『狼宅訪問』 なんと言われようとも、あの場で二時間でも三時間でも待っていればよかった。 見るからに「一般家庭」の象徴としか思えない家を見上げて、高木恭臣は嘆息する。 映画でも見に行きませんかと十倉が言うので、休日に待ち合わせてでかけることになった。外で待ち合わせるなんて、デートの醍醐味だなんて思ってワクワクした気持ちを胸に、もう出ようかというとき着信があった。寝坊したから、直接家に来て欲しい、と。 初めは断った。しかし、なるべく早く会いたいんだという電話越しの声に負け、今に至る。 こんな関係になる前、一度だけ家の前まで来たことはあったが、あのときはこんな風に緊張したりしなかった。当時はただの片想いで、十倉をこっちの道に引きずり込むなんてちらりとも思わなかったから。 何度目になるか分からない溜め息を吐き、もう埒が明かないということで震える指をインターフォンに伸ばした。ピンポン、という音に、後戻りはできないと意を決める。開錠の音に、心臓が壊れそうだ。ゆっくりと開く扉の前で、息を飲む。 「はい?」 「・・・あっ、俺・・・高木というんですが」 予想していたところよりも高い位置に顔があり、高木はうろたえた。てっきり、十倉本人が迎えてくれるものと思っていたのに。その人物は高木よりも若干低い身長で、年は外見年齢が若い十倉と同じくらい。高校生の弟がいるとは聞いていたが、まさかこの青年なのか。そう思って見ても、余り似ているようには思えない。 おどおどしていたら、青年は冷めたように目を細めて高木を見た。そして身を引いて中に招き入れる。 「聞いてます、兄の同僚でしょ? 部屋に通すよう言われてるんで」 どうぞ、と言う笑顔が愛想笑いなのかよく分からず、高木も曖昧に笑ってそれに従った。正直言うと、おう帰りたくて堪らない。 「何か飲みます?」 「あ、いや・・・お構いなく」 2階の部屋に通されて、高木は所在なく立ち尽くした。その態度をどう思ったのかは分からないが、青年は出ることはせず閉じた扉にもたれかかる。眺める視線が気になって腰が落ち着かず、壁掛け時計を見るふりで目を逸らした。 「高木・・・さん? 兄の同僚って話ですけど、あの人の恋人って知ってますか?」 「え?」 「いや、よく嬉しそうに話してんだけ、ですけど、年上の美人としか教えてくんなくて。高木さん、仲良いみたいだし」 なんともない質問だったが、高木はあわやおかしなことを言いそうになった。探られているわけではない。ただのただの、素朴な質問だ。 「さ、さぁ・・・俺も、詳しくは」 「でも、高木さんは兄と親しいんでしょ? 同期でもないのによく一緒に食事するって聞くし、今日だって」 「そ、それは」 「広海」 ノックと同時に十倉の声がして、高木はほっと溜め息を吐いた。広海が体を横にずらし、扉を開ける。 「遅いよ。呼び出しておいて、待たせんなよな」 弟らしい生意気な態度でそう言い、十倉の肩を軽く小突いて出て行った。並ぶと、十倉の小ささが目立った。 「紅茶かコーヒーなら出せますけど・・・って、どうしました?」 「あっあっあ、おと、おとう・・・っ」 「弟ですか? 広い海と書いてヒロミです。全然僕と似てないで・・・」 「あの子、知って・・・!」 「あぁ」 扉を閉めて、十倉はベッドに腰掛けた。手招いて、高木も横に座らせる。 「思い過ごしですよ。恭臣は心配性だから・・・普通男二人で出かけると言って、すぐゲイだとは思いませんって」 笑いながらの言葉に、高木はまだ不安を拭いきれない。おろおろと扉や家具、そして十倉にと視線を次々移した。それが十倉の顔を何度目かに見たとき、ふっとその瞳が微笑んだ。その可愛らしさに怯んだ一瞬の隙を突かれ、気付いたときには唇を重ねられていた。反射的に目を閉じて、されるがままになる。 「・・・っん、だい・・・ご」 合わせるだけのキスが物足りなくて、促すように舌で唇を舐めると、すぐに応えてくれる。咬み付くようにその口付けを貪っていたが、十倉の手が胸に伸びてきたのを感じて我に還った。慌てて体を離し、時計を見やる。 「え、映画・・・行くんだろ?」 早く言おうとして舌がもつれた。いきなりのキスの中断にきょとんとしていた十倉が、理解していたずらっぽく笑う。 「今日はもう、ここでデートしませんか?」 「え・・・」 その時、高木は今更になって十倉の格好がおかしいことに気が付いた。準備ができているように見えるが、それは急いでやったもののようには見えない。 「まさか・・・大湖、寝坊したのって・・・」 「はい、嘘です」 「・・・っ帰る!」 逃げようと立ち上がったが、高木が離れるのより十倉の手が伸ばされるほうが早かった。掴まれたと思った刹那、ベッドの上で仰向けにされていた。座った状態のまま上半身を捻り、十倉が申し訳なさそうに見下ろしてくる。 「騙してごめんなさい。でも、どうしても恭臣に僕の部屋へ来て欲しかったんです」 「どうしても?」 いぶかしげな視線に、十倉が神妙な顔で頷く。 「一度でいいから、この部屋にいる恭臣が見たくて。あと少ししたら、それも叶わなくなるでしょう?」 あと少し。鸚鵡返しのように呟いて、高木はぼっと顔を赤く染めた。 物件巡りも佳境に入り、二人で暮らす準備はもう殆ど整っているのだ。初めは半信半疑だった高木も、ここまできて漸く現実味のある話だと思い始めたらしい。忙しなく目を動かして、諦めたように十倉を窺った。 「次また騙したら・・・怒るぞ」 「はい」 輝かんばかりに笑って、十倉は高木に覆い被さる。そして嬉しそうに髪を指で梳き、うっとりとした表情でキスを落としてきた。 胸の中心を布越しにざりざりと舐められて、もどかしい刺激に高木は身を捩った。 隣りの部屋との壁が薄いと聞いていたので最初はかなり抗ったのだが、キスと全身を撫でる手に絆されるうちに、もう後戻りのできないところまで高められてしまった。こうなると、途中でやめられるほうが辛い。 早いとこ終わりにして欲しいのに、十倉は焦らしながら徹底的な刺激は与えてくれなかった。ベッド側の壁が、弟の部屋に隣接していることもあり訴えの声を上げることすら躊躇われ、十倉はそれを承知の上で意地悪をしているのだ。舐めていないほうに爪を立てられ、ひっと悲鳴になりかけた空気を慌てて飲み込む。 いつもは声を抑えることを諌める十倉だったが、これはこれで面白いと感じたようだ。小刻みに震えながら快感に抗おうとする高木を、舌と指の動きで翻弄していく。静かな室内で、高木の鼻から漏れる音だけがうるさかった。 「・・・少しくらいなら、大丈夫だと思いますよ」 顔を上げ、唇を舐めながら濡れたシャツ越しに固く肥大した突起を弄る。熱く火照ったそこを潰すように倒すと、それ自体が心臓になっているかのように脈打っていた。 「こうすると・・・凄い反応するのに。殺しているのは、辛いんじゃないですか?」 乳輪も含めて揉み込むと、高木の背が大きく反れた。まるで射精のときのような反応を、十倉が笑顔で見下ろす。ほらね、とその目は語っていた。 十倉の言う通りだ。声を上げないことで、快感を全く散らせない。声や呼気と一緒に甘い泡沫まで内に留め、どんどん膨らませていくみたいだ。いつもなら、胸だけでイキそうになったりしない。 「・・・あれ? ちょっと待ってください」 緩慢に弄る動きを止め、十倉は高木の顔をよく見ようと近付いた。その気配に、高木も虚ろに目を開いて視線を合わせようとする。十倉の目がくっと細められるのに、高木は身構えた。 「やっぱり、血が滲んでる。こんなにするほど我慢しないでくださいよ」 「だ、って・・・」 「だってじゃなくて」 怒るように言って、十倉は覆い被さって唇を重ねた。それはキスというよりは消毒で、傷付いた下唇を子供が乳を吸うように口内で揉んだ。滅多にされない愛撫に、腰が震える。 「っは、大湖・・・」 「少し待ってて」 もう少し、と強請る高木から離れ、十倉は部屋を出た。そして、小さいハンドタオルを手に戻ってきた。 「どうしても声を抑えたいのなら、これ入れてください。でも、あんま強く咬んじゃ駄目ですよ?」 指で押し込むように入れられ、一瞬で口の中の水分が奪われた。しかしすぐにまた潤い、そこまで息苦しいわけでもなくなる。大人しくそれを含むのを見て、十倉が嘲笑した。 「なんだか、今からレイプでもする気分です。腕も縛りますか?」 笑いを含む提案に、高木は激しく首を振る。十倉に触れられないなんて、真っ平だ。 「分かってますよ」 そう言いつつも、十倉は高木を拘束することを好む。挿入の際以外は、よく高木の動きを封じた。そして散々高木を焦らしたあとで、漸く埋めてくれるのだ。思い出して、肩を震わせる。 暫く見下ろしてから、汗を吸い始めている服を脱がせにかかる。全て脱がせてから、自分も緩慢に脱いだ。晒されていく肌に、高木が喉を上下させるのを見て薄く笑う。 「やらしい顔。隣りに僕の家族がいるってのに、感じてるんですか?」 「ふぐぅ・・・っ」 「はは、冗談ですよ。広海はリビングに行ったはずなので、そこにはいません」 今更の情報に、高木は目を見開く。肩を震わせて笑う姿を、恨めしそうに見た。 「騙したわけじゃありませんよ。言わなかっただけです」 そう言って性器を掴むと、手の平にぬるりと先走りを乗せた。その状態で尻の間を撫で、襞を擦る。 「熱くなってますね。いつもより興奮してます?」 くちゅりと中指が挿し込まれ、全身が緊張で強張る。それを素早く出し入れされて、シーツを掴んで身を捩った。鉤状にした指が浅い部分にひっかかるたびに、ビンっと全身に痺れが走る。 「っふぅ、ふう・・・ふくっ・・・」 ぼろぼろと涙を零しながらタオルを喰い締める顔が、苦しげなのになんとも煽情的だ。十倉はうっとりとその顔を眺め、挿し込む指を増やした。びくんっと跳ねる体を、空いている手でさすってやる。 「こっち見て、恭臣。その目に、僕を映して」 涙で光る目を向けて、高木は呻いた。十倉の目が、優しく笑うからだ。 「前からと後ろからと、どっちがいいですか?」 三本に増やされた指でいささか乱暴に擦られ、高木は先走りを飛ばしながら首を反らした。鼻から激しい呼吸を繰り返し、震える指で太股の裏を掴む。そのまま膝が胸に付くほど引き寄せ、陰部を露わにしたまま顔を背けた。 引き抜いた指でその尻や太股を撫で、十倉が喉を鳴らす。 「・・・前からがいいんですか?」 「ふ、っく・・・」 かくかくと頷く高木の指が汗で滑る。肉を離してしまいそうなその手に己のを重ね、更に開かせた。足の間で頼りなく震える性器が、快感の訪れを期待して密を漏らす。 「力抜いて、恭臣」 膝を掴んで体を曲げさせると、十倉はゆっくりとその身を埋めてきた。襞を伸ばしながらじわじわと圧を高めていく動きに、高木は足を突っ張らせて耐えた。緩慢すぎて、おかしくなりそう。 「んぅっ! っふ、うぅ・・・」 括約筋を収縮させて飲み込もうとする高木に相対し、十倉は本当にのんびりと身を進めてきた。時間をかけて中に収め、ふぅと息をつく。額に貼り付く髪を剥がすと、高木の潤んだ目が問うように細められた。 「あんまり激しくしたら、声抑えられないでしょう? 恭臣の声は響くから、きっと下まで聞こえてしまう」 それを想像して恐くなったようだが、しかし疼く体の要求には逆らえなかった。ぐるりと腰を回し、早くと促す。 「全く・・・」 「くふ・・・っん、んぅ・・・っん!」 ずるりと半分ほど抜き、戻すときは一息に押し込む。緩急つけた抽出に、高木はシーツを握る指をぶるぶると震わせた。 「普段もそれぐらい、欲しがってくださいよっ」 何を怒っているのか、十倉は叩き付けるように抽出を繰り返した。喉の奥で、苦しそうな喘ぎがくぐもって爆ぜている。 「んぐっ、ん、んぁ・・・っあ、」 顔が近付いてきたと思ったら、ハンドタオルを歯で挟んで奪われた。唾液で重くなったそれを遠くへ放り、代わりに唇を押し付けてくる。 「うっんっんっん、んぁ、や・・・声、出ちゃ・・・」 唇が離れた途端に溢れ出す声を、十倉の手が塞いだ。正しく強姦みたいだと自嘲して、ラストスパートをかける。高木の熱い吐息が手の平に当たり、なんだかやけに興奮した。 「出しますよ、恭臣。恭臣も、イって」 「んふっ! んっんっうっ・・・! んんーっ!」 もう爆発寸前だった性器に触れた手が強く擦り上げ、高木は頭を振って全身を強張らせた。ぎゅっと搾るように引き締めた奥で十倉の熱を感じると同時、口の中に鉄の味が広がる。はっと目を見開いた先で十倉と視線が合い、その目が笑った。 苦しそうに眉を顰めるのを見ながら、最後の一滴まで注ぎ込もうと腰を密着させる。ひくひくと、腹の下が痙攣したように思えた。 疲労でぐったりと意識を失った体から離れ、十倉は髪を掻き上げた。細い髪が傷口に入り込み、片目を細める。 少し虐めすぎたかもしれない。固まりかけの血を舌先でこそげ落とし、十倉はうっそりと微笑んだ。 シャワーを浴びさせることはできないから、濡れタオルでも取ってこなくては。冷えないように毛布をかけてから軽く見繕いを整え、扉を開けるとちょうど部屋に入ろうとしている広海とかち合った。お、と一瞬動きを止めた後で、そっと耳打ちする。 「トイレ、ちゃんと換気してきた?」 「・・・ほんと性格悪いよね、兄貴」 少し顔を赤くしたが、広海は苦い表情でそう言った。 「聞かれてるの知ってて、よくもまああそこまでできるよな。高木さん、可哀そう」 「いいんだよ、あの人はああいうときのが可愛いから」 「・・・普通、家族にはそういうとこ知られたくないもんなんじゃないの?」 皮肉な言い方を、笑顔で受け流す。扉を閉めて、下に誘った。開きかけた扉を閉め、広海もやれやれと肩を竦ませながらそれに続いた。 タオルやミネラルウォーターを準備しながら、背後の広海に向かって嘲笑を投げる。 「それにしても、よく僕と恭臣が付き合ってるって気付いたね。知ってて、あんなこと訊いてたんでしょ?」 「あ、バレた? だってあの人、昔家に連れてきた女子みたいな顔してたし」 緊張と、少しの期待。悦びも、その表情には見え隠れする。 広海の質問でうろたえる高木は可愛かった。そんなことを思い浮かべ、タオルを濡らしながら弟を見やる。 「それに兄貴に彼女・・・ああ、彼氏だったのか。がいたのは聞いてたし。・・・兄貴が抱いてるとは、思わなかったけど」 タオルを二枚きつく絞り上げ、ペットボトルと一緒に盆に置く。それを持って階段を昇り、扉の前で足を止めた。兄が部屋に入らないのを見て、首を傾げる。 「その位置だと、恭臣が見えちゃうから」 自分の兄ながら、その外見はブラウン管の中にいる奴らにも見劣りはしない。その顔に笑顔の圧力をかけられ、広海は肩を竦めた。すげー独占欲、と最後の皮肉を漏らし、舌を出しながら部屋に戻っていく。その閉まる間際に、にんまりと笑って返した。 「お前も早く、雄大くんのこと許してやれよ?」 「はあ? 何言ってんだよ、馬鹿!」 顔を赤くさせて、広海は部屋に戻った。くすくすと笑ってから、十倉も自室に入る。高木はまだ眠っていたが、扉の閉まる音に瞼をひくつかせた。 「だい・・・?」 「寝ていていいですよ。今、奇麗にしてあげますから」 「や・・・そんな、こと」 させたくないと渋るが、上手く体を動かせないようだった。伸ばしてくる腕を首にかけさせ、その顎を上げさせる。口移しでミネラルウォーターを含ませると、嬉しそうに口をもじつかせた。 何度かに分けて少しだけ飲ませ、その体をベッドに戻して拭き始めた。最初は抗うように身を捩ったが、やがて疲れに任せて動きを止める。十倉のやりやすいように、力を入れたり抜いたりもした。 「恭臣・・・恭臣、僕ね。もう一つ嘘ついてるんだよ」 拭いた肌を撫でながら話しかけるが、高木の反応はなかった。どうやら、再び眠気に負けてしまったようだ。それに構わず、十倉は続ける。 「広海にだけでも・・・僕の家族に、教えておきたかったんです。僕の、付き合っている人を」 今日のことを両親に言うことはないだろうが、さっき話すまでは正直恐かった。高木の気持ちが、少しだけ分かった気がした。 手を取って指先にキスを落とす。その手は自分のより大きく骨っぽかったが、それでも愛しさに胸が詰まった。年上のこの男を、心底可愛いと思う。 「大丈夫ですよ、恭臣」 キスした手を、ゆっくりとさする。 「僕の家族は、大丈夫みたいです」 壊しはしない。高木がそれを気にする限り、ずっと。 二枚のタオルで奇麗にし終えたところで、髪を撫で付けてキスをした。少しだけ眉を動かした高木が、薄く瞼を開く。 「大湖・・・」 「僕はここにいますよ、恭臣」 ベッドに潜り込んで一緒に毛布を被り、抱き締めて背中をさする。高木も寝惚けながら腕を回してきた。 「キス、して」 甘える声に、十倉は応えてやった。そして胸に頭を寄せ、弱い力で抱き締めてもらう。 抱き合うっていい。包まれ、包む心地に酔い痴れる。 この温もりを失わないために、他に何を失っても構わない。でも失うことで高木が泣くのなら。 難しいなあなんて自嘲して、十倉は快い眠気に身を委ねた。 終。 09.01.16 お待たせしました! キリ番ゲットema様へ送る「羊と狼」シリーズの話、です。 これはema様のみお持ち帰り可能となります☆ |