6. 息せき切って入った部屋で、伊部は女に乗られていた。 入ったほうと、入られたほう。両者共に固まり、伊部だけが呑気に寝息を立てている。その腹の上で女は服をたくし上げるのをやめ、大野を睨み付けた。 「またあんたなの? いい加減にしてくれない?」 明らかに苛立ちを帯びた声で言われ、大野は口を尖らせた。 「そいつ、具合悪いんだろ? どう考えても、あんたがやめるべきなんじゃ・・・」 「うるさいわね! こんなときでもなきゃ貴司とできないのよ! 最近は、誰かさんとばかりシてるから!」 女が派手な顔に鬼の表情を付けて叫んだとき、股下の伊部が小さく唸った。そして瞼を擦り擦り目を開け、上に乗っている女の腰を掴んだ。 「貴司起きた? ねえねえ、やろやろっ」 「・・・太った? 翼」 「なっ!」 寝惚けているらしい伊部の頬を、女が強くはたいた。その衝撃で漸く目を覚ました伊部が目をぱちくりさせ、その顔を見上げる。あら、という顔をして、その豊満な胸に手を伸ばした。両手で掴んで揉みしだき、にこにこと笑う。 「なぁんだ、ミカちゃんじゃん。何ヤってんの?」 「んもう、貴司ったら。あん、すぐそうやって揉むんだから」 「だって、このデカさと柔らかさは他の何にも・・・ん?」 にやけた顔でまた揉んだとき、大野の存在に気付いた。しまった、と顔が笑顔を貼り付けたまま固まり、慌てて女の肩を掴んで押し離した。 「つつつ、翼! お前、なんでここにっ」 「いや、倒れたって聞いたんですけど・・・元気そうなので、帰ります。それじゃあ」 「翼! 待てって!」 義務的に言い、大野は踵を返した。しかし伊部の声で足を止め、少しだけ顔を後ろに向ける。 「・・・やっぱり、そっちのほうがいいんじゃないか」 「あ?」 「なんだかんだ言って女のほうがいいのかって言ってんだ! なんだよ! 俺のほうがずっと可愛いだろ!」 言い切ってから、大野は自分の言葉に自分で驚いて口を開けたまま動かなくなった。その顔がみるみる赤くなり、伊部が何か口を動かしたのを拍子に駆け出した。もどかしい手付きで扉を開けて、下へ降りる階段へと走る。 混乱した。今しがた自分が発したばかりの言葉が、ぐるぐると脳内を巡る。 何を、何を言ったのだろう。産まれたときから言われ続け、途中からはずっと否定してきたことを言わなかったか。 全身の血が一気に顔へ集まる気がして、慌てて両手で包み込んだ。手の平から伝う熱さに、首を振る。 恥ずかしさと情けなさで、死んでしまいたい。駅に着くと、脇目も振らず一気に階段を駆け上がる。そしてポケットから財布を出そうとした手を、掴まれた。 「・・・ちょ、速いって、お前」 「伊部さ・・・」 「なんかすげー告白聞いちまっ」 ぶんっと飛んできた拳を、易々とかわす。 「たな。お前やっぱり自分で」 反対側からきた平手は、勢いを殺して受け止めた。 「も思ってたんじゃねえか。誰よ」 そして再び振り上げられたもう一方の手を悠々と掴み、顔を近付けた。 「り自分が可愛いって。可愛いぜ、翼」 「っるさい!」 つかまれた手を振って、大野は叫んだ。 「うるさいうるさいうるさい! あんたの、あんたの所為だ! あんたが、俺に殴られないから!」 「えぇ?」 苦笑いする伊部から身を引こうとしながら、喚き続ける。 「あんたが、俺を抱いたりするから! 弱った姿なんか見せるから! あんたが・・・っ」 手を振りほどき、体ごとぶつかるようにして伊部の胸を叩いた。それを柔らかく抱きとめ、背中をさする。ひくりっと大野の喉が上下して、弱々しく呟いた。 「あんたが、俺をおかしくするんだ・・・」 「うん、うん・・・分かったから。とりあえず場所変えないか?」 言われて、大野は自分たちが今いる場所を思い出した。時間的に人が少ないとはいえ、駅の改札前だ。ボっと顔を赤くして、伊部から体を剥がす。その慌てふためく表情を見て、伊部が笑った。 「やっぱり可愛いよ、お前」 そんなことを言われても怒れないほど、大野は穴に入りたくて仕方がなかった。 近付いてきた唇を両手で塞いで止めたら、伊部は不機嫌そうに眉を寄せた。それを気丈に睨み返して、少し押すことで体を戻させる。 「なんだよ。ここはこういう流れだろ?」 「なんでだよ。まだ何も解決してないだろ」 帰った部屋に女の姿はなかった。どこに行ったんだと訊くと、伊部は黙って自分の頬を指差した。どうやら寝起きに殴られたところを、もう一度殴られたらしい。爪が掻いたのか、小さい裂傷も見えた。 会話はそれだけで、伊部は大野を抱えるとベッドに放り投げた。そして上を素早く剥かれ、そのままセックスに雪崩れ込みそうになったのを慌てて止めたのだ。 「解決も何も、痴話喧嘩の仲直りといったらこれがセオリーじゃないか」 「痴話って、付き合ってもいないのに、何を・・・」 「はあ?」 大声で聞き返され、大野は思わずたじろいだ。明らかにがっかりした顔の伊部に覗き込まれ、溜め息まで吐かれた。 「ひ、人の顔見て溜め息吐くなよ」 「お前が馬鹿なこと言うからだろ。俺らって、付き合ってんじゃないの?」 思考が停止した。今、なんと言った。 「何・・・それ。俺、知らないけど」 「え? マジ? 付き合ってると思ってたの俺だけ?」 すげーショック、とうなだれる顔を上げさせて、大野は伊部に詰め寄った。 「ば・・・っかなこと言ってんじゃねぇよ! 勝手に人のこと恋人にしてんじゃ・・・」 「好きだ」 ぺろりと出た言葉に、大野はまた固まった。伊部がその顔を両手で包み、溜め息を吐く。 「そういや言ってなかったからな。好きだ、俺と付き合え」 「な、何を・・・」 慌てて下を向く。思わぬ告白に、顔が熱くなる。 どうしよう、と思う。こんな単純な言葉がただ嬉しくて、胸が壊れてしまいそう。泣きそうになり、触れてくる伊部の手を払った。 「や・・・っも、帰る!」 「翼」 ベッドの上で背を向けた大野に後ろから抱き付いて、胸をまさぐった。背中の皮をついばみつつ頬ずりをして、睦言を囁く。 「可愛いよ、翼。見かけだけじゃなく、全部可愛い。好きで好きで、堪らない」 肌に当たる言葉に、眩暈がする。立てた膝がシーツを掴む手に更に力を入れた。 「好きだ。こっち向け、翼。顔見せろ」 胸の中心をいじられて、大野は全身を震わせた。 「だ、黙れ、よ」 「やだね。俺は何度でも言うぜ。好きだって」 「黙れって、言ってるだろ・・・!」 手をほどき、大野は振り向くとぶつけるようなキスをした。 一瞬驚きはしたが、伊部はすぐにその押し付けられた唇を舌でこじ開けて中を蹂躙した。大野の息が上がり、腕が震えるのも無視して口付けを深くしていき、かくん、と首が後ろに折れたのを機にそのまま押し倒す。胸をいじると、ひくりと喉を鳴らした。 「・・・はぁっ」 空気を求めて開かれた口に指を入れ、舌を刺激して吸うように促した。弱く口腔を収縮させ、それに応える。 「・・・翼。翼、腰上げて」 ちぎりそうな勢いでベルトを外し、下着ごとジーンズを引き下ろした。そこから出た性器を掴んで、くすりと笑う。 「何お前、ぬるっぬるじゃん。可愛いって言われて、感じたんだ?」 「あ、あんただって・・・」 指を吐き出し、服越しに伊部のものを膝で押す。伊部が小さく呻くので、大野は気分がよくなった。 「っは、早く、脱げよ・・・っ入れたい、んだろ?」 「・・・まだだめ」 「はあ?」 尻を割り、唾液で濡れた指で皺を伸ばしていく。 「まだ、聞いてない。翼は俺のこと、どう思ってんの?」 二本の指で中をいじられ、大野は小さく震えて伊部の肩にしがみ付いた。 「・・・俺が好きだろ?」 いやらしい水音がして、大野は唇を震わせて細い呼吸を繰り返した。問いかけたきり何も言わずにやにやと見下ろす様に、腹が立つ。 「っあ! やあぅ!」 三本に増やされた指が内部をめくるように動き、大野は高い声を上げて身をよじった。僅かに足りない快感を求めて息を喘がせる大野の頬や瞼に唇を当てながら、伊部は三本の指を大きく広げた。湯気の立ちそうな肉を覗かせて、誘うように蠢いている。 「翼、欲しくない? 好きって言ったら、俺はお前のものになるよ」 「う、うぅ・・・」 ぶるりと首を振る姿に、呆れたような溜め息を吐く。 「なんでこうも強情なのかね・・・」 頭を抱えるように撫でながらキスをされ、大野は潤んだ瞳で伊部を睨み付けた。お、と伊部が身を退く。 「だって、あんた・・・胸のあるほうが、好きなんだろ?」 飛躍した答えに、伊部は一瞬固まってから笑い出した。なんだよ、と怒る大野から指を抜いて、代わりに自分のものをあてがう。大野の喉が、その熱さにひくりと動いた。 「柔らかい胸より、翼の細い腰のほうが好きかな」 ずっと先端が埋まり、息を詰めて伊部の腕を掴む。 「乗られるより、自分から襲うほうが好きだし。あ、でも翼が乗って動いてくれるのは別ね」 「・・・死ね!」 爪を立てて苦しそうに暴言を吐く唇に、優しく触れる。 「他の誰に愛を囁かれるより、翼の悪口を聞いてるほうが興奮するしね」 「この、変た・・・んむっ」 残りを押し込むのと同時に唇を塞がれ、その口腔に甘い叫びを注ぎ込んだ。それを唾液とぐちゃぐちゃに混ぜ合わせながら大野に戻し、舌を好き勝手に動かしてはそれを飲ませた。 飲みきれずに溢れて垂れる唾液を追うように唇を離すと、嬌声が次から次へと飛び出してきた。もっと出せとばかりに、腰使いを強める。 「あっあぁ! あん、ん、ふぁっあっあっあ!」 「つーばさ。こっち見て、こっち。俺の目見て、名前、呼んで?」 「っい、嫌だ・・・っあ、あん、あぁ・・・」 「呼ばなきゃイカせてあげないよ」 根元を握り込まれ、大野が首を振る。そんな強情な態度にも伊部は嬉しそうにし、腰を強く打ちつけた。 「ああん! ん、んあっあ、伊部、さっ」 ぼろぼろと泣き出した大野を見て、伊部は柔らかく笑った。 「仕方ないから、今日はそれで、許してやるよ・・・っ」 正直伊部ももう限界だった。奥までねじ込んでは引き出しを繰り返しながら、お互いを高めていく。 「んぁ! あっや、伊部さ・・・伊部さん!」 「・・・翼。ん、つば、さ・・・好きだ、ぜ」 「俺は嫌い、だ・・・ぁ・・・っ」 きゅうっと奥で喰い締め、大野は全身を痙攣させながら果てた。それとほぼ同時に伊部も中へと放出し、肩で息をする。 汗ばんだ肌を重ねて、二人は深い呼吸を繰り返した。ぺちり、とその背中を叩き、伊部を起こさせる。 「何?」 「何、じゃないよ。終わったんなら早く・・・って、何また膨らませてんだよ!」 慌てて身を引こうとする大野の肩を掴んで抑え、大野はにやりとした。 「明日までに好きって言わせてやるよ。まだまだ夜は長いんだぜ? ・・・ってまだ夕方だけどな!」 「ふ、ふざけ・・・っん!」 伊部は始めに口を塞ぎ、それから抜かずに大野が疲れと快感で何も言えなくなるまで揺すぶり続けた。 おかげで、大野はたった二文字の言葉すら言えないままになってしまった。 「大野? 大野ってば。大丈夫?」 大丈夫なわけがない。寝不足と疲労で体はよれよれだし、なんだかまだ全身が揺れている気さえする。朝方眠っている伊部の横っ面を殴ってやったくらいでは、気が済まなかった。 心配してくれるのは嬉しいが、何か言えば春樹はまた余計なことまで勘繰るだろう。それだけは避けたい。 それなのに。 「あ! 伊部さん」 「げ」 前方を歩く影に、大野は舌打ちした。春樹が手を上げて挨拶するもんだから、向こうも気付いてよってくる。 「おっすお姫さん。それに、翼ちん」 「こんにちはっ」 「・・・っす」 「どうしたんですか、その顔?」 その質問に大野はドキリとし、伊部はニヤリとした。 「いやね、今朝方そこにい・・・」 「女! 女にやられたんだよな? この人、女癖最悪だから・・・な!」 慌てて首を絞めて黙らせると、伊部はおかしそうに笑った。その反応に怒って喚くと、春樹が小さく噴き出した。 「名取?」 「いや、よかったね。伊部さんが倒れたって聞いたとき、大野真っ青になったもんね」 「んなっ」 「へぇ」 「あ! 夏兄たちだ! ちょっと行ってくるね」 爆弾を投下しておいてさっさと走り去る後姿に伸ばした手は虚空を掴み、大野は呆然とした。後ろで黙っている男が嫌でならず、恐る恐る振り返る。案の定、楽しそうな顔をしていた。 「ふうん。翼ってば、随分俺のこと心配してくれちゃってたんだ?」 「ち、ちが・・・っ」 「違わないね。これはもう愛だよねぇ、愛。ん?」 自信満々に言われ、大野は真っ赤になって震えだした。 「ほらほら、好きって言ってごらん。大好きな貴司が元気で嬉しいってさぁ」 「だ、誰が言うか! っていうかお前なんて嫌いなんだよ!」 「黙って欲しい?」 突然ふざけた顔をやめ、余裕の笑みで大野の両肩に腕を乗せた。周りを行く人が、ハラハラした視線を向けては見なかったように去っていく。 「黙って欲しかったら、昨日みたいにこの口を塞げばいい。ほら、その可愛い・・・」 バチン、と音がして、伊部は唇を突き出したまま横に飛んだ。一瞬時間が止まったように人々の足も止まったが、すぐに見ないふりをして通り過ぎていく。 その中心で大野は頬を染めたまま肩をいからせ、伊部を指差して叫んだ。 「可愛いって言うな! 馬鹿!」 ぷりぷりと去っていく大野を、それに気付いた春樹が追っていった。少し遅れて伊部の近くに足音が寄り、止まる。 「何やってんのよあんた。本物のマゾなの?」 「王子」 「それやめて」 伊部は頬を押さえながら体を起こし、大野の後姿を見てにやけた。 「だってあいつ、怒ってるのも可愛いし」 「それがマゾだってのよ。 「それに」 御門の言葉に被せるように言い、手で作った枠に大野を囲い込む。 「あいつの馬鹿とか嫌いって言葉、俺には大好きって聞こえるんだよね」 「・・・病院行ったら?」 伊部は笑い、御門は呆れ果てて仲間の元へと戻った。 その夜、伊部は朝のと今の攻撃をたてに、大野に色々な要求をして楽しむことになる。 そして、やっぱり大野には「可愛い」が禁句であるのだと、翌日には大学中に広まるのであった。 大野が伊部に対して素直になれる日は、恐らくまだまだ先だ。 終。 |