4.

 一度開けてしまった缶詰が二度と閉まらないように、一度許したことを再び拒むのは難しい。
 舌で触れることを許し、下も触られるようになってからおよそ二週間が過ぎた。来週から衣替えだという日に、俺は辛うじてワイシャツだけを纏った姿でベッドの上で身悶えていた。
「っん、んっあ、かな、金森・・・」
 ぐちゅぐちゅという耳を塞ぎたくなるような音は、俺の下半身のほうから聞こえてくる。そこには、金森の頭があった。
「ああ! あ! やああぁぁ・・・っ」
 五指でやわやわとしごきながら、唇で玉の皮を摘む。ずらすように動かされ、顎が揺れた。
 あのトイレの一件以来、俺は携帯のタイマーをセットしなくなった。というのも、胸を弄られると勃起するようになってしまったからだ。
 そうなる前に終わらせてしまえば三分に足りなくなり、それでは自分で決めたことを守れなくなる。だからといって、三分以内にイケるほど俺は早漏ではない。
 金森が俺に触れて、そして出すまで。それが、新しいリミットだ。
「ひゃん、あっ、それ、やだ・・・」
 こういうことをするようになってから、金森は少しずつだが確実に増長していった。
 今されているのは、片方だけを熱い口腔に吸い込み、舌の上で飴を食べるように転がす行為。初めてされたときには、余りの衝撃に金森の頭を蹴りかけた。そのときばかりはやめてくれたが、俺が本心で嫌がってないと知ると、金森はしつこいほどそれを繰り返した。僕へのお礼なんでしょ、と笑顔で言いながら。
「嫌? やめる?」
 ちゅぽんと口を離し、金森は腕で顔を隠す俺を見つめてきた。それを涙目で睨んで、唇を咬む。
「好きに、しろよっ」
「ありがとう」
 子供のように笑い、弱く歯を立てるようにして唇で揉み出した。手は根元の柔らかい皮を押し、そこから生まれる甘い痺れに俺は高い声で泣くしかない。声を殺すと、金森に諌められるから。
「金森・・・かな、森っ」
「だめ。もうちょっと我慢、して」
「ああぁ!」
 この行為は、嫌いだ。つぷんと入り込んだ長い指が、内側の襞を押したり波立たせたりして、腰が落ち着かなくなる。
「かな、金森! それやだ! やだぁ!」
 髪を引いて訴えるのに、金森がそれを聞いてくれたことはない。日を重ねるにつれ、強引さも増した気がする。
 後ろに指を入れるのだって、ごめんねと呟きながらも躊躇わなかった。痛がらないのをいいことに、中指一本で俺を翻弄する。知らなかった性感帯まで、探り当てられた。
「やぁっ」
 くっと指先を曲げ、引き抜いたときに引っかかるところ。こりっと感触のするそこを何度も捲られると、ちんこの中を直接揉まれているような衝撃が走る。それと同時に、白いものが混じった先走りが、ぴゅるぴゅると先端を潤した。
「ひぁん、あん、あんっあっあっあ」
 亀頭だけを口に咥え、割れ目を舌でつつきながら中をくじる。何もかも出してしまいそうな快感に飲まれまいと、何度も首を振った。
 金森が、恐い。
 優しい態度で俺の缶にいつの間にか刃を入れ、すっかり開けてしまった。これ以上は、もう中身を喰われるしかない。その全ては、余すことなく暴かれているのだから。
「・・・あぁ! あ! っは、やぁ・・・っあ!」
 ぢゅる、と音がして、吸い上げられたのだと理解する前に放っていた。腰が跳ね、中の指をぐっと締め付ける。
「んんっん! だめ、もうだめっ」
 力一杯締めている所為で狭くなっている肉を無理やり擦られるもんだから、射精も一度では終わらない。中から圧されるのに合わせて、二度、三度と金森の舌へと吐き出した。
 甘くて苦しい痙攣が治まり、漸く金森が顔を上げたとき。俺は、最後にもう一度心臓を跳ねさせる。その喉が、嚥下のために上下するからだ。
「・・・美味しいの、それ?」
 最初は怒りだか恥ずかしさだかよく分からない衝動に任せて騒いでいたが、今はもう諦めた。どんなに騒いでも、金森は俺のおたまじゃくしをその腹で昇天させたがる。
「なんとも言えないかな。喉越しも、いいものじゃないし」
 眉を下げて笑い、金森は立ち上がった。今から、自分のおたまじゃくしをトイレに召するのだ。
 一度もの凄い勇気を出して、俺がやろうかと訊いたことがある。しかし金森は丁重にそれを辞して、代わりに指を入れてきた。豊橋が無理することはない、とどこか矛盾したことを言い添えて。
 ベッドの上でぼんやりとそんなことを考えていたら、扉の向こうから水を流す音がした。まだ服を着ていないことを思い出し、慌ててシャツのボタンを留めていく。
 あ、パンツがない。ない、ないよ。
「豊橋、何か飲・・・」
 ワイシャツと靴下だけの姿で四つん這いになっているところを見られてしまった。しかも、腰のほうが少しばかり高い。
「あっ痛! ごめん、パンツが・・・」
 潜り込んでいた机に頭をぶつけてから抜け出して、ワイシャツの背部分を伸ばして隠しながら言うと、金森は真っ赤な顔を伏せてベッドを指差した。そこには、胸を弄られている間に脱がされたトランクスがあった。
「あ、あは・・・ごめん、マジで」
 眼鏡を直しながら金森は顔を背け、俺が着替え終わるのを待っていた。
 思い出しただけで顔が赤くなるようなことばかりするくせに、金森は変なところで照れる。相変わらず、最初の接触は恐る恐るといった感じだし。
 その照れは俺にも伝染するから、時々こうして気まずい空気が流れる。嫌では、ないんだけど。
「あー・・・帰るよ。もう遅いし」
「そう、だね。最近すっかり日が長くなったから油断する」
「来週から夏服だしな」
 女子の衣替えに成田が喜ぶだろう。それを思って苦笑いしていると、金森の暗い顔が目に入った。背にした扉に寄りかかり、俺を部屋から出し渋っている。
「・・・金森?」
「衣替えの前に、中間だよ」
「あ」
 そうだった。今はもうテスト期間中で、部活動も休みになっている。普段はそんなに勉強しないし、部活にも入っていないから忘れていた。
 金森の様子がおかしかったことに合点がついた。中間が終わったら、もう教わることはなくなるんだ。
「かなも、」
「あのさ!」
 珍しく焦った声が俺の言葉を遮った。大きい体を縮めて、怯えるように俺を窺っている。
「嫌だったら、断っていいんだけど・・・もし、もしいい点が取れたら、さ」
 あ、汗かいてる。そのくせ、顔は真っ青なんだ。
「豊橋を、抱いてもいいか?」
 気の早い蝉が、窓の外で鳴いていた。


 テスト前の空気は嫌いだ。
 自信満々なのか妙に殺気立っている奴や、やる前から死んだ顔の奴。余裕ありそうな顔をしながら、自分より勉強していない奴を見つけて安心していたり。
 全体的に浮き足立っていて、気持ちいいものではない。始まってしまえば、あとは一様なのだが。
「・・・おい。おい、直ってば」
 こつこつと椅子の下を蹴られ、俺は緩慢に振り向いた。その先にいた成田が、ぎょっとした顔をする。
「なんで、やる前から燃え尽きた顔してんだよ」
「ん? ・・・いやぁ」
 名前の順で並び替えられても、俺と成田は前後の席だ。順番は逆になるけれど。
「お前、数学の出来はどうなわけ? まさか、俺よりできたりしないよな」
「んーどうだろ」
「なんだよ、余裕だな」
 くすくすと笑い、成田は席に着いた。不安そうに訊いたりしてくるが、結局成田は数学が得意なのだ。
 俺はというと、別に余裕があるわけではない。本当に、分からないのだ。
 あの問題発言の日から先は、他の教科もやろうということで勉強会はしていない。ドタキャンとかではなく、前々から決めていたことだったのだが。
 タイミングがいいというか、悪いというか。おかげで、あれ以来話もしていない。
 そんなだから、俺の頭は金森の発言ばかりを思い出し、まともに勉強できたかと言われるとどうも返答を濁らせてしまう。いきなり数学のテストなのに、俺がこんな状態では。
 いやいや、待てよ。俺は頑張っていいのか? 頑張ったら、今度こそ金森に全てをやることになっちまうんだぞ。でも、手を抜いたら予備校だし。
 ちくしょう、テスト前に心乱すようなこと言いやがって。呪ってやろうかと視線を送った金森が、いきなり振り向いた。少し離れた席で、曖昧に笑う。
「あ、う・・・」
「よーし始めるぞー。筆記用具以外は鞄にしまえー」
 入ってきた先生の号令で、ガタガタと全員が動いた。金森と俺だけが、喧騒の中で暫し見つめあう。
 先に逸らしたのは俺のほうだった。あいつの表情が動いて、それを読んでしまうのが恐かったからだ。
「直、大丈夫か?」
「え?」
「なんか、震えてねぇ? どこかおかしいんじゃ・・・」
「そこ! 何喋ってんだ」
「やべっ」
 成田が慌てて口を閉じ、それで教室はすっかり静まった。テスト直前の緊張感だけが、そこかしこに漂う。
 あれ、なだろう。成田に言われた通り、なんか震えてるような気がする。ていうか、寒い。
 裏を向けて配られたテスト用紙を見ながら、俺は首を振った。とにかく、解かなければ。
「みんな渡ったか? じゃあ始めるぞ」
 一斉に、紙を裏返す音がした。俺もそれに倣って、首を傾げる。
 文字列が、渦巻いていた。
「な、成田」
「直?」
「目・・・回る」
 ぐわんと景色が大きく歪んで、そこに気を取られているうちに体が傾いだ。人間の体の中では頭の重みが結構上位にあるという化学的な話を、一人で実感する。
「先生! 直が!」
 成田が袖を掴んでくれたが、俺の体は床にぶち当たった。






続。