『酒乱と天然の饗宴』

 人肌恋しい季節になってきた。
 それと反比例して、ビールの美味しい季節ではなくなった。
 とはいえ、ビールや酒の類を一切飲まなくなる人間なんていないのだが。酒豪であれば、その酒量は年間を通じて殆ど変わることはないだろう。
 元々一滴も口にしない人間なら、どこにでもいるのだが。
「昼間はまだ暖かいけれど、夜になるとやっぱり寒いわねぇ」
「そう? あったかいよー」
 御門仁成の呟きに、名取春樹は体をぴっとりと付けた状態で応えた。
 そんなに密着していれば、寒さなんてなんのそのだろう。すれ違い様に二人の会話を聞いてしまった幾人かはそう思ったが、恋人である御門はそんなことは思わない。とろけるような笑顔で、頷くだけだ。
「きーちゃんは体温高いものね」
「うん」
 えへへーと笑う春樹の前髪を、御門が引っ張る。春が過ぎようと夏が去ろうと、秋が深まろうとこの二人はいつだってこんな感じだ。衆人から引かれようが、お構いなしに。
 しかし、今夜は普段よりその視線は冷たいものではなかった。というより、過ぎ行く何人かはただの酔っ払いとしか認識していないのである。ここは、夜こそ一層輝く居酒屋ロードだ。
 酒を一滴でも口にすると昏倒する春樹と付き合ってから、御門がここを通るのは久し振りだった。元々飲まないほうとはいえ、今までは付き合い等でよく通っていたのだが。
 今夜だって、酒を飲むのを目的で通ったわけではない。春樹が以前から見たがっていた映画が、この通りにある一件でしか、しかもレイトショーの時間でしかやっていなかったのだ。
 もう終了間際とはいえ、最近の映画館はマイナーな洋画に対して冷たい。吹き替え版ばかりが昼間の時間帯を占領し、字幕版は初めのほうに少しだけか、もしくはいつも深夜帯だ。もう少し、見る側の都合というものも考えて欲しい。
 ただでさえ春樹の家族は御門と付き合うことを良しとしてはいないのだ。それを、こんな遅くに連れ出したりして。その上、夜の外出については黙っているのだ。
「こんなとこ、なっちゃんに見られたら殺されるわ・・・」
「あ、夏兄」
「えぇっ!」
 御門が背筋を凍らせたのと同時、その男はこちらを見た。二人が立っているところから三軒先の暖簾をくぐるところで、もし声を上げなければ気付かれなかったかもしれないのに。
 今更口を押さえてみるが、もう遅い。夏兄こと名取夏威は、目を細めながら二人の前まで歩み寄ってきた。
「おい、てめぇ・・・」
「ご、ごめんなさい! なっちゃん、これには訳が・・・」
「飲むぞ」
「え?」
「俺の酒が飲めないってのか?」
 あぁん、と凄まれて御門は口を奇妙に歪めた。これは、逆らわないほうが吉というものだ。
「そ、それじゃあアタシの家に行きましょ。敬心は・・・」
「あんな奴、知るかー!」
 叫ぶとほぼ同時に飛んできたパンチを、御門は寸でのところで避けた。一瞬の間を置いて、汗がだらりと垂れる。
「き、きーちゃん、いいかしら?」
「いいよ〜。夏兄、こっちぃ」
「おう」
 弟の手招きに鼻息で応え、夏威はのしのしと歩いていった。その後ろ姿を見ながら、御門は長い溜め息を吐いた。
「全く、相変わらず酒癖が悪いわね・・・」
 あんなのを相手できるのは、一人しかいない。歩みを進めながら、御門はこっそりと携帯を開いた。


「いいかぁ、ハル。男の約束なんてものはなぁ、あてにならん!」
「俺らも男だよ、夏兄」
 殆ど舌の回っていない兄にくだを巻かれながら、春樹はのほほんと適当な相槌を打っている。
 夏威は春樹に酒を近付けないようにしていたというから、恐らくその前で飲んでいたということは皆無に等しいだろう。ということは、これは慣れているわけではなく、ただ単に春樹の性格が成せる技か。
 くぴりと付き合いの酒に口を付けながら、御門は苦笑いした。
「なっちゃん、飲みすぎよ。明日に響いても知らないから」
 さっきまで無視していたくせに、夏威は今の言葉には反応して鋭い視線を投げた。びくりとして、思わず正座してしまう。
「うるせぇな。そんなの俺の勝手だろ」
 半分以上残っていたビールを一気に喉へと流し込み、夏威はグラスを高らかな音を立て机に置いた。
 そして四つん這いに移動すると、ほにゃりと笑う春樹の首に腕を巻きつけた。
「おいハル、お前の彼氏はうるせぇなあ。これじゃあ、愛想も尽きるってもんだろ」
「む」
 流石の春樹もこれにはむっとしたのか、振りほどく勢いで首を振った。
「御門さんは最高の恋人だもん。夏兄にだって、そんなこと言わせない」
 むにゅーっと唇を尖らせて怒る弟に、夏威はにやっとして頭をぐりぐりと撫でた。
「最高の人間なんているもんか。こいつにだって欠点の一つや二つや三つ・・・」
「ないもん。絶対ない」
「ふぅん?」
「少なくとも、浅月さんよりは御門さんのほうが凄い」
 その言葉に、夏威は一瞬固まり、御門は舌の上に流した酒をぐっと飲み込んでしまった。ごほげふと咳き込む御門のことを二人は一切見ることなく、恐らくあるはずのないゴングの音を聞いた。
「ほほう、そんなオカマ野郎に俺の男が劣るってか。よく言ったな、ハル」
「言っちゃうよ。だって、夏兄は浅月さんとのデートの帰りはいつも不機嫌じゃない。俺はそんなことないもん」
「で、デートじゃねぇよ! 大体、俺とあいつは付き合ってなんか・・・」
「さっき俺の男って言ったじゃん。夏兄、俺に嘘吐いたの?」
「ちょ、二人とも・・・」
 漸く一呼吸ついた御門が仲裁に入るが、鋭い視線の一閃に腰が退けてしまった。
 それにしてもおかしい。春樹が自分に多大なる好意を向けてくれているのは知っていたが、兄に反旗を翻すような性格はしていない。
 兄のほうにしたってそうだ。夏威は春樹のことを、目に入れても痛くないほど可愛がっている。それを、いくら酔っているとはいえ・・・
「な、なっちゃん・・・貴方一体、どれだけ飲んだのよ・・・」
「知るか。・・・ああ、でもさっきは店の酒がなくなるからと泣いて懇願されたから出てきてやったんだ。どれぐらいなんだろうな・・・」
「は・・・?」
 いや、いくらなんでもそれはないだろう。多分、酔って周りにも迷惑をかけ出したから、店側はそんなことを言ったのだろう。そうであって欲しい。
「ほ、ほら。きーちゃんも酔っ払いのたわ言に付き合わなくても・・・」
 そう視線を向けた途端、御門は自分の目を疑った。その、手に持つものは。
「き・・・ちゃん?」
「何? ああ、このジューシュ美味しいよねぇ〜」
 いつの間にか、チューハイの缶を持っていた。恐らく、ジュースとでも間違ったのだろう。
「よーし、そんじゃあ、お互いの男のどこがいいか、言い合おうじゃねぇか」
「受けて立つにょら〜」
 何故、今夜に限って春樹は酒を飲んですぐ眠りに落ちなかったのだろうか。いや、それよりも。
「なんで今日はいないのよ、敬心・・・」


「あれ? なんか憔悴してない? そんなに飲まされた?」
「お酒はグラス一杯も飲んでないはずなんだけどねぇ・・・」
 壁にもたれかかる体勢で迎えられた浅月敬心は、首を傾げながら靴を脱いだ。
「ごめんね、ちょっと予定が狂っちゃってさ」
 浅月は、ここ数日ゼミの調査で大学を離れていた。本来なら今日の午前中には帰ってくる予定だったのだが、急遽予定が変更されて、それが翌日になってしまったのだ。
「僕の都合ではないんだけどね。夏威先輩が、そんなこと聞いてくれるわけもないからさ」
 そうは言いながらも、浅月は御門からの連絡を受け、一人団体行動を乱して帰ってきた。出先の格好そのままに、寝ている夏威の横にしゃがみこむ。
「あーあ、こんなに酔っ払っちゃって。控えてくださいって言ってあるのに」
「大変だったのよぅ、アタシと敬心とで、どっちがいい男かなんて言い争いだしちゃって・・・」
「へぇ?」
「それにしても、あなたちゃんと好かれてたのね。なっちゃんが貴方の話をするときの顔ってば、ほんと・・・」
 ぱん! と目の前で手を叩かれて、御門は目をぱちくりさせた。その手が左右にのいた向こう側で、浅月が目を細めて笑っていた。
「忘れた?」
「へ?」
「先輩の言ったことも、表情も、仕草も、声も。全部デリートできた?」
「あ、と・・・」
「あれ、できてない? それじゃあ、ちょっと荒療治になるけど・・・人間の脳って、暫く酸素がいかないと記憶障害起こすんだっけ?」
 にっこりと恐ろしいことを言う顔に、御門は見覚えがあった。出会ったばかりの頃の、荒みきった浅月の顔だ。
 ぶわっと背中の毛が一気に逆立つのを感じて、御門は首を庇いながら後ろに跳ねた。
「わ、忘れた忘れたわ! もう、奇麗さっぱり、なんでなっちゃんはここにいるのかしら?」
 両手を広げ、無意識に降伏の意を示す御門に、浅月は今度は普段の笑みで返した。
「そ? それじゃ、連れて帰るね」
 ぶんぶんと首を縦に振る御門に手を振って、浅月は夏威を軽々と持ち上げた。自分よりは少しばかり大きい、夏威の体を。
「ん・・・あさ、づき?」
「起こしちゃいましたか? まだ寝てていいんですよ」
「・・・キス、しろ」
「はい」
 甘い空気を部屋に散らすだけ散らして、浅月は夏威を腕に帰っていった。
 その足音が遠ざかり、もうなんの気配も残らなくなったところで、御門は額に手を当てながらふらふらと奥の寝室へと入っていった。
「きぃちゃん・・・」
 唯一の癒しは、御門が夏威の彼氏自慢を聞かされ始める少し前から眠っていた。結局兄との口げんかは10分と持たず、ノロケ足りない夏威の矛先は御門に向かったのである。
「アタシ、もう疲れちゃったわよ・・・」
 学内では最強と謳われる御門仁成も、春樹と夏威、そして過去モードの浅月の前ではただのへたれになってしまう。それを知っているのは、恐らく学内ではあと二人だけだろう。
 はふ、と溜め息を吐いて、御門は春樹の体に覆い被さるようにして目を閉じた。部屋の片付けは残っているが、もう1ミリもやる気が起きない。
「全く、ラブラブなカップルほど面倒なものはないわね・・・」
 自分たちのことは全部棚に放り投げ、御門は眠気の誘いに乗っていった。


 カーテンの隙間から入る日差しに、春樹は唸りながら目を開けた。瞬間、尿意を感じて上半身を起こす。
「あれ?」
 太股の上辺りに、御門が布団にも入らず寝息を立てている。なんだろうと思ったが、体を起こしたことで尿意が増し、春樹は慌ててベッドを降りた。反動で、御門の体が床に倒れる。
「あ」
 一度振り向きはしたが、覚醒した様子もないし、と春樹はトイレに走った。
「ふぅ、すっきりした」
 爽快に朝の訪れを感じながら、春樹はリビングに向かって目を丸くした。なんというか、凄い。
「御門さん、昨日一人でこんなに飲んだのかな?」
 昨夜春樹が口にした酒は、一口で彼を昏倒させることはなくとも、前後の記憶を洗い流すくらいの作用はしたようだった。兄に反論したなんて記憶、なくしてよかったのだろう。
 ちなみに、兄の夏威も御門たちと居酒屋の前で会ったこと以外は全て忘れているようだった。おかげで免れたかと思っていた罪に御門が殴られるのは、夏威の二日酔いが治ってすぐのことだったそうだ。





終。
09.10.13


mako様リクエスト、「浅夏で御春が呆れるほどのラブラブっぷり」・・・でした。
どうしたら4人で飲むことになるかでかなり苦労し・・・
結局リクエストに殆ど応えられない結果になってしまったことをお詫びします。
44,444hit、ありがとうございました!