『離せぬ手』 ひやりと冷たい感触を感じた瞬間、栄一は自分でも驚くほどの速さで身を翻し、その冷たさの原因を掴んだ。うわ、と慣れ親しんだ声を耳にしたが、気にするものか。いささか乱暴に声の主を引き倒し、マウントポジションへ。ぱちくりと瞬かれた瞳が悔しそうに笑うのを眺めてから、栄一は満足気に笑みを浮かべた。 「毎回、そう上手くいくと思うなよな」 「酷いですね。寝たふりですか?」 「武士たるもの、いついかなるときも油断してはならないのだ」 大業な口調で言ってのけると、股の下で腹が動いた。笑われたことにムカっとして、そこに体重をかける。 「く、苦し・・・ギブ、栄一さんギブ・・・」 「うるせ。暫くそこでそうして・・・」 ガチャリという音とともに、振り上げたはずの腕が制止した。あれ、と栄一が目を向けた方向に、眼下の人物も不思議そうに目をやる。そしてお互いに、口を開いた。 「あ」 本宮栄一と三角渓夜は、男同士でありながら付き合っている。一応隠してはいるものの、お互いしかいない場合は大いにいちゃつき、半ば同棲常態ともいえるような生活を送っている。 しかし元来プライドだけは高いのか、栄一はなかなかセックスに対してだけは否定的で、そのことで毎回のように喧嘩しているといっても良い。 いいムードになって行為に至るということは稀で、大体が栄一の好きな酒を飲ませての行為だったり、耐え切れなくなった三角が襲い掛かったりで始まる。 たまに栄一から仕掛けてくることもあるのだが、それは何かしら三角に対して後ろめたいことがあるときだ。それを知っているから、三角も存分にいじめたりする。 例によって三角が今夜とった策は、寝ている隙に手錠でベッドに拘束してやっちまえというもので、栄一は幾度となくそれに引っかかっていた。しかし今回は眠りが浅かったのか、思いもよらぬ反撃に遭ったというわけだ。 感覚だけを頼りに三角の腕を取り、逆に手錠をはめてやった。 ここまではよかったのだが、やはり慣れないことはするものではない。 三角の右手首にかけられた手錠の片割れには、栄一の左手首が収まっていた。 「あーあーあーあーあー」 「うわぁ、見事に嵌っちゃいましたね。手首までぎっちりじゃないですか」 「おま、何を、冷静、にっ」 「だってほら、俺には鍵が・・・」 勝ち誇ったような笑みを浮かべる三角の言葉に栄一も安堵したが、長いことポケットをまさぐっている様子に眉を顰めた。 「渓夜?」 「あは、ないです」 自由な左手を上げておどける三角の顔に、栄一の右ストレートが炸裂した。笑顔のまま、三角が枕に沈む。 「ないってなんだよ! お前、俺のこと繋げっぱなしにするつもりだったってのか?」 「落ち着いてくださいよ。ちゃんとあの机の上に・・・」 そう言って起き上がろうとして、三角の体が止まった。訝しむ栄一の目に、信じられない光景が飛び込んできた。 手錠の鎖の真ん中が、紐でヘッドボードに結ばれている。 「・・・っ、・・・・・・!」 もう言葉も出ない栄一を下から眺め、三角はにへらと笑った。 「どうします?」 「どうしますもこうしますも、動けないんじゃ・・・っ」 服の上から胸をまさぐられて、栄一は言葉を飲み込んだ。いたずらっぽく口角を上げる三角を、信じられないというように見下ろした。 「何、考えてんだよ」 「どうせ動けないんですし、暫く楽しみましょうよ」 「はぁ? そんな悠長なことを言ってられる訳が・・・」 そこで栄一は再び言葉を飲み込んだ。不意に抵抗を止めたことに首を傾げる三角を、蔑むような瞳で見る。 「お前、本当は鍵持ってんじゃないのか?」 「え?」 「おかしいだろ。こんな状況で、普通そんなことできるか?」 至極真っ当な意見だが、三角は真面目な顔で否定した。手を顔の横に持っていき、横に振りながら潔白を口にする。 「本当に持ってませんってば。いざとなったらベッドを壊せばいいだけの話ですし、どうせならこの状況を楽しもうと思っているだけです」 最後のほうは本音だろう。しかし、あやしすぎる。栄一は体を浮かすと、三角の尻ポケットを探り始めた。 「っちょ、くすぐったいですよ栄一さん。あ、だめ、そこはいやぁん」 「気持ち悪い声出すなっての。おら、腰浮かせ」 三角は特に抵抗もしなかった。それどころか協力的であったため、栄一の探索活動は容易に進んだ。 念には念をと三回調べたところで、栄一はがっくりと肩を落とした。どこにも、鍵らしきものはなかった。 「ね、なかったでしょう?」 誇らしげな顔を睨み付け、栄一は拳を握り締めた。 「お前な、状況分かって・・・」 「分かってますよ。まぁ、悩んでても仕方ないですし?」 「やめ・・・っ」 栄一は乳首が弱い。いや、三角に弱くさせられた。長い時間をかけて、じっくりと、ねっとりと。 親指の腹で潰されるようにねぶられると、途端に腰が砕ける。その刺激は、服の上からでも充分だ。 「けい、も・・・」 「もっと、ですか?」 その言葉ではっと我に還るが、逃げようにも手が拘束されていては仕方がない。くっと唇を咬んで頷くと、意に反して三角は手を離してしまった。 「なんで、やめるんだよ」 「左手じゃうまくできなくて。まず、脱いでもらってもいいですか?」 「は?」 「ほら、この通りですし。それともやめますか?」 手錠に繋がった手を強調され、栄一は口をぱくぱくさせた。 そうだ、こんなことをしている場合ではない。 しかし、火を点けられた体がそう簡単に落ち着くわけもなく。目を伏せたまま暫く動けずにいたが、覚悟を決めたような顔で右手を服にかけた。 「いい光景ですね」 「・・・ばかじゃねぇの」 皮肉にも力がない。してやったりとばかりに三角は微笑み、開かれた服の間に手を入れた。 「んっ」 いつもとは違う指の動きに、じれったいのか栄一は上半身を揺らす。それを尻目に、三角は適当に弾くだけだ。 「おい・・・」 「すいません、もどかしいですか?」 図星を指され、栄一は身じろいだ。 「そういえば、これじゃあ入れることもできませんね」 「え?」 「まあ、こんなことしてる場合じゃありませんし? 少し楽しんだら、解決策を考えましょうか」 「えぇ?」 こっちはもうすっかり出来上がっているのに。少し楽しむ程度で、これが治まるなんて思えない。 「それにこんな状態じゃ充分に慣らしてあげられないですし。栄一さんのためにも、最後までするわけには・・・」 「そんな・・・っ」 思わず漏らした言葉に、栄一は口に手を当てた。しかしもう遅い。三角は嬉しそうな笑みを浮かべ、腰を動かした。 「どうしてもって言うなら、栄一さんがどうにかしますか? 幸い、潤滑剤はここにありますし?」 ここ、と三角が指差したのは、栄一の足の間だった。何を示されているのか暫く気付けず、悟った瞬間に栄一の顔が真っ赤に染まった。嫌だ、と首を振る。 「そんなの、嫌に決まってるだろ・・・」 「じゃあ、しなくてもいいですけど」 どうしますか? 挑発の視線に、栄一が逆らえるはずもなかった。 「ん、っは・・・」 「たくさん出ましたね。気持ちかったですか?」 ぶるりと身を震わせながら、栄一は微かに頷いた。まだ先端から白いものがじわりと出てきて、それを押し出すことで気持ちよさが腰から全身に伸びていく。自分で出したのなんて、いつ以来だろうか。 「ほら、何余韻に浸ってるんですか。早くしないと乾いちゃいますよ」 急かされて、栄一はぼやけた頭で三角の腹にぶちまけたものに指をつけた。掬うように乗せ、上げた腰の下に滑り込ませる。 殆ど体を密着させた状態で服を脱ぐのは、辛いことだった。なんとかお互いの下は裸にできたものの、栄一の服は左手で丸まっているし、三角の服は前を開けておくだけになった。その腹の上で自慰をさせられるのは、この上なく恥ずかしいことだった。 「・・・自由になったら、覚えとけよ」 半ば涙目になりながらも、体の疼きを抑えられるわけでもない。自ら吐き出したものを尻の間に擦り付け、受け入れられるよう指を動かした。 「うまく、できない・・・」 「やめますか?」 栄一が弱音を吐くたびにこうだ。俺が頼んだわけではないんですよ、とその目があざ笑う。 そうされると、なんだかムカついてくる。この状況は明らかにお前が作ったくせに。いや、違う。結果的に最悪の状況にしてしまったのは、自分だ。 「そうやって栄一さんがいやらしい顔をしているのを見るのが、俺は一番好きですよ」 「・・・黙ってろ」 腰を上げて、三角の固くなったものを掴んだ。手に少しだけ残った精子を擦り付け、そろそろとあてがう。この熱さを感じるまで、なんだかかなり時間がかかったような気がする。 「ん・・・」 鼻から空気を漏らしたとき、三角の左手が動いた。腰を引き寄せられ、腹の上に乗せられる。 「何す・・・」 「まだ駄目でしょ。痛いのは栄一さんだよ」 中指と人差し指を合わせて舐め、栄一の後ろに手を伸ばした。 「も、もういい!」 「駄目ですってば。ほら、自分で開いて」 ぺちぺちと尻の肉を叩かれ、栄一は渋々と言った風に右手でそこを開いた。冷たくなった唾液をまとった指が、そこに忍び込む。 「ひぅっ」 思わず腰を引くが、三角の手は追いかけてこなかった。顔を窺えばにやにやとムカつく笑いを浮かべるばかりで、栄一は唇を咬みながら元に戻す。 「いい子ですね」 諭されるような言葉に胸を拳で叩くが、三角は笑うだけだ。 相変わらずもどかしい動きで長いことくちくちといじられ続け、栄一が抗う気力をなくした頃、その音は耳に滑るように入ってきた。 「え?」 カチャリ、という金属音に栄一は正気を取り戻すが、既に遅かった。素早く伸びてきた手に自由だった左手も拘束され、後ろに倒されてしまった。そのまま片足だけ高く上げられて、横から一息に貫かれた。内臓を抉られるような衝撃に、涙が滲む。 「あ、くぅ・・・」 強い衝撃と痛み、そしてそれに勝る快感に背を反らせたところで、三角に唇を塞がれた。整えようと息を吐き出すこともできず、酸欠で頭がぼんやりする。 「っふは! 何、なんで・・・っ?」 「ごめんなさい、栄一さん」 殊勝に見せて狡猾な三角の笑顔に見下ろされて、漸く自分の置かれている状況を客観的に見ることができた。何故、離せないと言われた手錠が外され、それどころか自分の両手を拘束しているのだろうか。 頭が混乱する。しかし、体の奥は待ち望んでいた熱に抉られとろけそうだ。 駄目だ、考えろ。そう頭を振って自制心を取り戻そうとするのを、三角の腰使いがあざ笑うようだ。 「んぁ、は・・・」 「実はこれ、鍵穴も鍵もあるんですけど、ただの飾りなんです。本当のロックは、これ」 そう言って鎖の間を引いて寄せた手錠を目の前に掲げられた。 鎖に繋がっている、若干太い金属の部分。正面には鍵穴らしき小さな穴がある。三角が指したのは、側面についている小指の爪くらいのでっぱりだった。 「ここを上下させるだけで簡単にロックがかかるんです。勿論、鍵を使って動かすこともできますけど」 そのほうがリアルでしょう、と三角が笑うのに、栄一は顔から血の気が引くのを感じた。また、騙された。 「あ、怒ってます? でも、興奮したでしょう?」 悪びれもない。わなわなと唇が震えたが、こんな体勢では暴れても疲れるだけだ。それに、一番気持ちいいところを挿されたままでは力も入らない。 悔しさや苛立ちで顔に朱色が戻ってくるのを見ると、三角はにっこりと笑って栄一の腰を掴んだ。よいしょと太股を割り込ませるようにして、結合を深くする。 「怒らないでくださいよ。そんな小さな怒りも忘れるくらい、気持ちよくしてあげますから」 「これのどこが小さな怒り、っだ、」 「ん、ここですよね。栄一さんの好きなとこ」 「ちがっ」 いやらしく腰を振るくせに、違うも何もない。三角は訳知り顔で頷くと、突然力任せに突き上げ出した。んぎゅ、と空気を呑むような潰すような音を喉から出して、栄一は仰け反る。強すぎる快感に、息を吐き出すことも忘れてしまった。 「栄一さん、口開けて。死んじゃうよ」 隙間から泡のように漏れる唾液のぬめりを借りて、唇を開かせ歯列にねじ込ませた。そのまま呼吸を確保させようとしたところで、皮を破られるかという力で噛み付かれた。意趣返しかとも思われたが、栄一はぶるぶると震えたままこちらも見ていない。三角はにやりと笑い、くっきりと痕の残った指を引き抜いた。 「咬み癖のある犬には、躾が必要ですね・・・」 「っや、もういや、だぁ!」 漸く意味の成せる言葉を吐いたかと思うと、それが最後だった。ぎゅうぅ、と中を強く締め付けるや否や、性器から白いものを吐き出して動きが止まった。絡みつく肉に三角も射精し、瞬間糸が切れたかのように力の抜けた栄一の体に覆い被さった。二人分の熱く重い息が、部屋に充満していく。 「ん、栄一、さん。気持ちかったです、か?」 汗の浮く額から髪を外してやりながら、そこに唇を押し当てる。 「あれ?」 いつもなら罵倒の一つでも漏らされるところだが、それがない。そんなに怒っているのかと顔を覗き込んだところで、青褪めた。 「え、栄一さん!」 セックスの最中に失神するのは、快感も大きな理由の一つだそうだが、もう一つ原因があるという。強い快感の中で呼吸が困難になり、酸素の足りなくなった脳が体に危険信号を出して失神させてしまうのだとか。 今回の場合は、明らかに後者であろう。 「栄一さん、起きて! 栄一さーん」 頬を叩いたり揺らしたりしてみたが、栄一は一向に目を覚まさなかった。 気持ちいい夜明けだ。カーテンの隙間から差す朝日の中で伸びをしながら、栄一は首をこきこきと鳴らした。 昨日は三角が大学のレポートをやるから先に休んでいてくれと言われその通りにし・・・その後の記憶がない。そんなに熟睡してしまったのだろうか。それにしては、体が重いような。 不思議に思いながら大きな欠伸を一つして、いつもなら伸びてくる手がないことに気が付いた。きょろりと周りを見回して、ベッドの端に髪の毛を見つけた。何故そんなことになっているのかは分からないが、三角がベッドに寄りかかって寝ている。 「渓夜? おい、何してんだ?」 「う、うぅ・・・栄一さん、ごめんなさい・・・」 「は? 一体なんの夢見てんだよ」 疑問を口にしたところで、三角の手に手錠が乗っているのに目がいった。 なるほど、またこれで俺を嵌めようとして、寸前で力尽きた訳か。 勝手な解釈をして、栄一は顔を洗いに行こうとベッドを降りた。体は重いが、なんだかすっきりしているような気もする。少しばかりいい気分だ。 「今日は遠出でもするかな」 栄一の体を心配するあまり三角が憔悴しきったことなど知らず、栄一はまた欠伸をしながら部屋を出て行った。 そして因果応報ともいうのか、自業自得ともいえる罰を負った三角は、その日中栄一の目が覚めない悪夢を見続けたのであった。 終。 09.08.03 白玉様リク「『怯える獣』焦らしプレイ」でした。 え? こういう焦らしプレイじゃないって? |