14. 布団の温もりを求めて動かした手が人肌に触れ、春樹はパチリと目を開けた。 手が、人の顔に乗っている。感触からして目の前にあるこの手は自分のものなのだろうけど、その下の顔が何故ここにあるのか分からない。いつもなら隣に寝ているのは、夏威のはずなのに。 「ん・・・きーちゃん?」 その端正な顔が、上に乗る手に気付きゆっくりと目覚めた。薄暗い部屋の中にいるのは、やはり御門で。春樹はよく分からない状況に目を丸くした。 「俺・・・なんでここに?」 のろりと瞼を上げる顔の上から手をどかそうとして、体に力が入らないことに気が付いた。なんだか骨自体が柔らかくなってしまったような、奇妙な感覚がする。 そんな春樹の動揺を宥めるように御門の手が春樹のそれを優しく掴み、口元に寄せて軽く吸い付いた。その行動に胸がちりと痛み、頬が火照る。 「御門・・・?」 「気分はどう? 大分吐いていたから心配なんだけど・・・」 手にキスするのをやめ、横になったまま頭を撫でられた。それが気持ちよくて目を細めながら、不思議そうな顔をする。 「吐いた? 俺が?」 少し舌足らず気味のその声にそう返され、御門は一瞬しまったというような顔をした。しかしすぐに何かを思いなおし、言葉を選ぶようにしながら話し出した。 「痴漢のこと・・・覚えてない?」 その言葉に、全てを思い出した。アンモニアの匂いと、気色悪い舌の感触。そして、封印していた記憶の断片まで。 「・・・っあ、や・・・」 「大丈夫。大丈夫でしょ、ね?」 混乱しかけた頭を抱えられ、少し引かれてその腕の中に収まった。御門の胸から微かに香る香水のような匂いに誘われるように、春樹は静かに泣き出した。 「俺、思いだした・・・谷岡に、何されたのかとか、全部・・・」 ひく、と喉を鳴らす春樹の背中を撫でながら、御門は気付かれないように唇を咬んだ。 嫌な予感はしていた。大野たちを待たせてトイレに入った途端、あの悲鳴を耳にした。いつか聞いたものに似ていたそれに、御門に胸はざわついてどうしようもなかったのだ。悪い予感というものは、得てして当たってしまうものだ。 「な、夏兄が倒れてて、それで、谷岡が、俺に・・・」 「あなたには何もしていないわ。そいつが勝手に欲情して、勝手に出しただけよ。もう昔のことで、どこにも残ってなんかいない」 「でも俺が覚えてる!」 力の入らない手でその胸を押しのけて御門を見上げた。その顔は、嘘みたいに穏やかで。 「なん、で・・・なんでそんな目で見るんだよ! もっと蔑んで、汚いって言えよ!」 ぱた、と弱々しく叩いてくる手を取って、その指先を唇で挟み込んだ。軽く吸って、次は手の平を。少しずつ下って、今度は手首を。そして手は握ったまま、柔らかい動作で春樹の目元から涙を吸い取った。 ちゅ、と何度も吸い付いて、再び睫毛を濡らすものがあれば何度も舌で掬い取った。春樹の痩躯が、腕のなかで小さく震えた。 「んなこと、するなよ・・・」 「なんで? 汚いから? そんなことない、きーちゃんは奇麗よ。本当に奇麗」 寝たまま至るところにキスされて、されるたびに春樹はしゃくり上げた。 涙腺が壊れたみたいに泣き続けているのがなんだか恥ずかしい。身を捩って間を取ると、御門はふわりと笑いかけた。 「あんた、おかしいよ。なんでそう、断言できるのさ・・・」 「好きだから。きーちゃんが好きだから、こうして触れるだけで嬉しいの」 「好き、って」 口にしたら、心臓がどくりと跳ねた。跳ねた後も、もの凄い速さで脈打ち、その鼓動は全身にじんわりと痺れる何かを運んでいく。御門の言葉が、ただ嬉しかった。 「・・・っかい」 「ん?」 「もう一回、言って。もっと、言って」 子供みたいな駄々をこねる春樹にくすぐったいような笑みを投げて、優しく抱きなおす。 「好きよ。初めて見たときから、ずっと。きーちゃんが好きで、凄い幸せ」 好き。 思った瞬間、それはことんと胸の奥に落ち着いた。 なんで御門の匂いで安心するのか。なんで顔を見たいと思ったり、会っても恥ずかしくて胸が痛むようになるのか。 好きだったから。好きなのだと、今自覚した。 そう思ったら御門の腕の中にいるということが急に恥ずかしいように思えて、でも嬉しくて躯を捩って顔を上げた。かち合った目に誘われるように、口を開く。 「好き、みたい。俺も。好きになっても、いい?」 言った途端、息が止まったみたいに御門の目が丸くなった。唇が震え、何か言いたそうに開いたり閉じたりする。 「だ、だめ?」 「そ・・・んな訳ないでしょう!」 ぎゅうぎゅうっと抱き締められて、春樹は苦しんだ。それでも離して欲しい訳ではなくて、春樹は自分からもその胸に鼻を押し付けた。 「嬉しい・・・アタシ、今凄く幸せ」 「・・・ね、キス、して」 苦しさの中でそう言うと、御門の動きが止まった。少し離れた顔を見上げ、小さく笑う。 「今なら分かるよ。食べたいくらい、好きってやつ・・・」 言った途端に近付いた顔に一瞬怯んだが、御門のだと思うともう嫌じゃない。もっともっと、いつもみたいに深く貪って。そう思って唇を割ったら、御門はすぐに応えてくれた。 触れたところから何もかも吸い取られそうなキスに、頭がぼうっとする。 「・・・っ」 突然、春樹の体がビクンと硬直した。驚いた御門が身を離すよりも早く春樹は肩を抱きこみ、小さくなるように背中を丸めた。 「ごめんなさい。やっぱり、駄目だった?」 悲しげに見つめる御門の声に、春樹はシーツに顔を擦るようにして首を振った。 「ち、が・・・なんか、熱くて・・・」 はふ、と息を吐きながら上げられた顔に、御門はドキリとした。潤んだ瞳に、上気した頬。明らかに、興奮していると分かる。 「・・・何か、された?」 前髪を避ける動きにすら春樹は反応し、その言葉に小さく頷いた。 「なんか、瓶に入ったアルコールみたいなの、吸わされた・・・」 御門は眉を顰めた。何かは分からないが、残るようなものだったのだろう。ずっと気絶していたことで抑えられていたそれが、キスしたことで燻りだしたか。 全身を庇うように丸めて浅い呼吸を繰り返す春樹の頭を撫で、御門は溜め息を押し殺して立ち上がろうとした。 「水でも持ってくるわね」 もう一度髪を撫で付け、離れようとした手を春樹の手が弱く追い縋った。手は空を掻いてぱたりと落ちたが、御門の動きを止めるには十分な行為だった。御門の表情が曇る。 「駄目よきーちゃん。傍にいてあげたいけど、流石に何もしないという自身はないわ」 「い、から・・・」 小さく震える手が、今度こそというようにまた御門に伸ばされた。 「あんたが、して。もう他の誰も、思い出すのも、嫌だ・・・っ」 必死で向けられる目からぽろりと溢れた涙が横に流れ、それがシーツに染み込むより早く上半身を抱え上げられた。そのまま咬み付くようにキスされて、鼻からくすんと泣くような甘い息が漏れる。呼吸から舌から唾液まで、何もかもを奪いつくすようなキスに頭が痺れた。もう、何も考えたくない。 「ん、んう・・・」 ぱたぱたと、悲しいわけでもないのに涙が溢れては頬を伝う。なんでこんなに泣けてくるのか分からなくて、春樹はただ必死で御門の服にしがみ付いた。暫くして、離れた唇がその涙を優しく吸い上げた。 「きーちゃん・・・」 気遣うような視線をぼんやりと見つめ返せば、輪郭をなぞるように頬を撫でられる。その手がつっと首筋を通り、ぞくぞくする。 「本当に、いいのね?」 その言葉にこくりと頷くと、ゆっくりシャツを脱がされた。腕を抜き、背中からベッドに倒される。 「優しくするから」 触れるだけのキスをして、首筋に顔を埋めながら手が脇腹をさすった。ざわりとした感触に腰を上げた春樹から、ズボンと下着を慎重に取り払う。緩く立ち上がったそこが薄明かりに映え、眺めると春樹の目が咎めるように揺れた。 「あんま、見ないでよ」 「だって、嬉しくて」 指先で持ち上げ、先端に軽くキスをする。ビクビクと面白いように全身が跳ね、春樹は切なげな息を漏らした。 「や、だ・・・すぐ、出・・・っ」 竿を舐めながら先端を指先でくじると、まだ完全に立ち上がってはいないのに簡単に精を吐き出した。自分でも驚くほど過敏になっている。触れられた場所全てが、じんじんと熱い。 「可愛い、きーちゃん・・・」 低く言われ、春樹は目を細めて御門を見上げた。少ない光の中でも、その視線が柔らかいと分かる。前身がそれを受け、歓喜している。 「ん・・・っ」 キスされながら太股を撫でられ、自然と足が開く。腹に散った白濁を、再び芯を持ち始めた亀頭に擦り付けられ、そのぬるついた感触に首を振った。 「ま、また出るから、やめて」 「いいわよ。何度でも、いくらでも出せばいいわ・・・」 「っひん、んくぅ・・・!」 囁く声にぞくぞくする。シャツの襟元を掴んで頭を寄せ、春樹はまたぶるりと体を震わせた。 「ほんと、凄い」 愛しくて堪らない春樹の痴態に、自制心が焼き切れそうだ。手に付いた精液を舐め、煩わしそうに服を脱いだ。月明かりに浮かぶその肢体に、春樹の目が揺れた。 「俺を・・・抱くの?」 「そうしたいけど、今日はしない」 両手で顔を包んで額を当てると、その表情が曇った。 「なんで・・・? 俺、平気なのに。やっぱり、気持ち悪い?」 「そうじゃないわ。・・・ホラ」 御門の手に導かれて触れたそこは、布越しでも分かるくらい熱く脈打っていた。赤くなった春樹の目が、一瞬恐怖で泳いだ。 「ね? まだ恐いでしょう?」 気遣われている。そう思うと胸がつきんと痛くなって、春樹はぶるぶると首を振った。 「へ、平気・・・我慢、する」 魅惑的な誘いだったが、御門はゆっくりと首を振ってその頬にキスをした。 「無理させたい訳じゃないの。分かって」 諭すように言えば、春樹は睫毛を伏せて頷いた。正直ホっとしているらしく、無意識に安堵の息を吐く。 「それに、今度は変なクスリなしで、ね?」 だから、と呟いて、御門は己の前をくつろげた。取り出した性器と春樹のを合わせて持ち、擦るように腰を動かした。 「あ、やぁ・・・っ」 「今日は、これで充分」 御門の手の中で、二人のものが擦れ合う。先のくびれを突かれるたびにびゅるりと精を吐く春樹の声が、すすり泣くような喘ぎに変わる。その声に、御門は何度も唇を咬んだ。 「あっや、やだ、いやぁ・・・!」 がくがくと首を振りながらも、腰は貪欲に与えられる快感を受けていた。何度も吐精した所為で腹はもうドロドロで、肌が触れ合うごとにグチャグチャといやらしい音が立つ。 それを恥ずかしがる春樹の顔を覗いて、御門がキスを落とす。 「何が嫌? きーちゃん、すっごく可愛いのに」 唇を吸われ、全身をぞくぞくするものが駆け巡る。それが一箇所に集約して、弾けそうだ。 「んあっあっまた、出る・・・イっちゃ、ああ!」 「ん・・・アタシも、限界・・・っ」 空気を求めるように離れた唇から出る懇願に、御門は動きを早めた。春樹の出した白濁と御門の先走りとが混ざり合い、ぬらぬらと淫靡な光をたたえそれを助ける。 「ああっ! んや、みか、みかどぉ・・・っ」 春樹の手が横に付かれた御門の腕に触れ、弱く掻いた。それを合図のように御門の指がお互いの亀頭を揉むように擦り合わせ、春樹が一層高い声を上げた。御門の動きも止まり、一瞬後に肺からどっと息を吐く。二人して、心地よい疲弊に肩を上下させる。 「きーちゃん・・・きーちゃん、好き」 「俺、も」 何度もキスをしてくる御門の首に手を回し、それをただ甘受する。 「俺も好き。だし、嬉しい」 溶け崩れたような笑顔を浮かべ、春樹はそのまますとんと眠りに落ちた。穏やかで、安心しきった寝顔。 この安息を与えたのは、御門だ。御門はそれが嬉しくて、身を清めてやらなくてはと思いながらも、暫くその寝顔を眺め続けた。 「バカだな、お前は」 翌日、春樹の寝るゼミ室で、御門は夏威にそんなことを言われた。 昨夜の夢のようなできごとも覚めやらない頭に冷水をかけられたようで、御門は終了間際の実験を危うくおしゃかにするところだった。 肉親に手を出したこともあって後ろめたかったが、流石に聞き流せない。カチャリと器具を置いて、春樹に寄り添う夏威と向き合った。 「バカってことはないでしょ。アタシはきーちゃんを気遣ったまでよ」 それにあれは、薬で増長させられた反応だったし。 さっき、部屋に入ってきた途端に「春樹とヤっただろ」と言われた御門は、それがカマをかけられただけだったということにも気付かず、ペラペラと事実を話して弁解した。それを聞いて、元々だるそうだった夏威は更に気だるげにのたまった訳で。 「ハルは元々そういうのに執着ないんだよ。だから飲むと解放されるんだろうけど・・・お前、この先きっとチャンスはないぞ」 その声に含まれる哀れみが演技かどうか、今の御門には判別つかないようだ。わなわなと震えて、夏威の足元に縋り付く。 「おお、お兄様! アタシ、一体どうしたら・・・!」 「知るか。なんで俺が大事な弟の掘られる手伝いなんかしなきゃならねえんだ」 酒でも飲ませてみたらどうだと笑われ、御門は頭を抱えた。 「そんな、そんなこと、したくないわよぉ!」 わあわあと騒ぐから、春樹が小さく唸って目を開けた。隣にいる兄を見て、笑う。 「おはよ、夏兄」 「もう夜だぞ、ハル。帰るか?」 「ん、俺・・・あの、」 目を合わせたり逸らせたりする様子で何を言いたいのか悟るが、悔しいから分からないふりをする。 「今日は何食べようか。な?」 「夏に・・・」 やっぱり可愛い。 「何にやけてんですか、先輩」 「うるせーバカ月。ちゃんと買ってきたのかよ」 なんだか騒がしいゼミ室に入ってきた浅月が、現状を見て肩を竦める。それを蔑むような目で一瞥して、春樹の頭を抱え込んだ。 そんな感じで夏威が意地悪を続けたおかげで、春樹がもう一度御門の言えで朝を迎えるのは、それから一週間もあとのこと。 その時御門はかなり幸せな思いをするのだが、それはまた別の話だ。 終。 |