葛井は苦々しく頷いた。 「じゃあ来な。いいことしてやるよ」 言われるまま膝を立てて舟木の前で横になった。とろりとジェル状のものを垂らされ、ビクリとする。そのぬめりを利用した手コキに、息が詰まった。 「ん、んぅ・・・」 「殺すなっての。痛くはしねぇから」 そう言って、充分温めたジェルを纏わせた指を、昨夜の行為でまだ腫れぼったい後孔に押し込んだ。葛井の腰が、後ろに退く。 「ビビるなよ、挿れないから。いいことだって言ったろ?」 そうは言われても、恐いものは恐い。シーツを手繰り、葛井は唇を咬んだ。 「・・・強情な奴」 ふんと鼻で笑い、舟木は中の指をくいと曲げた。窮屈な肉の間に空気が入り、その妙な感覚に躯が強張る。 「んふ、ふ・・・っぅ、」 ピストンされたり、ぐるりと回されたり、昨夜より更にしつこくこねられ、葛井は指の甲を強く食んだ。小さな泣き声が、部屋に散る。 それを聞きながら舟木は指を二本に増やし、開いたり閉じたりしながら更に広げていく。葛井の全身がピクピクと喜び、知らず内を締め付けた。 「ん、あ・・・っ! ちょ、やめ・・・」 緩く立ち上がった性器を扱かれ、葛井は半身を上げた。その抗議を無視し、舟木は両手の動きを速めた。 「ん! や! あぁ! あっあっあん、」 シーツの上を足が滑り、葛井は切なさに声を出した。ビクンビクンと全身が反応を返し、舟木が楽しそうに笑う。 「いいだろ? イキたいならそう言いな。イカせてやるから」 「ぜったい、や・・・!」 頑なにシーツを掴んで耐える姿に、舟木が喉を鳴らす。 「全く、お前は面白いよ」 「・・・は? っあ、ちょ、ま・・・っあ、ぁああ!」 亀頭を揉むように扱かれ、葛井の性器は白い液体を零した。その時強く指を締め付けたところから、別の感覚が全身に広がる。抜かれたあとも、暫くは収縮を繰り返し、息を整えるのに時間がかかった。 「・・・よかったろ?」 「んな、わけ・・・」 問いにも、すぐには答えられない。全身が早鐘のように鳴って、苦しかった。 「さ、寝ろ。明日また相手してやるから」 「遊ぶ、の間違いだろ・・・」 葛井の皮肉に軽く笑い、舟木は部屋を出た。水の流れる音がしたかと思うと、濡れタオルを持って戻ってきた。それを葛井に投げ、布団に潜り込む。 「床とここ、どっちがいい?」 「・・・ソファは?」 「二択だ」 「・・・ここ」 葛井が悔しそうな顔をするのが楽しいのか、舟木は笑ってスペースを空けた。不機嫌な面持ちで服を着て、そこに横たわる。 「欲しい食材は宅配サービスしてもらえ。お前はここから出るな」 「・・・逃げねぇって」 「指紋認証の上オートロックだぞ? 帰って来れるのか?」 言われて、渋々頷く。買い物に出ただけで手術台に送られるなんて堪ったものじゃない。 「それ以外なら俺が買ってきてやるから。我慢しろ」 これにも頷いて、葛井は躯を丸くした。少し離れた位置から自分以外の体温を感じ、何故だかホっとする。 「じゃあ・・・猫。猫が欲しい」 「は? 猫?」 「・・・冗談だよ」 つまらなそうに言い、葛井は目を閉じた。 遠くで、犬の遠吠えが聞こえる。 続。 |