2.

 悪夢のような夜から二日が経った。一人暮らしのアパートで、部活もアルバイトも仮病を理由に休み、布団の中に引きこもっている。
 できればずっとこのままでいたいと、本宮栄一は枕を抱いて何度目になるかわからない願いを思った。しかし、それができない理由も分かっている。明日が月曜であることなど、余り関係はない。大事なのは、ただ一つ。
 栄一は昨日から鳴り続き、やがて充電切れを皮切りにぱたりと音のしなくなった携帯を見た。
 風邪だという仮病をマネージャーもアルバイト先のチーフも疑わなかったのは、電話越しの栄一の声があからさまなほど枯れていたからだ。チーフなど、頼んだ以上の休みをくれた。それほどの声になるくらい、栄一は金曜の夜に喉を酷使した。手首には、まだそのときの記憶を象徴するかのような痛々しい痕が残っている。おそらく、肩に付けられた歯型も薄くなりはしてもまだ残っているだろう。全身に残る情事の鬱血は、さっき見たときには殆ど見えなくなっていた。
 しかし、いつまでも残るものもある。
 再び無言になった携帯を見て、栄一は叫び出しそうな衝動に襲われる。あの携帯には、見たくないメールが何通か入っているのだ。昨日の朝それを見てから、休みの連絡を掛ける以外にその携帯に触れることはしなかった。したくなかった。
「俺が、何をした・・・っ」
 自問しては答えの出ない状況にも苛立ちは増すばかりで。だが、自分が逆らえないということだけは確かである。
 穴のあくほど携帯を睨み続け、夜も更けた頃充電器にさすとともに一通のメールを送信した。

「・・・い、おいって。本宮?」
「ん、何? 湯村」
 額の付きそうなほど近くで名前を呼ばれ、漸くさっきから聞こえていた声が自分に宛てられていたものだと気が付いた。目前の男が、呆れたように体を離す。湯村青冶。バスケ部部長で、栄一とは同じ学科でもある。
「何じゃないだろう。もう授業終わってんだ、飯行くだろ?」
「ごめん。俺、用がある」
「そうなの? じゃあまた明日な」
 二人を待っていた友人たちに駆け寄り、湯村は教室を出て行った。
 一人になった途端、足が震える。膝に置いた手で軽く擦っても、その手が感染したみたいに震え出すだけだ。溜め息を吐いて、携帯を見る。
 呼び出した相手はもうあの場所に行っているだろう。自分で行動を起こしたとはいえ、気分が重すぎていく気になれない。
 逃げ出したい衝動を抑え、栄一は席を立った。

 この大学の部室棟は、珍しいことに昼間には全く人が寄り付かない。新しく建てられたため奇麗な上設備も整っているのだが、それゆえ規律も厳しい所為である。鍵は正当な理由がなければ管理室から借りられないし、私用しているのがバレたら部活禁止も危うい。
 だが、栄一たちの所属するバスケ部は例外で、扉の上の出っ張りに合鍵が隠されていた。ただし特別に許可されているものではなく、単に部員の一人が鍵屋だったということから勝手に作った次第である。なので、バスケ部の連中はちょくちょくここをサボりの場として利用していた。
「遅かったね、先輩」
 案の定開いていた扉の奥で、三角が笑う。手に持った携帯を眺めていたらしく、わざと大きな音を立ててそれを折りたたんだ。
「なんですか? 話って」
 白々しい問いに、栄一は拳を強く握り締めた。
「それを、消して欲しい」
「それ?」
「・・・その、携帯の、写真だ」
 くっと眉を寄せて視線をそらした。何故俺が下手に出るようなまねをしなければならない。犯罪者は、目の前にいる男の方なのに。
 そうやって苦々しい思いを咬み殺していると、三角がくすくす笑った。
「なんでまた。せっかく、栄先輩の弱みを握ったのに」
 悪びれもない言葉が栄一はとてつもなく恐ろしい。昨日も、さらりという言葉の全てに本気さが惜しげもなく現れていた。いつだって本気なのだ、この男は。
「・・・だから、消して欲しいって言ってんだろ。犯罪だぞ、これ」
「先輩」
 口元の笑みはそのままに、目だけが体温をなくした獣のように細められた。
「自分の立場、分かっているんですか?」
 射すくめられたように、栄一の体が硬直した。扉を背に、震える足を庇うようにして寄りかかる。
「でも、」
「でも、そうですね」
 三角の視線が、一瞬やわらかくなる。
「俺も出来れば公表とかしたくないんですよ、これ。凄くエロいから、栄先輩が他の人に取られちゃう」
 そうなったらどっちもただじゃおきませんからねえ、と楽しそうに一人ごちる。
「だから、栄先輩の態度次第では消してもいいですよ」
「・・・本当か?」
「はい」
 先輩次第ですが。
 そう言った三角の笑顔の真意を、このとき栄一は測ることができなかった。

「ほら、もっと足開いて。煩わせないで下さいよ」
「う、けど・・・」
 栄一は、いつもミーティングで使う長机にシャツ一枚で座らされていた。そのシャツもボタンを全て外しはだけさせられているので、実際は何も着ていないのと同義だった。その格好でいわゆるM字開脚を強要され、栄一は羞恥に打ち震えながら三角の視線を受けていた。
「誰か、来たら」
「来ませんよ。もう講義も始まってますし、一応鍵も掛けたでしょう」
 栄一の講義は無視して、シャツを捲り肩口を覗き込んだ。
「すっかり消えてしまいましたね。所有の印みたいでよかったのに」
 喋りながら、その手は胸をまさぐっている。親指の腹で乳首を倒し、弾く。
「うあっ」
「この間だけで随分敏感になったみたいですね。もうコリコリですよ」
 にやにやと笑いながら指を動かし、その都度息を詰める栄一を言葉でなじった。嫌がる言葉とはうらはらに、栄一の体はじわじわと熱くなっていく。
「ほら、前も勃ってきてますよ。先走りも滲んで、やらしーの」
 乾いた手のひらが産毛を撫でるように動き、へその辺りまで進む。それを視線で追うようにして見た性器は、三角の言うとおりすっかり反応していた。赤面し、顔を背ける。
「さ、後は自分でやってください」
「え」
 ぱっと手を離すと同時に体も離れ、突然のことに栄一は言葉を失った。
「何固まってるんです、栄先輩次第だと言ったでしょう? 俺を楽しませてくださいよ」
 したこと、あるでしょう。問われ、栄一は愕然とした面持ちで三角を見上げた。ゆるゆると首を振り、口を動かして無理だと訴える。人前でそんなこと、したくない。
 しかし、携帯を目の前に掲げられ紡ぐ言葉を見失った。
「まずは、バスケ部の連中でいいですか?」
 泣きそうになりながら、栄一は緩慢な動きで性器を両手で包み込んだ。熱いそこは、意志に反しひくひくと脈打っている。意を決して扱けば、緊張しているのに快感が湧く。自分の体がほとほと嫌になる。
「栄先輩、オナニー覚えたての小学生じゃないんだから」
 指で乳首を弾かれ、痺れる感覚に声を上げた。
「ここ、教えてあげたでしょう。弄って」
 ぐりぐりと遊ぶように押してから離れた指を名残惜しそうに見ていることを、栄一は気付いていない。言われるまま、ぷっくりと赤くなったそこを二本の指で摘んだ。揉み、扱き、引っ張る。
「ん、ん」
 親指の腹で亀頭の割れ目をなぞり、溢れた先走りをのばしていく。口腔に溜まる唾液を飲み込みながら、次第に見られていることも忘れ自慰に没頭していった。擦る動きが早まり、浅い呼吸に短い喘ぎが混じり出す。
 ぐっと全身に力が入り、もう絶頂だと言うころを見計らって、三角がその手を押さえ込んだ。
「はい、ストップ」
「え、なんで・・・」
 添えた手ごと強く性器の根元を掴まれて、せき止められたことにより快感で火照った顔が歪んだ。その表情を間近で見ながら、三角が無邪気な笑みを向けた。
「ちょっと我慢、ね」
 そう言って栄一の手をどかすと、しゃがみこんで亀頭に唇を付けた。栄一が何か言うよりも先に、そこからずるりと一気に竿を口にふくんでいく。驚愕した様子で、栄一は掠れた嬌声を上げた。
 射精する、そう思うほどの快感の波を、根元を強く圧されることで逸らされてしまう。涙の滲んだ目が、三角を恨めしげに見下ろす。その視線を、三角は笑うことで受け流した。
「どうしてほしいですか?」
 丸い部分を滑りを利用して弄び、栄一の体が小さく震えるのを楽しみながら訊く。求められる答えを悟り、目を背ける。
「強情ですね」
「あっ」
 少し腰を引かれ、尻たぶを割りその中心に指を添えられた。びくりと緊張してすぼまったそこを、ぐにぐにと揉むようにして圧してくる。心もとない浮遊感に、息を飲んだ。
「ここは意外と気持ちいいでしょう? 問題は、中が」
 先端から溢れる先走りを指で掬い、皺の一本一本を伸ばすようにしながらほぐしていく。入念にすり込まれるにつれじりじりと痺れ始め、栄一は口をぱくつかせながら浅い呼吸を繰り返した。その一瞬の隙を突いて、三角の指が襞を割り滑り込んだ。
「ひぃ・・・!」
 ずるんと親指が入り込み、異物の挿入感に全身が拒むように引きつった。侵入を止めようと力を入れるが、入れるたびそこは意に反し指を更に奥へと誘う。不安と恐怖に駆られ涙ぐむ栄一に、三角が緩やかに笑う。
「大丈夫ですよ。今日はなんの準備もしてませんからね。挿れません」
 そう言いながらも入り口の周辺をぐりぐりと広げるようにこね回し、隙間ができるとそこから人差し指を交換するように挿入した。さっきよりは細い、しかし長い指が中をくじり、腰骨から崩れそうな感覚に栄一の目が潤んだ。頬も赤く染まり、息は甘く絶え絶えである。その様子に、三角が満足そうに微笑んだ。
「気持ちいいんだ、栄先輩? 熱い壁が緩く締め付けて、最高」
「はあ、あ、は・・・」
「あ、駄目ですよ」
 動いた手を三角は目ざとく捉え、強く掴むことで制した。
「もう先輩は触っちゃ駄目です。俺がイカせてあげますから、ね?」
 大人しくして、と有無を言わせない笑顔で言い放ち、指で中をまさぐりながら竿の裏側を下からじっとりと舐め上げる。ぞくぞくと全身を戦慄かせ、栄一は行き場を失った手で口元を押さえた。
 押さえた指の隙間から、熱い吐息と甘い声が漏れる。
「んっん、んぅ・・・」
「栄先輩」
 探るような動作で中をいじくりながら、前の皮を唇で啄ばんで囁く。
「さっきはああ言いましたが、本当は貴方を手放す気なんて全くないんですよ」
「なに、言っ」
「だからデータを消す気はない。でも、バラまく方向には話を進めたくないんですよね」
 指を根元まで押し込んだとき、その先がある部分を掠めた。その感覚に一番驚いたのは栄一である。異物感からでしかなかった心もとない腰の浮遊感に、甘い痺れが混じったのだから。慌てて手の甲を咬み、三角に悟られまいと全身を硬直させた。
「俺が何を言いたいか分かります?」
 顔をあげて下から覗き込みながら、空いた手で竿をさする。
「わ、わか・・・」
「つまり、栄先輩が自ら俺の言いなりになってくれればいいんです。そうすれば写真も公開されないし、いつか先輩も嫌じゃなくなるかもしれないじゃないですか」
「そんな、こと」
 誰が許容するか。大体さっきと話が違う。
 そう言おうとしたとき、狙いすましたようにさっきのいいところを圧された。予期せぬ強い刺激に首を反らせ、栄一が呻く。その反応が楽しいのか、三角は何度もそこを圧し、揉んだ。
「ふう、や、そこやだ・・・っ」
「バレてないとでも思ってました? さっきからここ、圧す程締め付けて痛いぐらいなんですよ」
 ぐりぐりとそこを圧されるたび、快感の波みたいなものがどばっと溢れ出るようで、栄一は震える唇から涎を垂らしてよがった。頭が真っ白で、おかしくなる。自分の体が自分の意志とは関係なく揺れ、それどころかもっともっとと腰が誘うように動いてしまう。
 それなのに、三角は決定的な刺激を与えてはくれなかった。にやにやと栄一を下から眺め、カチコチになった性器に息を吹きかけたりする。快感を反らされるたび、栄一は脳がじんと痺れるようになった。
「凄い。先走りでずるずるですよ。これならすぐにでも後ろだけでイケそうですね」
「ひや、やだっも・・・抜いて!」
「それはできませんね。まだ先輩が約束してくれてないですし」
 言われ、栄一の顔がさっと青くなる。
「言って、栄先輩。俺のものになると。俺のすることに従うって」
 ブルブルと痙攣するように首を振ると、三角は呆れたような溜め息をついた。
 これで諦めてくれるのか。そう思った瞬間、三角の唇が亀頭を挟み込んだ。ふに、と先を吸われ、気が遠くなるような快感と羞恥に全身の毛が総立った。その唇は栄一の見ている前でゆっくりと、それは本当にゆっくりと竿をふくんでいき、下がるにつれ栄一は腰を突き出して快感に酔っていく。かちかちと歯が咬み合わない。気持ちよすぎてどうにかなってしまいそうだった。その唇が、何分かかけて半分ほど飲み込んだとき、不意に動いた。
「しゃ、喋らな・・・で」
「ほけい」
「え?」
「ほけい、みて」
 視線に促され、時計のことを言っているのだと分かる。時刻は、あと十五分ほどで講義の終了という頃。
 快感に浮ついた頭では三角の真意が読めない。上気した頬のまま疑問を視線に絡めて三角を見ると、舌先で亀頭の膨らみをちろちろと舐めながらにんまりと笑った。
「られか、きひゃいますよ?」
 言われ、肩がびくんと跳ねた。そして自分の状況を再び自覚して三角を引き剥がす。離れ際その唇はちゅうっと吸い付くような動きをし、先端と白い糸で繋がった。
「あれ、いいんですか? 気持ちよさそうだったのに」
「いいから写真を消せ! お前だって、こんなとこ・・・」
「俺は別に平気ですよ。気になりませんから。それに・・・鍵も閉まってるじゃないですか」
「閉まってるけど・・・!」
 叫ぼうとしたとき、ガチンとノブが回る音がした。驚いて口を塞げば、すりガラスの向こうに人影がある。そしてすいっとそれが離れ、遠ざかっていく足音。
 今日ここを開けたのは隠したスペアキーだ。ないと見たのか、部員は鍵のある管理室まで本物を取りに行ったのだろう。その間、数分もかからない。それに、閉めていれば来たとき何事かと疑われる。顔を真っ青にして三角を見る目は、もう緊迫に潤んでいた。
「三角、頼むから、」
「栄先輩次第、ですよ」
 そう言いながら親指と人差し指で作った輪で栄一のペニスをゆるゆると扱く。じんと脳が痺れて、考えがまとまらない。
「栄先輩が俺のものになるって言えば、今すぐイカせてあげますし、解放してあげる。写真もロックして俺だけしか見られないようにする」
 消す気はないんだ、と無邪気に笑う三角が恐い。この男は何もかも本気で、自分はもう逃げようがないんだ。栄一の目に諦念が浮かんだのを目ざとく解した三角は、少し指の力を強めた。がくんと栄一の肘が折れた瞬間に、囁く。
「頷くだけでも、いいですよ」
 亀頭の先に溜まった先走りの雫を一舐めされ、思考がばらばらと散る。時間もない。
「も、三角・・・」
 我慢できずに栄一が何度も頷くと、三角は嗜虐性の溢れる笑顔を浮かべ、熱く張ったペニスを一気に口内へ収めた。

「あれ? 開いてる。三角、今来たとこか?」
「そうだよ。あ、でも鍵借りたあとサッカー部の奴に引きずり込まれた」
「じゃあ行き違いか。二往復もしちまったよ」
「あはは、ごめんごめん」
「にしてもスペアがなくなったのは痛かったな」
「仕方ないだろ。湯村先輩の決定だし、確かに最近部室に私物置く奴増えたし」
「でもなー」
 ぶつぶつ言うチームメイトをなだめながら、三角は内心で笑うばかりだ。
 スペアを部長が管理することに決まったのは土曜日の練習時である。三角は栄一が練習に来なかったのを本当に咎めてはいなかった。おかげで、栄一をはめるのに成功したのだから。
「でも、湯村先輩が伝え忘れていてくれて助かったな」
「ん? なんか言ったか?」
 何も。
 鍵のことを栄一が知ったときどんな反応をするのか。それを思うと、胸の奥がざわざわと妙に浮ついて楽しい。三角は喉の奥に当たった熱さを反芻し、そう言った。




続。