『飼い主の話』 ぱちんとベルトの留め具を外すと、伊村は小さな声で「じゃあ」と言った。 たった八畳の結界から、俺の猫が出て行く。尻尾はないので、掴んで止めることはできなかった。 俺と伊村の関係がただの知人から、飼い飼われる者の間柄になったのは、今から四ヶ月前の雨の日だ。 その頃俺には通っている場所があった。河原の橋の下、去年の冬まではホームレスが使っていたであろうダンボールハウス。そこに、俺が拾って世話をしてきた白猫がいた。 一昨年建てられたばかりというくせに、ウチのマンションはペット可ではない。俺は生まれたときからアパート暮らしで、親には言ったことはないがずっと猫が飼いたかった。しかしこのままでは家を出るまで、しかも家を持つなりしなければ猫を飼うことができない。 そんなときに見つけたその猫を、俺は大事にしていた。普段の俺を知っているような奴らには絶対バレたくない、正直言うとかなり恥ずかしい秘密だ。 その日は昼前に振り出した雨脚がどんどん強くなり、川の近くにあるその場所が流されやしないかと気が気じゃなかった。早く行きたかったのに纏わり付く女どもの所為で意外と時間を喰った。 傘を差していても走っている所為で余り意味がないような状態で辿り着いた河原に、猫の姿はなかった。 代わりに、人がいた。 「・・・伊村?」 ウチの制服を着ていなければ、いや、顔を知っていなければ、猫が人になったと勘違いしたかもしれない。それほど伊村の寝姿はあの猫と似ていて、眠たげな顔は陽だまりにいる猫のそれにしか見えなかった。 「寒くないのか?」 一瞬の内にそれらの考えを捨て、次は伊村の全身がぐっしょりと濡れていることに驚いた。伊村は目を擦り、自分の状態を見て首を傾げる。 「寒い・・・かな。震えるから、寒いのかも」 「はあ?」 体育の合同授業で一緒になった程度だが、辛うじて苗字を知っているくらいで下の名前はおろか性格なんてこれっぽっちも分からない。しかし廊下や体育館で見たこいつは、こんな間の抜けた返事をするタイプには思えなかった。地味でつまらない、そんな男だと思っていた。 「何してんだ、こんなとこで」 「昼寝」 「昼寝って・・・雨の中でか」 染み込んでいるどころか殆ど浸水している。ダンボール製だから、崩れそうでもあった。 そんなところで寝るなんて、こいつは本当に狂っているのか。そう思った矢先、伊村は視線を外して寂しそうにした。急なことに、どきりとする。 「・・・家、嫌いだから」 ぽつりと言うその態度でピンときた。こいつの家庭も、ウチと同じでまとまっていないのかもしれない。俺だって、人のいない家に帰るのは時々億劫になる。だからこそ、猫なんかを飼いたいと願ってしまう。 「・・・岡崎、は?」 「あ? 俺、は・・・」 突然の質問よりも、こいつの口から俺の名前が出たことに驚いてしまった。俺の周りには何もしなくても情報が舞ってくるからともかく、友人も少なそうなこいつに名前を知られているとは。 答えにまごついている間に伊村は俺の持っているスーパーの袋を見て、勝手に正解を見つけた。 「ああ、あの白猫?」 「ウチ、ペット禁止だから」 「ふうん」 余計なことを言った。そう思った俺の心を見透かすように見上げ、伊村が笑う。いや、笑ったように見えた。 「じゃあさ、僕を飼わない?」 「は?」 「あの猫、さっき女の子が連れていったよ。きっと帰ってこない。だから、さ」 何を言われているのかよく分からなかった。しかし淡々と言っているような伊村の震える肩を見て、考えが変わる。 もしかしたら寒さの所為だったのかもしれない。それでも、伊村が冗談を言っているようには見えなくて。 連れ帰った部屋で、伊村は服を乾かす間猫として居座った。人の言葉は話さず、動くときは専ら四本足で。学校では見たことのないくつろいだ顔で、俺にまとわりつき、そして時折眠った。 伊村にはここが唯一の逃げ場なのかもしれない。そう思ったのは割りとすぐのことで、そうなると伊村が気になって気になって仕方がなくなった。 そんな伊村の口が、俺のちんこをくわえている。俺が買った首輪の鈴をチリチリと鳴らし、じゃれるように竿を舐める。初めの頃より、随分と美味しそうな顔をするようになった。 「環。環・・・挿れたいか?」 「・・・ん、うにゃあ」 ちゅうちゅうとカリの先端を食み、上気した顔を俺に向ける。エロくて、それだけでイキそうだ。 「じゃあ上に乗って」 ぽんと太股を叩く。 猫に人の言葉が通じるわけがない。それどころか、猫とこんなことをする飼い主なんてまずいないだろう。だからその辺りは、お互いにうやむやのまま。 いや、そうじゃない。俺だけは、猫と飼い主なんていう今の関係を壊したいと思っている。 「ぅにゅ、に、にあぁ・・・っ」 自分で体重をかけての挿入に涙する伊村の背中を撫でてやる。小さく震える、華奢な体躯。 初めに手を出したのはどちらからだったろう。じゃれ合うだけの関係に異変が生じれば、その後もその状態を保つしかない。毎日毎日、伊村が委員会なんかで遅れるとき以外は、それこそ盛りの付いた猫のような性生活だ。 それに、ヤる度にエロく変貌していく伊村を、俺が離せるわけもなかった。 「にぁん、にゃっあ、あんっ」 教室では澄ました顔で座っている男を、愛玩動物のようにして犯す。日々やらしいことを教えていく様は、正に飼育の楽しみがあった。 体だけの関係は、どちらかが本気になってはいけない。そうなったら、その本気になったほうが辛いだけだから。 俺の上であられもなく腰を振る伊村は可愛い。 気になって仕方がなかった伊村は、セックスをするようになってから好きな子という存在に成り代わった。 「・・・っにゃ、にゃう、にあぁん」 「気持ちい?」 「うに、うにゃあんっ」 聞いているのだろうか。俺の猫は、やらしくて快感に素直。 目の前で揺れる小さなちんこを擦ってやったら、可愛い鳴き声を上げて果てたっけ。 二回目を求められたのは初めてのことじゃなかった。とろとろと精液の溢れるそこを向けられて、更に誘うように振られてなお欲情しない男なんてこの世にいるのだとしたら顔を拝みたい。身を進めながら、頭の隅でそんなことを思う。 「あん、にゃ、ぅにゃ、ああ!」 可愛い。 可愛い可愛い、俺の飼い猫。 ここでしか甘えてくれないのなら、いっそのこと閉じ込めてしまおうか。 猫が交尾をするときのように首筋を咬んだら、ぶるぶると痙攣しながら中を締め付けた。謝るように舐め、いいところを丹念に突いてやる。 「ふにゃあん! にゃあ、みゃあぅ」 普段こいつは、どんな顔で生活しているのか。俺以外の前でも、こんな表情を浮かべるのだろうか。 考えが、浮かんでは消えてを繰り返す。 「好きだよ、環」 呟くようになったのは何度目か。 初めは目を見開いた伊村だが、今では普通に聞き流すようになった。それが猫の対応だと伊村は判断したのだろう。それでも俺は構わない。 猫のときだけでも届くのなら、俺は囁き続ける。 ぶくぶくと泡立った精液が、ぶつかる肉と肉の間で何本も糸を作る。二度目の射精は長くかかるから、その分じっくりと伊村を良くしてやれた。 「あっん、にゃあん、にゃあ、あ、あ!」 あと十分、五分、三分、一分でもいい。 長く、俺の熱を感じて。 今日は金曜日だ。明日と明後日は、お前に会う事すら叶わない。 焦らすような動きがバレたのか、伊村の強請るような声が耳に届いた。 目の前でぱたんと扉がしまり、俺の記憶の欠片も伊村の姿も消えてしまった。 今日も伊村は何も言ってくれなかった。首輪をしている間は、ただの猫だから。 伊村はきっとこの結果を壊したくないのだろう。自分を匿ってくれる唯一の拠り所を、なくしたくないから。 それともただ単純に、飼い主ではない俺には興味がないのかもしれない。 「環・・・」 赤いベルトに口付ける。まだ少し温もりの残る、俺に伊村を繋ぐ赤い鎖。 それを伊村が断ち切る瞬間を、俺は待っている。 完。 080531up |