『律する狼』

 高木の馴染みだという店は、『木葉』という明らかにそれと分かるゲイバーだった。
 恋人として付き合うようになって一ヶ月と少し。週末になると二人で食事に出かけ、その足で高木のアパートへ行き、泊まるのが常となっていた。
 大抵土日も一緒に過ごし、月曜の朝に早めに出勤して会社近くのカフェで朝食を摂る。たったそれだけのことが高木には嬉しいことのようで、初めてのときと変わらない反応を見せては十倉を笑わせた。
 そんなわけで今日も二人でパスタなど食べてきたのだが、その中で高木がぽろりと漏らしたのだ。最近、百合さんに会ってないな、と。
 百合とはその店のオーナーであり、バーテンでもあるオカマなのだという。何もないのは分かっているが、高木がそういう店に行っていたということがなんとなく気になる。不安の芽は速めに間引いておこうというのが、十倉の信条だった。
 派手な街頭の中で、そこだけ落ち着いた雰囲気を放っている。黙って見上げているのを不機嫌になっていると思ったのか、つん、と背広の襟首を引かれた。
「な、もういいだろ? 最近は全然来てないし、百合さんとは何も・・・」
「何もないかどうかは僕が決めることです」
 いつもより少しばかりトーンの低い声で一喝され、高木はその長身をしゅんと縮めた。落ち込みそうな気配に気付いた十倉が振り向き、苦笑する。
「怒ってる訳じゃありませんよ。ちょっと、確認を」
「確認?」
 尋ねる高木にこっちの話ですと誤魔化して、高い位置にある頭をよしよしと撫でた。目を細めて控えめに笑う頬を指で辿り、離す際に少しだけ顎をくすぐる。それだけで過敏に反応して顔を紅潮させる高木に微笑んで、木葉の扉を押し開けた。
 開けた瞬間、ふわりと鼻腔に侵入する甘い香りに、眉を少し上げる。薄暗い照明の店内は穏やかな音楽で満たされており、なんとなく高木の気に入りそうな店だと思った。
 カウンターに二人、よく見えないが奥にも何人かいる。女の人もいて軽く驚いたが、ゲイという言葉にはレズビアンも入るのだと教えられていたことを思い出した。その連中は分からないが、カウンターにいる二人は見るからにカップルだ。その内の一人が十倉に気付き、その背後にいる高木に向かって手を挙げる。振り向くと高木もそれに返していて、十倉が見ていることに気付いて慌てて開いていた手を閉じた。
「知り合い?」
「えと・・・うん、前に、ちょっと」
 視線を戻すともうこちらを見ていなかったが、結構可愛かったような気がする。ふうんと鼻を鳴らすと、奥から野太い声が聞こえてきた。
「あら! オミじゃないのぅ」
 これが話に聞いたオカマなのか、と思い目を丸くする。大柄なその男は、薄闇でも分かるほど鮮やかな青い目をしていた。
「久し振りですね、グイド」
「んもう、スミレって呼んで」
 くねくねとシナを作る態度は、明らかにオカマだ。その髪は白に近い金髪で、流暢な日本語を話していなければ外国人モデルとしても通用しそうなほど凛々しい。
 そんなことを考えながら見ていたら、高木が嬉しそうに笑っていた。
「今は菫なの? 最後に会ったときは百合だったのに」
「その前にランもあったのよ。オミがなかなか来ないから、知らないだけ」
 カウンターを挟んで会話を始めてしまったので、そこに座るしかない。高木も並んで座り、近況などを話している。ちらちらと十倉を窺っていたが、紹介されるまでは黙ってようと決めていた。すると、グイドと呼ばれた大男のほうから話を振ってきた。
「来なかったのは、そこの彼が原因なのかしら? 紹介してちょうだいな」
「えと・・・十倉は会社の後輩、で」
 躊躇う高木の語尾を、グイドが拾う。
「恋人?」
 直球な質問に一瞬で顔を赤くし、ちらりと十倉を見てからおずおずと頷いた。その顔に内心でぶっかけたいなあなどと考えながら、前に視線を移す。と、グイドの視線がじっと注がれていたことに気付き、怪訝な顔を隠して笑ってみせた。
「僕の顔に何か付いてます?」
「いいえ? ・・・ほんと。オミの好みは一貫してるわねぇ、と思って」
「ちょ、グイド・・・」
 溜め息を吐きながらの言葉に、高木が慌てて制止をかける。それを笑って茶化すグイドに、十倉は小さく訊いた。
「それって、彼みたいな?」
 向こうからは死角になるようさっきの青年を指すと、グイドは一度目を丸くしてから口角を横に引くようにして笑った。その顔は、正解であると暗に語っている。
「毎回連れてくる子は違ったけど、全員小動物系の可愛子ちゃんなのよね」
「へぇ・・・恭臣さんってモテてたんだ?」
 くすくすと笑いながら視線をやると、高木は俯いて真っ青になっていた。その膝頭に指先で触れれば、ビクリと肩を震わせる。
「そうよぉ。この辺でオミに手を付けられていない可愛い子はいないんじゃないかしら。タラシっていうの? あなたも気を付けなさいよ」
「はは、そうします」
 カウンターの下で太股まで撫で上げると、高木はガタンと音を立ててスツールから落ちそうになった。その体を素早く支えて、心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですか? やっぱり、結構酔ってるんじゃ・・・」
「あら、もう出来上がってたの? 浮気者ねぇ」
 勿論嘘だ。しかしにっこりと笑みを向け、申し訳なさそうに会釈する。
「次は最初からここに来ることにします。ほら恭臣さん、立って」
 促すと、高木は震えながら従った。その手をぐいと引っ張り、何か言っているグイドに適当な挨拶をして店を出る。すぐにタクシーを捕まえ、高木を押し込むように入れた。
 怯えた様子でこちらを見ない姿に喉を鳴らし、運転手に行き先を告げる。もう空で言えるようになった、高木の住所を。
「・・・恭臣さん」
 走り出した車内で、ぽつりと声をかけた。肩を跳ねさせるのを薄目で見て、くすくすと笑う。
「何か言ったら、どうですか?」
 高木の喉が緊張で大きく上下した。その心臓はうるさく脈打っているのか、胸に手を当てて苦しそうだ。くっと笑うと、ぎゅっと身を縮こまらせた。
「可愛いですね、ほんと」
 めちゃくちゃにしてやりたくなります。
 さらっと言った言葉に、高木は唇を震わせた。


 部屋に入るなり扉に押し付けると、高木は小さく呻いて鍵を落とした。肺から一気に空気を吐いて喘ぐ口をネクタイで引き寄せて塞ぎ、わざと歯を立てるようにして貪った。苦しそうな声に、ぞくぞくする。
「ふぁ、っあ・・・やだ、十倉・・・いや、だ」
 弱く押し返してくる腕を無視して、かなり乱暴に服を脱がせていく。施錠しようとする高木の手を掴んで邪魔すると、絶望的な目でこちらを見た。
「いいじゃないですか。どうせ誰も来ませんよ」
「でも、」
 大学時代からだらだら住んでいるというこのアパートは、よくある話のようにそこまで壁が薄かったりはしない。
 しかし玄関ともなるとその限りではなく、響く声が外に聞こえないか不安なのだろう。その泣きそうな顔を両手で包み、にっこりと微笑んだ。
「冗談ですよ」
 ガチリと錠を落とし、ついでに鍵の束も拾う。そのまま何事もなかったかのように室内へ進んでいく十倉の後ろで、こっそり安堵する。しかしそれは高木の早合点だったようで、十倉はベッドに座るなり服を脱ぐよう言い放った。
「え・・・」
「早く。途中まではしてあげたでしょう?」
 笑顔で急かされ、高木は半分までボタンの外されているワイシャツに手をかけた。震える指を鼓舞して、なるべく早く脱いでいく。逆らおうなんて考えは、十倉の笑顔の前では微塵も湧いてこない。
「下も全部ですよ。できたら、両手を出して」
 言われるまま寄って来て差し出された手に、十倉は自らのネクタイをぐるぐると巻いていった。目元をひくつかせる高木の顔を見上げ、くすりと笑う。
「僕のこと、好きですよね? なら何をそんなに恐がっているんです?」
「とく、十倉が・・・っおこ、てるから・・・」
「怒ってなんかいませんよ。ちょっと気に喰わないだけ」
 そう言うと、一まとめにした腕を持ってベッドに引き倒す。側面から落ちた高木を上から見下ろし、その顔をよく見ようと顔を近付けた。泣きそうなのか、赤く染まっている目元に口付ける。
 睫毛が震えるのを間近で見てから、少し離れた場所でゆったりと座り前を寛げた。性器を取り出し、用を足すときの要領で片手で持ち上げる。誘うような眼差しで見れば、高木がにじり寄ってきた。
「勃たせて、恭臣。好きでしょう?」
 笑いを含む誘いに、高木はいつかのように悲愴な表情を浮かべるようなことはない。少し赤らんだ顔で頷き、素直にそこへ顔を埋めた。まだ柔らかいそれを愛しむように口付け、小さいうちに奥まで飲み込もうとする。
「んぐ、」
 すぐに膨らむそれを高木は必死で咥えていたが、やがて大きさに負けて苦しそうに顔を引いた。ぶるん、と跳ねるそれを前にして、うっとりと目を細める。そして顔を横にすると、ハーモニカでも吹くように唇で挟んでスライドさせた。
「っん、上手いよね、恭臣さん。今までに何人にしたんですか?」
 普段の口ぶりで訊かれ、高木はぎくりと体を強張らせた。思わず歯を立ててしまい、慌ててそこに舌を這わせて十倉を上目遣いに見た。その怯えた視線をやんわりと受け止め、頭を撫でる。
「挿入れるだけがセックスじゃないですよね。一体、ここで何人の精液を受けたんです?」
 濡れた唇を押され、高木は弱く首を振った。それが否定ではなく許しを乞うものだと分かっていながら、十倉は笑って見せた。眉を下げてほっと胸を撫で下ろす様を見て、その体を仰向けにさせる。
「かけて欲しいですか? それとも、中に欲しい?」
 膝立ちで見下ろす十倉の中心を見て、高木が喉を鳴らした。恥じらいながら足を広げていき、腰も少し浮かす。
「中に、ほし・・・十倉ので、一杯にして」
 震える声の誘いに、十倉が口角を上げる。服を脱ぐと、ベッドサイドにある棚からローションを持ち出した。手に取り、ぬちゃぬちゃと揉んでから擦り付ける。
 快感の予感に高木が睫毛を震わせたが、皺を伸ばすように擦り続けるだけで、指の一本すら挿入してくれなかった。
「とく・・・ら?」
「一つ答えるごとに、一本入れてあげます。まず第一問、ファーストキスはいつ?」
「え、」
 縛り上げた手を頭上に縫い付けながら、十倉が顔を近付けてきた。逆光で少し翳った笑顔に、ぞくりとする。
「誰? 言わないなら、このまま挿しちゃいますよ」
 宣言に悲痛な顔で首を振った。慣らしてなお辛いものを、少し濡らしただけで受け入れるなんて。
 真っ青になって唇を震わせると、そこをぺろりと舐められた。顔を離しながら可愛らしく小首を傾げ、ねだってくる。
「ね、教えて? 別に調べ出してどうこうするなんて思っちゃいませんよ」
「だって、この前・・・」
「付き合ってる人のことはなんでも知りたいじゃないですか。ちなみに僕は、恭臣さんがファーストキスですからね」
 言われて、恐怖にも喜びにも体が震えた。
 この男はどうして一つの言葉でこうも人を揺さぶれるのだろう。唇を咬んでうろたえる高木の前で、もう一度微笑む。その顔でのおねだりに抗える人がいるなら、一度会ってその秘訣を聞きたい。
「ちゅ・・・がくの、同級生。修学旅行で、寝てるあい、っだに・・・」
 言葉の途中でぬるりと指を挿し込まれ、息を詰まらせる。それが中を擦るのに合わせ、はあはあと呼吸を荒げた。
「それって、初恋の人だったり?」
「ん、」
 こくんと頷くのに軽く眉を上げ、それを二つ目の質問ということにして指を増やした。いささか乱暴に掻き回し、喉を反らせて喘ぐのに唾を飲み込んだ。
「じゃあ次。気になってたんですけど、挿入されたのは僕が初めてでも、挿入れたことはあるんでしょう?」
 言い終わるより先に、高木の顔が青く染まっていった。ありゃ、と思うも、訊かずにはいられない。
「何人と・・・したんですか?」
 黙っているのを咎めるように指を回したら、身を縮こまらせながらしゃくり上げた。ボロボロと涙を零し、顔を背ける。
「っや、もうやだ・・・っなん、なんでそんなこと・・・知らなくていいことだって、あ、あるだろっ」
 ぐすぐすと鼻をすする高木の頬を舐め、その塩辛さに苦笑する。目尻から流れる涙を吸い、零れればまた舌で掬う。何度かそうしているうちに涙は止まったが、ひくっとしゃくり上げるのだけはそのままだった。
「仕方、ないだろ・・・俺はもう28で、それなりに色々・・・それを、責められたって・・・」
「責めてるわけじゃありませんよ」
 震える唇をついばみながら、三本目の指を突き入れた。ぐりぐりと広げるように抜き差しし、生じる甘い声を逐一口で受け止める。解放する頃には、とろりと瞳を潤ませて顔を火照らせていた。その高木から指を抜き、膝を持って大きく開かせる。
「それじゃあ、最後の質問です」
 ひたりと熱いものが触れるのと同時にそんなことを言われ、高木は懇願するように首を振った。
「・・・も、やだ。答えたく、な」
「僕のこと、好きですか?」
 高木の言葉を遮ってされた質問に一瞬目を丸くし、その見開かれた瞳から涙が溢れた。何か言おうと開いては空気を食む様子に十倉が笑い、口付ける。
「泣かないでください。それとも、泣くほど答えたくない?」
「・・・っき、」
「はい?」
「すき、好き・・・十倉が好きで好きで、好きなんだよ・・・っごめ、俺・・・」
 ひくひくと喉を痙攣させて言う言葉に、十倉が呆れたように嘆息した。
「だから、なんで謝るんですか・・・」
 苦笑し、十倉は一気にその太いものの先端を埋め込んだ。ひゅっと高木の喉から空気が押し出されるように漏れ、次いで痛がって身を捩る。ずり上がってしまいそうなのを必死で耐えていたが、額には脂汗が浮かんでいた。
「ん、んぁ・・・っと、十倉・・・!」
「辛いでしょうけど、力抜いて。僕も、痛いです」
 そう言いながら無理やり押し入り、全部収めたときには高木の全身はぐっしょりと濡れるほど汗を噴いていた。それは十倉も同様で、深い溜め息を吐いて高木の頬を撫でた。
「どうです? 恭臣さんの中、僕で一杯ですか?」
 汗や涙を拭くように手指を動かされ、高木は頷きながらその手に擦り寄った。泣き疲れた子どものように目を閉じ、涙の絡まる睫毛を揺らす。
「・・・お前だけ。お前だけだよ、十倉。十倉だけが、俺を満たしてくれるんだ」
 他人の肌の温度を全く知らないと言ったら、嘘になる。人間なんだから、人恋しくてどうにもならないときがあるのだ。
 好きでもない人に体を征服されるのには抵抗があった。それなら、と全然好みでもない男や、それこそ女性を抱いてみたり。それでも、気持ちいいのは射精の瞬間だけ。事前も最中も事後も、胸中には虚しさばかりが募った。こんなに満たされた気分になるのは、十倉としているときだけだ。
 他にも色々伝えたかったが、それは叶わなかった。直後始まった激しい律動に、高木は呼吸を確保するだけで精一杯になったからだ。
「んあっあっん、とく・・・十倉、あぁっ」
「・・・ここ、でしたっけ? 恭臣さんのいいところ。今日は、ここだけでイってみませんか?」
 面白いことを思いついたというように目を輝かせる十倉の下で、高木の性器が射精の欲求に大きく膨らんでいた。先端を潤しながら震え、触れて欲しそうに揺らめいている。
 しかしその欲望に答えてやることはせず、中ばかりを執拗に責めた。前への刺激がない限り達することのない高木にとってそれは地獄の苦しみで、がくがくと頭を揺らしながら意味のない言葉を迸らせる。
「ぅあ、あんっあんっあっあく、とくら・・・って、手ぇ、外して・・・!」
「だから駄目ですって。今日はこっちだけで・・・」
「ちが・・・こす、触んな、から・・・っおねが、」
 なんだかんだ言いつつも、泣かれると弱い。揺さぶり続けたまま解放してやると、高木は待ち望んでいたというように性急に首へ手を回してきた。驚く十倉にぎゅっとしがみ付き、頬を摺り寄せる。
「好き、十倉・・・だから、ぁ・・・」
 皆まで言われなくとも、その行為の意味することは分かった。了解です、と力一杯抱き締めてやると、高い声を上げながら腰を淫らに揺らして果てた。びくびくと全身を震わせ、初めての快感に唇を震わせる。その際の収縮に誘引され、十倉も最奥へと吐き出した。
「っや、まだ抜かな・・・」
「・・・分かりました」
 後頭部を撫でながら、その鼻先にキスをした。次に唇を塞ぎ、喰らうように吸い上げる。
「あんま可愛いのも、問題なんですけど・・・分かってます?」
 腰を持ち上げるようにして上に乗せると、高木は甘い嬌声を部屋中に散らせた。その尻たぶを掴んで広げ突き上げれば、快感に声を上げて泣く。それをうっとりと聞きながら、十倉は高木の体を存分に楽しんだ。時折乳首や性器を弄ってやると、更に可愛く鳴いた。
「その泣き顔は・・・僕だけですよね。僕だけが、知ってるんですよね?」
 問いかけに、答えはなかった。髪を振り乱しながら喘ぐ姿に、十倉はくすりと笑う。
「・・・まあいいか。今までの分も埋めるくらい、一緒にいましょうね」
 それこそ、28年より長く。
 聞きようによってはプロポーズにすら取れる言葉を、高木は聞き漏らしていた。


 少し重い感じのする扉を、今日は一人でくぐった。就業時間になってからすぐ向かったので、予想通り客の入りは少なかった。カウンターでグラスを拭いている男がこちらに気付き、会釈はせず口元だけで笑いかけた。
「ドリーム」
 甘さも度数もきついそのカクテルの名前に、男は眉を上げたがすぐに応じる。店内の音楽にシェーカーを振る音が交ざり、不思議な調和を生んだ。
 暫くして、濃いオレンジ色の液体で満たされたグラスが置かれた。一口飲んで、舌鼓を打つ。素直に褒めると、バーテンは肩を竦めた。
「世間話ならいらないわよ、トクラくん?」
「新米といえども、一応営業マンですから。でもそれなら話が早いですね、グイドさん」
 前回のように、スミレよ、と訂正はしなかった。二人の間で視線が交錯し、静寂が訪れる。先にその均衡を崩したのはグイドのほうで、眉を下げながら呆れたような笑みを漏らした。
「やっぱり怒ってるのね? あたしが変な話したから」
「怒ってはいませんよ。まあ、理由は聞きたいと思ってますが」
 にっこりと笑ってみせると、グイドは接客用の笑みも消して警戒するような視線を送ってきた。それに対して今度は十倉が肩を竦め、後ろに体重をかける。
「生憎ですが、僕は恭臣さんが過去に何をしていようと、妬いたりはしません。・・・あの人は、気にしてたみたいですけど」
「この間のあなたの態度は、そうは言ってなかったみたいだけど?」
「ああ」
 言及に、十倉は視線を落として微かに笑った。
「あれは貴方に対して、ですよ。わざとだったのでしょう? あの話を切り出したのも」
 いくら仲が良いとはいえ、客の嫌がることを言うバーテンなんて聞いたことがない。それに、グイドはなんとなく十倉を良く思っていないようだった。そういうのは、空気で分かる。
 そんなことを言うと、グイドは芝居がかった調子でおどけてみせた。
「だって貴方、私が恋人なのかって訊いたとき、顔色一つ変えなかったじゃない? そのくせ周りには警戒心振り乱して・・・オミのことを変な形で束縛しているのなら、やめて欲しかっただけよ」
「僕は余り顔には出さないほうなんですよ。恭臣さんだって、それは分かってます」
「それでも」
 言葉尻を抑えるように、グイドが語調を強くした。
「言葉や態度にも示してほしいのが、人間ってものよ。抱かれているだけじゃ、滅多に安心できないの」
 口元に手を持っていき、十倉が眉を上げた。意外そうな声で、問いかける。
「恭臣さんがネコだって、分かってたんですね」
「何言ってるの。だからタチの私に対してずっとピリピリしてたんでしょう?」
 その切り返しに、十倉は今知ったかのように目を丸くした。そして目を瞬かせ、恥ずかしそうにはにかんだ。
「実は僕、ゲイだと自覚してから日が浅いんですよね。見分け方なんて、全く分かりませんよ」
「それじゃあ・・・」
「恭臣さんと話す連中は、誰であっても警戒しますよ。あの人には、そういうのがないですから」
「・・・随分な入れ込みようなのね」
 肩の力を抜くように笑い、空になっていたグラスを下げた。同じものを注ぎなおし、柔らかな仕草でカウンターに置く。そして両肘を突くと、乗り出すようにしてじっと十倉の顔を見つめてきた。
「来なくなる前、ノンケに恋してるって泣いてたけど・・・あなたのことだったのね」
「ノンケ?」
「私たちと違って、ゲイじゃない人たちのことよ」
 新しいグラスに口を付け、舌の上で転がすようにする。ちり、とアルコールの熱さが空きっ腹にしみ、それが治まる前に一気に中身を煽った。そして軽く音を立ててグラスを置くと、グイドの目を正面から挑むように見た。
「いくら恭臣さんが慕っているとはいえ、グイドさんでも必要以上の接触は認めませんからね」
 肩を竦める仕草を了承と取り、十倉は立ち上がって財布を出した。支払おうとする手を、グイドが止める。
「今日は奢るわ。嫌な思いをさせちゃったお詫びに」
 その言葉に一旦固まり、しかし丁寧に辞して金を出した。渋るグイドに、可愛らしい笑みを向ける。
「どうせなら、恭臣さんに奢ってあげてください。あれをネタにして、僕は逆に楽しめたんで」
 言葉に含まれるものの意味を悟り、グイドは妖しい笑みを浮かべながらそれを受け取った。唇に当て、嘆息する。
「オミも、凄い男に捕まったものね」
「何言ってんですか」
 諦めるような言い方に、十倉は声を上げて笑った。子どもらしい笑顔に、残っていた毒気も抜かれる心地がする。
「捕まったのは、僕のほうですよ。僕が、あの人から離れたくないんです」
「あらまあ」
 さらりと言う内容に、二人してくすくすと笑い合う。す、とグイドが手を伸ばしてきた。
「今度は二人で来てちょうだいな。トクラ・・・」
「ダイゴです。十倉大湖。次は、揃って奢ってもらいますね」
 握手を交わしながらちゃっかりとそんなことを言い、扉を押して外に出る。夜気の冷たさがアルコールの入った体に涼しく、十倉は目を細めた。
 珍しく鼻歌でも奏でたい気分で、ふと思い立って携帯を取り出す。短縮ダイヤルの一番を押し、耳に当てる。
「・・・あ、恭臣さん? 今から行くんで、中奇麗にしておいてもらってもいいですか?」
 受話器の向こうで高木がうろたえたのか、軽く笑いながら手を上げた。キキっと音を立ててタクシーが停まる。
「安心してくださいよ。ちゃんとセーブかけますから。・・・それとも、入ったまま犯されたいですか?」
 言葉もないのだろう。一向に反応がないことに笑い、冗談ですよと宥める。
「週末まで待てないんです。駄目ですか?」
 伺いを立ててはいるが、アパートに向かっているタクシーの行き先を変える気はさらさらない。それに、高木が断るわけがないともよく分かっていた。
 暫くして小さな了承の声が聞こえ、十倉が顔をほころばせる。何か買っていきましょうかなどと適当に話し、その終わりについでのように付け足した。
「好きです、恭臣さん」
 一瞬の沈黙の後、何か大きな音がした。その後がさごそと音がし、慌てて通話を確認する声が聞こえ、落としたのだろうと分かる。はは、とおかしそうに笑い声を上げた。
「落ち着いてくださいよ。・・・いや、言ってなかったなと思いまして。好きですよ、とても」
 また沈黙が訪れ、十倉はピンときて目を閉じた。
「泣いているんですか? 駄目ですよ、僕が行くまで我慢してください」
 さっきグイドと話していて、少しだけ嫌なことがあった。自分を想ってのこととはいえ、他の人間にあの顔を見られていたなんて。
「約束してください。もう、僕の前以外では泣かないって。できますか?」
 できますよね、と念を押す十倉の耳に、既に震えまくっている声が届いた。呆れたように笑いながら、その顔を想像して胸を躍らせる。
 放っておけばいくらでも溢れてきそうな涙を、舌で掬ってやるのが十倉は好きだった。泣かせるのも泣き止ませるのも、どちらも同じくらい好きで、泣き顔を想像するだけで楽しめた。
「泣かないで、ちゃんと奇麗にできていたら・・・今夜は、恭臣さんが僕のこと縛ってくれても構いませんよ」
 そこで強制的に通話を切り、フラップを閉じた。恐らく固まっているだろう姿を想像し、くすくすと笑う。
 縛らせてみたら、どんな反応をするだろうか。泣いていたら慰めつつお仕置きをして、洗浄できていなければこの手でしてやってもいい。どの選択であっても、十倉が楽しめることに変わりはないのだ。
 喉の奥で笑いながら、十倉は目を閉じた。程よく回ったアルコールのおかげで、今夜はいい気分でいられそうだ。






終。
08.1112
20000hits記念小説です! nisiさん、リクエストありがとうございました!
この小説は、nisiさんのみお持ち帰り自由となります☆