7. 気まずい。 本宮栄一は、薄暗い部屋の隅にあるベッドの、そのまた更に隅の方で小さく縮こまりながらそんなことを思っていた。視線は、さっきから水音の続いている浴室から漏れる明かりに釘付けである。中の人物に早く出てきて欲しいのか、はたまた一生出てこなければいいのか、栄一自身よく分からないでいた。 正直、混乱しているのだ。 嫌いだったはずの人物から告白されたのはつい数時間前。なんやかやと面倒だった試合の後片付けも終わり二人仲良く肩を並べて帰ってきてみたものの、その間の会話は実に空しいものだった。栄一は一人で空回るし、相手は始終嬉しそうな顔で相槌を打つだけで聞いているのかすら分からない。結局馬鹿らしくなって黙り込めば、二人の間には妙な空気が湧く始末。なんとも気まずいまま家に着いたが、栄一はこのままでいいものかと思案していた。 この部屋の主は今シャワーを浴びている訳だが、その浴室のタイルにはさっきまで栄一が立っていた。待っている場所はベッドの上だし、つまりはもう準備万端のいでたちである訳で。 確かに最近嫌ではなくなっていたものの、今日からは明らかに拒否の姿勢は取れない。受け入れたのだから、そうなるのは自然と言えた。 「何ぐるぐる考えてんですか、栄先輩」 そこまで考えたときふと頭上から音がして、栄一は弾けるように顔を上げた。湯上りで肌にうっすら汗を浮かせた三角渓夜が、ミネラルウォーター片手に見下ろしている。その顔は、前によく見た嗜虐的な色を浮かべていた。 「なんか逃げてるし。今更やっぱ止めたなんてなしですからね」 「別に・・・逃げてなんか」 そう言って目を逸らす男はまた少し後ろに下がり、三角は小さく溜め息を吐いてそのベッドに手を付いた。ギシ、という音が、目の前で小さくなる男の心を表しているようだ。 「緊張するのは構いませんが、この間までは普通にしてたじゃないですか。往生際が悪いというか、決心が鈍いというか」 「こ、の前までは・・・脅迫だっただろ」 「途中からは合意でしたよ」 「っ! 馬鹿言うな!」 手元にあった枕を投げつけられ、それを片手で軽くいなす。ぽそりと落ちたそれに栄一が一瞬気を取られている間にペットボトルを放り、やや強引に手を引いた。体の前で方向を変えさせ、後ろから抱くようにして座り込む。 「合意だったでしょ。自分から腰振って、足りなけりゃ舐めて可愛くおねだりしてくれたじゃないですか」 後ろから耳朶を食みながら言ってやると、そこがみるみる熱くなるのが舌で感じられた。熱を持ったそこは舐めるたび甘くなるようで、三角は何度も吸ってはその感触を楽しんだ。そうしている内に、腕の中の体が小さく縮み震えだした。 「栄先輩?」 「な・・・んで、んな意地の悪いこと、言うんだよ・・・」 覗き込めばその顔は真っ赤に染まっていて、三角は嬉しさを隠すことなく微笑んだ。 「いいじゃないですか。そういう淫乱なとこ、好きですよ」 耳の裏の薄い皮に吸い付くと、その肩はぴくりと跳ねる。 「栄先輩は気持ちいいことが好きなんですよ。好きで、だから逆らえなかった。それでいいじゃないですか」 気持ちなんて後付でも構わないでしょう。 そう言われ栄一が不満そうな顔を後ろに向けると、その先にいた三角の唇が栄一のそれに押し当てられた。 「色々考えて躓いちゃう栄先輩も好きですが、とりあえず今は大人しく抱かれてくれません? 俺のっていう証拠、付けたいんで」 「・・・馬鹿じゃねえの」 悪態を吐きながらも、栄一はそのキスが深くなるのを拒みはしなかった。 なんだか上の空だ。 そう感じながらも、三角は白く汚れた栄一の腹のその最奥に強く吐精した。 二人分の荒い息が部屋に充満し、肌に触れて液化すればどちらの汗とも分からないものと混じりシーツに落ちていく。この重く湿った空気が、そこで感じるセックスの後の時間が、三角は好きだ。 イった直後で快感の余韻に陶酔した栄一の顔をじっくり眺めることが好き。全身余すことなく敏感になっているのか、少しの空気の振動にさえ粟立つ肌をこっそり撫でることも、額に貼り付いた前髪を一本一本剥がしてやることも、三角には幸せの瞬間だ。そして何より、自身を埋めた肉の壁がゆっくりとしかしねっとりと絡みつくように律動するので、いつまでも抜くのを躊躇わせた。 そうやっていつも通り栄一の体を味わいつつも、行為の最中に感じた不安を拭えないでいる。 「・・・後悔、してるんですか?」 「え?」 「後悔というよりは、罪悪感ですか? さっきから上の空で、なんとも気分が悪いです」 怒っているというよりは拗ねている三角の顔に手を伸ばし、しかし体勢が原因で届かない。栄一は繋がったまま無理に体を起こし、一瞬だけ辛そうな表情をした。 「可愛いこと、言うのな」 「はい?」 虚を衝かれたというような三角の頬を軽く撫で、笑う。 「だって、最初の時と違って随分殊勝になったじゃん。お前、ただの子供に見えるよ」 そう言って笑う栄一に、年上の余裕が垣間見えて三角は少しだけ苛立った。誰の所為でこんな不安に駆られていると思っているのか。そうしてだんまりを決め込むと、栄一は鼻から息を漏らしてその額をこつんと額で叩いた。 「罪悪感っていうよりは、自己嫌悪かな」 言われ、三角の顔が引きつった。栄一の肩を掴んで離そうとし、意外に強い力にそれを阻まれる。不満も露わにねめつけると、またくすくすと笑われた。 「俺、知ってたって言ったよな、柚木さんの気持ち」 「・・・はい」 「最初は、応援してたよ。お前のことも考えて、それが最良だと思ったし」 そうだろう。結局栄一は自分の事は棚上げできるのだ。それが嫌で、自分だけを見て欲しくて乱暴に奪ったのに。 繋がってどろどろな部位を想像しながら目を閉じると、体温だけは近くに感じる事ができた。 「でも・・・知りながら俺はお前との関係に終わりを作れなかったし、今もこうして続けてる。俺さ、」 「もういいですよ。なんか聞きたくないんで」 「聞けよ」 首を振って逃げようとした三角を両手でしっかり押さえ、栄一は無理矢理に目線を付き合わせた。不安な翳りがその奥に浮かび、そしてたゆたう。 「だからさ、つまり・・・」 合わせておいて、栄一は恥ずかしいなと言って一瞬視線を逸らせた。しかしすぐ戻し、告げる。 「三角が誰か他の人と話すの嫌だなって思ったんだ。これって立派な嫉妬だろ? だからさ、お前が不安になることは・・・」 そこまで言って、栄一は急に焦ったように息を詰めた。繋がったままの下半身に目をやり、再び三角を睨む。 「俺、結構大事な話をしてるつもりなんだけど」 「・・・栄先輩が、悪い」 「なんで俺、っん、あっ」 下から緩く突き上げられ、さっき放たれたものが泡となって溢れ出し竿を伝って三角の下生えを濡らした。ブクブクという卑猥な音に眉を顰めるが、二度目ということもあり栄一の体はいとも簡単に熱を溜め始める。恨みがましく三角を見たのも数秒だけで、その口が胸の突起を甘咬みした時にはうっとりと目を細めた。揺られるたびに体は色を鮮やかに乗せ、声は甘く部屋中に木霊する。 痛いような切ないような、体の奥底から湧き上がる快感に身を委ね、その本能が求めるまま栄一も腰を揺らした。その姿を下から眺めながら、三角が唾を飲み込む。 興奮が伝染する。共鳴し、高めあって拡散してはまた集結するような。お互いがお互いを獣のように貪る様が、栄一には何故かおかしくも嬉しくもあった。 「あっや、みす・・・三角、」 「栄、せんぱ・・・」 縋る声は耳に甘く響いて、三角は膝に乗る恋人の右手を己の左手で絡め取った。その指に握り返す力が加わったのを感じ、愛しさの衝動で反対の手を腰に回し強く抱き寄せる。緊張か高揚か。とかく少し身が強張ったその体を掻き抱きながら、その奥が今にも弾けそうなのを悟る。それに伴い、自分の奥も更に熱を蓄え始めた。 「みすみ、もっと・・・もっと、強く、しろよ・・・っ」 その切羽詰った声に、腕の中の人物も自分と同じくらい求めているのだと分かり、嬉しくなる。繋いだ手はそのままに押し倒すと、栄一の頭が壊れたようにがくがくと揺れるのもお構いなしに乱暴に突いた。嬌声は、三角の興奮を煽るだけだ。 「ひあぁ・・・みす、み・・・みすみっ」 「・・・まえ、名前呼んで、栄先輩」 突くたびに栄一の先走りがその腹と三角の腹の間に白く細い柱を作り、そして崩れた。繋げた指は、もう力なく惰性で絡んでいる。 「けい、や・・・」 呼びなれない名を口にすると、見下ろす男は嬉しそうに口元を歪めた。それを見て、栄一も腰が浮くような幸福感に包まれる。 「渓夜・・・っ、けい、・・・っ」 「栄先輩・・・ね、泣かないで」 言われるまで、自分が泣いているなんて思ってもいなかった。しかしぼやけた視界で見る三角は、確かに眉を下げ心配そうにしている。 「だい、じょぶだよ・・・簡単にゃ、壊れないからさ・・・」 「・・・好き、先輩」 耳元で熱っぽく言われ、栄一は恥ずかしくなり首に手を回して抱き寄せた。それでも、三角の告白は止まらない。 「好き、好きです先輩。栄先輩が、好き・・・」 俺も好き、とはなかなか言い出せなくて。口にする代わりに首筋を唇で挟んだら、返事の代わりなのか同じ場所を咬んできた。 鋭い痛みが、切なさに摩り替わる。 「けい、も・・・イク・・・っ」 絶頂に合わせて呼吸を求め開いた口を、三角の唇に奪われた。全身が戦慄くような快感、頭が痛くなるほどの息苦しさ。 死ぬのかもしれない。でも、それも悪くない。 腹の下に本日二度目の熱を感じながら、栄一はそんなことをぼんやりと思った。 死にはしなかったが、三角の独占欲はあからさまになった。 学食で空になったジュースの紙パックを弄びながら、栄一は左手に光るリングを見て苦笑いした。昨日押し付けられる形で渡されたそれは、三角の愛情の権化であるとともに栄一には一種の鎖のように感じられた。嫌なものではないが、少し腰の座りが悪い感じだ。気恥ずかしいというのが、一番近い感情なのかもしれないが。 ぱこぱこと膨らましてはストローの先でパックを揺らす。そのパックを突然押し潰されて、栄一は吹き込む空気にむせた。 「っく、かほ、ゆむ・・・何すんだよ、お前」 「人の話聞いてないからだ、あほ」 パックを離し食事を再開した湯村は、不満げに本日の定食の一部であるキャベツの千切りをぶちぶちと突付いた。それを見て、栄一は苦く笑う。無視するつもりは、ないのだが。 「ごめん、なんだっけ?」 「・・・三角。恋人ができたんだってな」 「ああ・・・そうなの?」 「そうなのってお前。知らないのか?」 全然、と返せば、湯村は呆れたように肩を竦めた。 「三角がウチの美人マネージャー蹴ったのは美人の彼女がいるからだ・・・っての、有名な噂だぜ」 「なんで美人って分かるんだよ」 「あいつの彼女だぜ。しかも柚木を振ったとなると・・・」 見たことあるんだろ、と言われ栄一は黙って首を振った。 「いるのだって今知ったんだし」 「ふうん。・・・なんか怒ってる?」 「別に」 そうは言ったが、ストローを咬むのは止められなかった。キシキシと独特の風味を滲ませながら薄くなっていくストローは、栄一の心を少しも晴らしてはくれない。 恋人と聞いて始めに噂されるのが女だということがムカついた。仕方のないことだとはいえ、気分がささくれ立つ。 ふてくされて顔を伏せそうになったとき、後ろから肩を叩かれた。 「お、噂をすればだな」 「・・・渓夜」 「こんにちは、キャプテン。栄先輩、借りてもいいですか?」 「あ? おお、いいぜ」 ぱたぱたと手を振り、しかしちょっと待てと身を乗り出した。 「お前、奇麗な彼女ができたらしいじゃないか」 「キャプテンこそ、美里さんにアタックしてるとか」 「ばっ誤解を招くようなことを言うな!」 「誤解・・・なんですかねぇ?」 三角に笑われ、口をぱくつかせる湯村を置いて栄一はさっさとトレイを片付けに立ち上がった。三角が、その後を慌てて追う。 「どうしたんですか栄先輩。どこに・・・」 「人気のないとこ」 「え?」 動揺しつつもついてくるだろうと踏んでいたので、栄一は振り向きもせず出口に向かった。 第三講義棟。そこの、いつかのトイレに入るなり、栄一は三角の首に抱きつき咬み付くようなキスをした。感知式の電気が点くよりも早かったその行動に面食らいながらも、三角はその体を抱えるように引きずり個室に自分ごと押し込んだ。栄一が求めるだけキスをしながら蓋の降りた便座に座らせ、頭や肩を撫でながら落ち着くのを待つ。やがて、熱を持った空気を吐きながら栄一の顎が引かれた。 「・・・どうしたんですか、いきなり」 「したくなっただけだ。悪いか」 「嬉しい限りですよ」 そう笑いシャツをたくし上げようとした手を止め、栄一は三角の襟ぐりを掴み引き寄せた。疑問符を浮かべる三角の目に欲情し潤んだ目が映る。 「俺がやる」 宣言し、動くなよと命令してからシャツのボタンを外していく。下まで外し、そこからゆっくり開いてその奇麗に筋肉のついた腹に舌を這わせた。舌のざらついた感触に三角はむずがり、笑って栄一の頭に手を置いた。 「ほんと、どうしたんですか?」 戸惑うようでもなく、至極嬉しげにその手を動かした。栄一は黙って舐め上げていき、その舌が冷たい金属に触れたところで急に止まった。銀の鎖に通された、自分の左手に嵌るものと全く同じデザインの指輪。それを凝視したかと思うと、栄一はシャツを掴む手に力を入れ、それを寄せて俯いた。 さすがにおかしいと思った三角が顔を上げさせようとすると、震えた声が吐き出された。 「好き、だからな。ちゃんと、渓夜のこと・・・好きだからな」 散々渋っておいて、いざ口にすると胸が鳴り過ぎてうるさいほどだった。 それにも構わず言い続けていたら、突然息が詰まるくらい抱き締められた。 「けい、」 「俺を、殺す気ですか・・・!」 「・・・それも、いいかな」 でも死ぬ前に、俺も咬み殺してくれなきゃ困る。 そう言おうとしたが、少し体を離した瞬間に唇を塞がれてしまった。優しい動きで、唇が割られ、歯列を開け舌が舐め取られる。情交をほのめかすキスに、栄一は全身の力が抜けていくのが分かった。 「あ、ふ」 かくんと落ちた手を掴み、肩にかけさせながら三角はもう一度栄一を抱きすくめた。 「好きですよ、栄先輩」 俺も。 今度は口にしなかったが、小さく震えた体が答えだなと、栄一は思った。 終。 |