3.

 罪悪感から、全く眠れなかった。自分でやると言ったミスの見直しも、どさくさで金森の家に忘れてきた。
 きっと、変に思われた。そう後悔したのは、マンションを飛び出して割とすぐのこと。いつの間に入れたのか、スラックスのポケットで携帯のアラームが鳴り出したときだ。
 自分で決めた、リミットだったのに。
 何故だか泣けてきた。自分の情けなさや、よく分からない体の変化の所為だ。
 金森が悪い。金森が、俺を変にした。
 それだけを思ってとぼとぼと家まで歩いたのに、ベッドで毛布を被るころには、何故か怒りの矛先が自分に向いていた。誰がどう見たって、約束を破ったのは俺のほうだ。


「おす、直。・・・んだよ、また寝不足か?」
「んん・・・ちょっと、な」
 前の席に座る成田を、腕に伏した顔をちょいと上げて見る。鞄を下ろしながら首を傾げ、珍しく心配そうな表情を見せた。
「マジで青いぞ。お前らしくもない」
 わしわしと髪を掻き回す成田に力なく笑い返し、大丈夫だと強がった。気分が悪いわけではない。
「ふうん? 金森も具合悪そうだし、そんなキツい勉強してるのかと思った」
「金森も?」
「ああ、おかしいぜ。本読んでないし、なんかぼけっとしてる」
 言われて、廊下側一番前の机を見た。俺とちょうど対角線だが、背が高いからよく見える。その表情に、胸が痛んだ。あれは、ぼけっとした顔なんかじゃない。
「ん? 直?」
 傷付けた。俺の身勝手な事情で、あいつを傷付けた。
 俺はそのまま両腕に顔を伏せて半日を過ごし、昼休みのチャイムと同時に腰を上げた。謝らなくちゃ。
「おい、直。飯は?」
「後で食べる!」
 ブレザーを椅子に投げ、俺は金森の席を見た。いない。しかしすぐに、廊下に出る後ろ姿が見えた。
「金森!」
 出てから叫ぶと、金森は驚いたように振り返った。その口が何か言う前に、その足がどこかへ行く前に、俺は金森の手を引いて近くのトイレへと連れ込んだ。幸い、人はいない。
「ど、どうしたの、豊橋?」
「昨日の分、今、渡す」
「え?」
 状況を飲み込めていない金森を一番奥の個室に押し込み、後ろ手に鍵をかけた。
 そしてシャツのボタンを外そうとしたところで、金森が慌ててその手を掴んだ。漸く理解したのか、その顔は見事に当惑していた。
「い、いいから。それに昨日のは、僕が悪・・・」
「俺が気にするの!」
 手を振り払って俯くと、金森はぴたりと黙った。そして下から覗き込み、困ったように笑う。
「分かったよ。それで、豊橋の気が済むのなら」
 きっと、泣きそうだとバレていたんだ。だって、宥めるように金森が俺の頭に手を置いたのをきっかけに、ぽたぽたと涙が零れたから。
 くそ。お前がそんなだから、調子が狂う。泣くつもりなんて、なかったのに。
 震えたまま動けない俺の代わりに、金森がボタンを外し始めた。ぷつり、ぷつりと外される感触に、ドキドキする。人に服を脱がせてもらうのなんて、子供の頃以来で。
 前を少し開け、首から二の腕にかけてを手の平でなぞりながら服を肩から落とし、そしてはっとしたように手を離した。何、と顔を上げた俺の頬を撫で、親指で涙を拭う。
「携帯、セットしないと」
 言われて、スラックスを叩いた。ない。そうだ、ブレザーのポケットに。
 俺の表情からないことに気付いたのか、金森は小さく笑った。涙を指で掬いながら、俺の肩をさする。
「じゃあ、豊橋が数えて。ちゃんと止めてね」
 僕はそんな余裕ないから、と笑う金森に、俺もないんだとは言えなかった。バレないように、目を逸らして頷く。
 それを合図のように、金森の手が胸を包むように動いた。俺の涙で湿った指が乳首にひっかかり、昨日より強い痺れを感じた。しかし、今度は逃げようにも自分で扉を抑えている。そしてそれは、俺の体をこれ以上退かせない柵でもあった。
「ひぅ、かな・・・もりっ」
 親指の腹でぐりぐりされると、もう気の所為では済ませない感覚が電流のように全身に走った。
 違う、全身じゃない。下半身が、重く疼いた。
「んんっやだ、そんなにしたら・・・痛いっ」
 摘んで擦る動きに泣き言を言うと、金森は手を離した。しかしすぐに、指よりも熱いものが触れた。
「っや、金森!」
「これなら・・・痛くないだろ?」
 痛くない。痛くないけど、こんな、舌で舐めるなんて!
「ふく・・・っ」
 感覚が麻痺するほど指を咬んだ。もう一方の手で襟首を掴んだら、金森が顔を上げた。
「時間?」
 問いかけに、ふるふると首を横に動かす。ふっと金森は笑い、眼鏡を外した。折り畳んで胸ポケットに入れ、また胸に顔を寄せた。
 金森はそこをしゃぶるのがいたく気に入ったのか、舌で転がしては吸い上げ、時々弱く咬んだ。
 何度もそうされている内に、変な気分になってきた。膝が笑う。変な声が、漏れそう。
「かなも・・・」
 多分、とっくに時間なんて過ぎている。そのことには金森も気付いているだろうが、気付かないふりをして背中に手を回してきた。俺も気付かないふりを許し、その手が浮いた背筋をなぞるままにさせる。
 ああ、どうしよう。腰がじんわりと痺れる。絶対、勃っている。
 自分で気付くぐらいなのだから、密着している金森に分からないはずがない。残された手が、ホックを外す。
「っか、金森!」
「自分でするのと、きっと変わらないよ?」
 ファスナーを下ろし、再び胸に口を付けながら先を揉み込んだ。
「やぁっ」
「静かに。誰か入ってきた」
 金森の言葉で、誰かの鼻歌に気が付いた。慌てて口で手を覆い、思わず息も止める。しかし金森の手は動いたままで、俺は扉に後頭部を強く擦り付けながら喉を上下させた。
「んんんうぅ・・・っ」
 嘘つき。自分でするのと、全然違うじゃん。
 触れる手の大きさが違う。責め方が違う。俺は、そんなとこいじらない。
「ひぁ! っあ、あぁ!」
 もう声なんて抑えられるわけがない。でも金森が止めないから、きっともういないんだろう。
「っあ、あんっそこ、だめ・・・っ」
 感じすぎて恐いから、自分では先っぽは触らないようにしてるのに、金森はそこばかり責めてくる。
「んあ!」
 腰を引いたとき、足が滑った。そのまま床に尻餅を突きそうになり、金森の首に手を回す。その時見た顔が笑っていることに、俺は気が付いた。
「金森・・・」
「もう時間? やめる?」
 眼鏡のない顔が近くに寄り、俺は動悸が激しくなるのを感じた。それを隠したくて引き寄せたのを、金森はどう取ったのか。ぬるついた先を揉み込み、全体を強くしごき出した。
「ひぅっう、うん・・・っ」
「豊橋・・・」
 頭を抱き込まれた。その肩や背中を必死で掴んで、体を震わせる。
「んっ・・・くうぅん・・・ん!」
 閉じた瞼の裏が、白く眩しく塗り潰された。


「どこ行ってたんだよ。飯喰う時間、もう殆どないぞ」
 席に着くなり言われ、俺はすかすかする頭で曖昧に答えた。そのまま机に伏し、今更自分の行為に恥じ入る。平日の昼間から、あんなこと。
 暴れ出したい衝動を抑えていたら、頭に何か乗せられた。
「成田?」
「あ! 動くなよ! 落ちるから!」
 こいつ、時々よく分からないことするよな。まあ、俺も赤い顔見られたくないし、助かるけど。
「あれ、金森だ。あいつも今頃昼飯喰おうとしてんよ」
 その名前に思わず反応してしまい、頭上のものがツルリと落ちた。音から、それがペットボトルであったことを知る。
「あーもー。だから動くなって言っただろぉ」
 成田がぶつくさ言っていたが、そんなことを聞いている余裕はない。大きい音を立てた所為で、金森と目がばっちり合ってしまった。
 それを、先に俺が逸らす。今あいつがしてきたことを思うと、そうせざるを得ない。
 俺の出したものをトイレットペーパーで拭い、息を乱している俺の服を直すと、金森は扉の向こうを窺った。誰もいないのを確認して、俺を出す。
「・・・金森?」
 一緒に出てこないのを不思議に思って振り向くと、金森は慌てて扉を閉めた。中から、小さくごめんと聞こえた。
「悪いけど、授業に遅れたくないから早く行って」
 その切羽詰った言い方に、俺は漸く察した。ばっと顔に血が集まるのを感じ、急いでそこを離れた。ぎしり、と扉に体重をかける音がして、俺はその生々しさに耳を塞いだ。
 余りのことに俺は何も考えられなかったけど、金森はあのあと何を想像して抜いたのか。やっぱり、俺なのだろうか。どんな顔をして、俺を思うんだろう。
 また急に恥ずかしくなって、俺は顔を伏せた。いい加減昼飯を食べようとしない俺に成田が不気味がって何か言っていたが、もう顔を上げる気もない。
 おかげで、俺は今日一日の授業を全て寝て受けることになってしまった。それも全部、金森が原因で。
 俺が金森のことを意識してしまうのは、もう止めようがなかった。






続。