5.

 近頃、本宮栄一は困惑していた。
 何に。後輩、三角渓夜の態度に。
 三角は栄一の二つ下の後輩で、同じ大学のバスケ部に所属している。その先輩後輩という関係が壊れたのは始まってから一ヶ月足らずのことで、理由は三角が栄一を襲ったことである。襲ったと言っても、何も蹴った殴ったというものではない。文字通り、肉体関係の強要という類のそれである。
 男に体を拓くというのは並大抵の苦痛ではなかったが、今の栄一はそんなことを悩んでいるわけではなかった。行為自体は、諦念してからこっちさほど嫌なものではなくなってしまったからである。
 人は耐え切れそうもないほどの嫌なことがあった場合、時折犬に咬まれたと思って忘れるなどという言葉を使うものだが、栄一にしてみれば正にその心境なのであった。咬まれた衝撃こそ大きかったが、暫く耐えてみたら意外と牙が鋭くない。離れないけど食い千切られるわけでもなさそうだしまあいいかとなってしまったということだ。
 そしてその犬が一度牙を離したとき、栄一は何故か追ってしまった。今更逃げるなんておかしいじゃないか、と。
 ややあって戻ってきた犬は、再び栄一を咬むことはなかった。ただ傍に添い、咬んだ場所を癒すように舐めるだけ。その柔らかく温かい舌が、栄一には不可解で堪らなかった。もう痛くもない傷を舐められたところで、くすぐったいとしか思えない。
 そういうわけで、本宮栄一は当惑していたのだ。

「三角くん、最近雰囲気変わったよね」
 練習の途中、ボールを磨くのを手伝っていたら、美里にそんなことを言われた。つい先日美里の秘めた恋心を知ってこっち、何かと話を聞く立場にある。
 今日もこうして話しかけられれば相槌を打ち、その想い人の友人としてアドバイスをしたりなんかする。昨夜、その男のペニスを体の最奥で咥えていたことなどおくびも見せず。
「なんか柔らかくなったって感じ」
「柚木さんはよく見てるね。俺も最近そう思うよ」
 これは嘘ではない。栄一自身が、その変化に戸惑っているほどなのだから。
 しかしそんな深い事情も話せるわけがなく、磨ききったボールを両手で持って微笑む美里に、栄一もただ微笑み返すことしかできない。どうとったのかは分からないが、美里は嬉しそうだ。
「前に、三角くんが来なくなったとき呼んできてくれたよね。ありがとう」
 感謝されるようなことは何もしていない。そう思ってした苦笑いを照れ隠しだと見受けたのか、美里はくすくすと微かに笑った。
「本宮くんに知られて、よかったと思ってる。本当よ」
 そんなに屈託なく笑いかけないで欲しい。俺は君の恋焦がれる相手ともう何度も寝ているのに。その恋は破れるだろうと、なんとなく確信を持ってしまっているのに。
 罪滅ぼしのつもりではなかったが、自然磨く手に力が入る。居心地の悪さに溜め息を吐いたが、ぼんやりしている美里には気付かれなかったようだ。
「彼女・・・まだいないよね」
 少し低い、真剣な口調に栄一は曖昧に頷いた。変に肉体関係だけある男がいるとは、流石に言えなかった。
「よかった」
 控えめな笑顔で、胸の前で手を叩く。こんな純な気持ちの子を裏切っているのか。栄一はなんとも言えない罪悪感の中、やはり曖昧に笑い返した。
 こうやって美里と話しているとき、栄一はいつも妙な胸の痛みを覚える。これは罪悪感からきているのだろうかと一応の原因を示しているが、正直なところよく分からない。似たような痛みは、三角と情交を交わしているときにもたまに訪れるからだ。
 ぐだぐだと考えながら最後のボールを籠に戻すと、美里は不意に表情を曇らせた。
「柚木さん・・・?」
「三角くんって、モテるよね」
 その視界の先を仰げば、件の三角が同学科らしい女の子と親しげに話しているところで。美里に感化されたのか、栄一の胸もざわりと揺れた。
「・・・誰にも取られたくないかも」
 独り言のように言う美里は、もう栄一が隣にいることを忘れてしまっているのかもしれない。
「私、告白する。次の試合のときに、絶対」
 栄一は、なんと言えばいいのか分からなかった。

「なんかまた怒ってないか、お前」
 誘われるまま一緒に入った浴室で、始終ふくれているように見えた三角にそう問うと、三角は少し言い淀んでから、本当に無神経ですねと呟いた。
「もしかして、俺のことからかって楽しんでるんですか?」
 洗ってくれるというのでそれにも抗わず後ろから抱きすくめられるような格好で黙っていたが、流石に質問の意味が分からなくて肩越しに振り仰いだ。かち合った向こうの視線は、躊躇いがちに揺れた。
「だから、美里さんのことですって。仲良くされるのは嫌だって、前にも・・・」
 手を取り、指一本一本まで丁寧に泡でたくさんのスポンジで擦りながら、三角は諦めに似た溜め息を吐いた。こういう顔は年下っぽくて可愛いよな、と栄一は場違いなことを思う。その後で言葉の意味を考え、得心したのかああと声を上げた。
「やっぱ三角も柚木さんみたいな子が好き? 普通なんだね、趣味は」
 ちょっとの嫌味のつもりで言ったのだが、三角は思いの外気分を害したようだった。またむすっとして丹念に全身を洗い始めたので、栄一は勝手に話を進める。
「付き合えばいいんじゃないかな。お前らって結構お似合いだと思うんだけどな」
「あんたね・・・」
 泡まみれの手が栄一の顎を捉え、やや上向きに振り向かされた。
「鈍感なのはこの間ので痛感しましたけど、無神経なところはいい加減直して欲しいんですがね」
「はあ? 誰が無神経だよ」
「あんたですあんた。流石に今のはちょっとムカついたなー」
 にこにこ笑ってはいるが、語調は少し恐い。謝ったほうがいいのかな、でも何が気に障ったのか分からないや、とぐるぐる考えていたら、シャワーヘッドをとりお湯を流し始めた。小さく鼻歌を唄いながら温度を調節する様が、似合わなくて気色悪い。
「みす、み?」
「流しますよ。熱かったら言ってくださいね」
 ザ、とお湯をかけられて、栄一は反射的に目を瞑る。弱めに流れるお湯は肌の上をゆるゆると辿り、妙な感覚にのぼせそうになった。振り仰げば、狙いすましていたのか余裕そうな笑みを浮かべている。
「お前ね・・・」
 この間からこの甘い態度はなんだと、訊こうとしてはいつもその質問を舌先で咬んでしまっていた。言って、壊れてしまうようなものだったらと思うと恐かった。
「足開いて。・・・そう、奥まで奇麗にしないとでしょう?」
 大人しくしていれば酷い扱いは受けないので従っていたが、覗き込まれると流石に逆らいたくなる。緩く足を閉じようとしたら、それより早く窄まりに指をあてがわれた。
「ねえ栄先輩。ここ、舐めてもいい?」
「な・・・っ!」
「なんでもしていいんでしょ? 舐めたいんだ。気持ちよくしてあげるから」
 お願い、と低く囁かれて、体の芯が溶けそうな感覚に陥った。しかもシャワーの柔らかい流れをペニスの敏感な部分に当てられ、ぞくぞくという浮遊感に何も考えられなくなる。かくかくと頷くと、嬉しそうに笑った三角に首筋を優しく吸われた。
「じゃあ、壁に手を付いて。うん、もう少し膝曲げて欲しいな」
 言われる通り体勢を変えていくと、満足したのかちょろちょろと背中からお湯をかけられた。既に興奮しているのか、その感触に全身がざわつく。額を壁につけて声を殺していると、尻たぶを割りその間にシャワーヘッドを押し付けるようにして洗い流した。お湯が入り込みそうな感覚に驚いている間も皺の間を丹念に擦られ膝ががくがく震えた。掴みどころのない浴室の壁では、いつ崩れ落ちてしまうか分からない。
「も、三角・・・」
「泡が残っていたら苦いですからね」
 あのよく分からないまま衝動でキスしてしまってから、辱めるほかに栄一をただよくしようとする三角の行動に、栄一は翻弄されっぱなしであった。どこを触られても反応するようになってしまったし、最近では笑いかけられるだけで体の芯が疼いた。溺れてしまいそうで恐い。美里と付き合えばいいと思ったのは、そういうところからきたもので半分は本気であった。じゃあ半分はなんなんだと訊かれると困る。栄一は色々考えたいのだが、シャワーより熱い舌の感触に思考は弾け飛んだ。
「あっあ、嘘、やだ・・・!」
「いいって言ったじゃないですか。今更キャンセルはなしですよ」
 両手で尻の肉を鷲掴まれ、逃げ場を失う。ベロリと舐め上げられるその初めての感覚に腰を捻るが、全く無駄な抵抗に終わった。
「ひ、いっい・・・ひんっ」
 腰骨を中心にじわっと力が抜け、栄一はとうとう壁に沿ってずるずると床に伏した。うっすらと水の溜まった床はつるつると頼りなく、三角の舌による愛撫に拳を強く握ることで耐える。尻だけは高く上げたその格好で、栄一はゆらゆらと無意識に腰を振っていた。
「気持ちいいんだ?」
 一瞬離れた三角に問われ、栄一は床に頬を擦り付けるようにして頷いた。素直であればあるだけ、三角は優しく栄一に接する。
 快感の波だけが、栄一をさらうのだ。
「可愛いですね、全く」
 ズルっと尖らせた舌が入り込み、それが肉を押し広げながら蠢くので栄一はあられもなく声を上げてよがる。指やバイブとは違う柔らかで生々しい感覚に、全身が歓喜に満ちているのが分かり、このままどこまでも性欲に踊らされるのかと思うと、なんだか恐かった。
 栄一がそうしてブルブルと震えているのが三角にとってはとてつもなく可愛く見えて仕方がない。触ってもいないのに完全に立ち上がったペニスに触れれば、その先走りが指を濡らして嬉しくなる。泣き顔もいいけど、感じすぎて泣いているのはもっとよかった。
 そうやって三角が栄一の反応を楽しむようにじっくりと攻めるので、栄一は更なる快感を求めて自らの胸をタイルに押し付けた。
「はあ、あんっみす、みすみぃ・・・」
 舌では決して届かないであろう奥のほうが疼く。早く挿して欲しいとねだるように名前を呼んだが、意に反して三角が挿し入れたのは指だった。ゆっくりと侵入するその異物感に全身は高揚し、根元まで埋まったときには犬のように身震いする。肩で息をしながら次の刺激に備えるが、いつまでもその指は動こうとしなかった。首を捻って後ろを窺おうにも、変な体勢の所為でそれもかなわない。
「三角・・・?」
「締めてみて、栄先輩」
 焦れったくなって声を漏らすと、三角の声が耳元で響いた。いつの間に近付いていたのか、その低い響きに栄一は胸が熱くなるのを感じた。
「・・・そう、上手ですね。じっとり纏わりついて、中がいやらしい動きしてますよ」
「い、言うな・・・」
「嘘、好きでしょう、こういうの。・・・動かしますよ」
 のろのろと前後に動くそれに合わせて力を入れたり抜いたりする。その一連の動作に、自分が普通ではありえない場所を犯されているんだと言うことを自覚させて、それが余計興奮に繋がった。
 細い指が襞を擦り、爪が引っかかると小さな快感がぴくぴくと全身に走る。三角の指一本のみに翻弄され、ひっきりなしに甘い声を鼻から抜くようにして吐いた。酸素を求めて引き結んだ口を開けば、たらりと唾液が顎まで伝う。目の焦点も定まらず、溶けるように潤んだ瞳が揺れている。
「も、いやぁ・・・早く、いれ、」
「何が欲しいんですか?」
 指を咥える場所は赤く淫靡に濡れ、ひくつきながら更に奥へと誘うような動きをしている。それをじっくり楽しんでから、三角は指を引き抜いた。突然の喪失感に栄一は首を捻るが、やはり三角を見ることはできなかった。
「みす、みの・・・」
「俺の?」
 ちゅぱちゅぱと親指でリズミカルに叩かれ、栄一は口ごもる。その態度が面白いのか、三角は唇に薄い笑みを浮かべまた耳元に寄せた。
「言ったら、すぐよくしてあげますよ?」
 悪魔の誘いだ。ぞくぞくと背筋から肌寒さに似た鳥肌がたち、同時に湧いた切ない胸の痛みに栄一は甘い溜め息を吐いた。
「三角の、ちんこ・・・」
「ふふ、やらしいなあ」
 ちゅっと首の後ろに口付け、三角は既に硬く張っている己のペニスをぱくぱくと呼吸するように動いている窄まりに押し当てた。
「ほら、栄先輩の欲しいものですよ。これでいいですか?」
「ぅ・・・この、根性悪・・・っ」
「えー?」
 とん、と突かれ、栄一は全身を緊張させた。しかし、何度かそう突くだけで入ってくる気配はない。焦れて腰を下げても、それに合わせて三角も腰を引くだけで。
「ん・・・意地悪、すんなよぉ・・・」
「だって、我慢する栄先輩可愛くて」
 くすくすと笑いながら尻や太ももを撫で回し、そのぼんやりと赤く染まった肌のきめ細やかさや汗でしっとりとした感触を楽しんでいる。
 先走りを垂らすほど待ち焦がれる栄一としては、拷問にも近い状態に、とうとう鈍った舌を動かした。
「お願いだから、入れて・・・奥まで、挿して・・・っ」
「・・・ほんと、やらしーんだから」
 どっちが、という言葉は待ち望んでいた圧力に押し出された肺からの空気で掻き消えた。
「あっあっあ、や、はげし・・・やあぁ!」
 腰を引かれて、中途半端な四つん這いの姿で後ろから犯される。力を入れようにも肘はすぐにかくんと抜けてしまい、曲げた両腕に伏すようにして喘いだ。涙が自然にぼたぼた流れる。気持ちよすぎて、涙腺がおかしくなったのかという不安に駆られた。
「い、いぁっこんなの、はひっ」
 ちかちかと目の前に星が散るような気がしたら、その星がどんどん増えて視界を埋め尽くしていった。
 ああ、イってしまう。すんすんと泣きながら繋がっている部分を指にしたときのように締め付けると、背後で三角も息を飲むのが分かった。
「・・・何、栄先輩。気持ちいいの?」
「う・・・ん、ひもち、ぃ・・・っ」
「俺も・・・栄先輩の中、熱くて最高です」
 ぐっと体を屈めた三角の唇が後ろから耳朶を食み、その感覚に背骨から何から全身にザァっと緩い電撃のようなものが走った。それは全身に散開したかと思うと、いきなり体の中心に集まり、爆ぜた。
「あぁ、やぁああぁ!」
 びくんびくんと全身が波打つ。下を覗きこめば、自分の性器からはだらしなくぼたぼたと白く濁った精液が吐き出されている。それが尿道を通るのすら快感に繋がるのか、余韻の中で栄一はぶるりと身震いした。
「あれ、もしかして栄先輩イっちゃった?」
「ふ、んぅ・・・」
 まだ腰を使う三角に問われ、栄一は力なく頭を動かした。
「そ、か。中だけでイケたんだ・・・」
 嬉しそうに呟いたかと思うと、三角は栄一の体を結合したままぐるりと仰向けにさせた。ふにゃりと芯を失ったペニスをじっくり見られているのが嫌で顔を隠すが、ゆさりと揺すられてすぐにその手はずり落ちる。イったばかりで奥はむず痒く、また快感を引き起こされるのが嫌で栄一は逃げようともがいた。
「駄目ですよ、俺がまだイってないでしょう?」
 目を閉じて栄一の体を貪る三角は、至極楽しそうだ。それを涙でぼやけた視界に捉え、栄一はひくひくと唇を震わせた。
「ほら、また気持ちよくしてあげますから」
「ぃやっ、も、やだぁ・・・」
 下から掬うように性器を弄ばれ、その直接的な刺激に背中を反らせた。
「嫌? こっちは、ぎゅうぎゅう締め付けて喜んでるみたいですけどね・・・」
「ひぅんっんっんぁ、やだ、またイっちゃ・・・」
 奥まで強く貫かれ、栄一はまだ完全に勃ち上がっていないペニスの先端から精液を迸しながら二回目の絶頂に達した。それとほぼ同時に、深い場所で熱くでろりとした不快な広がりを感じる。三角も達したらしく、唇を引き結んで小さく身震いしていた。中に広がるものは気色悪いのに、その顔を見ているとなんだか妙に穏やかな気持ちになる。
 お互い全力疾走した後のように荒い息を吐いていて、今浴室を充満させているのが本当に湯気だけなのか疑わしい。
 その呼吸を整えていると、三角が不意に栄一の前髪を額から剥がすので、薄目で見上げた。くすりと、笑っている。
「じゃあ栄先輩、チャンスをあげましょうか」
「え・・・?」
「期限は次の試合が終わるまで。それまでに俺を本気で拒むなら、そう言って。でも、言わないなら・・・」
 もう一生離さない、と言って快感に震える栄一の唇に口付けた。




続。