『囲われし羊』


 十倉大湖からは、いつも微かだが甘い匂いがする。それは香水や洗剤の匂いではない。単に、十倉のデスクにはお菓子が集まるからだ。
 彼は見た目に可愛く、そして中身も甘え上手で人懐っこい。そんなだから、入社すぐに周りからちやほやされる存在になった。お菓子類が集まるのも、女子社員からの貢物というよりは、ついあげたくなってしまうからあげた、という理由からだ。
 大体の女性社員から可愛がられ、男性社員から疎まれることもない。販促部内だけでなく、会社中のアイドルとして、十倉は注目を浴びていた。
 高木恭臣もそんな十倉に心奪われた一人で、それは禁断の恋心という形で高木を苦しめた。苦しんで苦しんで、なくすことを覚悟で告白した彼を、十倉は受け入れてくれた。それも、最高の形で。
 恋人同士になって半年がたつが、未だに少し不安になる。十倉は、自分と付き合っていて幸せなのだろうか、と。
 高木は十倉にとって初めての男だ。今は一番好きだと言ってくれても、いつか自分以上に魅力的な人物が現れたら。特に可愛くもない、それも男の自分がこれから先も選ばれ続けるのだろうか。
 そういうことを考えていると十倉に怒られるのだが、それでも時々思わずにはいられないのだ。これはもう、日々の習慣としかいえない。
「とーくらくんっ」
 時計が昼休みを伝えるなり聞こえてきた声に、高木は思わずびくりとする。女性社員が二人、十倉のデスク付近へ近付いていた。
「そろそろバレンタインだけど、どこのチョコレートがいい?」
「社員全員にあげるけど、十倉くんの好みに合わせちゃう」
 きゃぴきゃぴと話す二人を遠巻きに眺める男性社員が、眉を寄せつつも笑っている。他の奴ならともかく、十倉なら注目されても構わない、という顔だ。
 そして当の本人はというと、にっこり笑ってパソコンから視線を移した。その笑顔に、女性社員だけでなく男性社員も心を温められる。
「僕は甘いものならなんでも好きですよ。チョコレートは特に」
 本当はそれ以上に甘いものを彼は知っているのだが、それを口に出すことはしない。言ってしまうと、愛すべきその好物はすぐに身を隠そうとしてしまうからだ。自分が世界一甘くて魅力的な存在であることを、いくら言っても信じようとはしなかった。
 そういう慎ましやかなところを、十倉は心底愛しいと思っている。いつまでも大事にしたいと、そんな誓いとともに。
「甘いものばかり食べていると、すぐ虫歯になるぞ」
「高木さん」
 女の人たちの高い声の合間に口を挟まれ、十倉はこれ以上ないくらいの笑顔を浮かばせた。それを向けられて、高木の顔が僅かだがほころぶ。
「大丈夫ですよ。僕は甘いものに目はないですけど、それより好きなものもありますから」
「・・・なら、いいけど」
 その言葉に含まれるものを感じて内心で照れる高木を残して、女性社員はそれは何かと騒ぎ出す。それに笑顔でなんでしょうねと返しながら、高木のほうをちらりと一瞬だけ見た。
「分かった、彼女でしょ! 最近よく嬉しそうにメールしてるの、知ってるんだからね」
 ぱちんと手を叩いて声を高める女性に、十倉は笑顔を向けた。肯定も否定もしなかったが、それでは正解だと言っているようなものだ。二人が顔を見合わせ、やっぱりと笑う。
「高木さん、十倉くんに彼女できたんですね。羨ましいなぁ」
「え? ああ・・・」
「高木さんはどうなんですか? 余り話を聞かないけど」
「俺は・・・そういうのは苦手だから」
「またまたぁ」
 笑いを含んだ声をどこか遠くで聞きながら、高木は十倉のほうへとひたすら気を向けていた。その十倉の頬が誰にもバレないように上がり、すいと立ち上がる。
「お昼ご飯に行きましょうか、高木さん。時間なくなっちゃいますよ」
「あ、それなら私たちも・・・」
「だめです。男同士の大事な話があるんで」
 人差し指を唇に当てながらそう言い、十倉は高木を促してその場を離れた。高木の足が、一瞬の躊躇いの後すぐに従った。


 昼食を食べに行くと言ったのに、十倉の足は社内食堂でも外でもなく、階下の倉庫フロアへ向かった。高木を連れ立って入るなり鍵を閉め、棚を背にして手を伸ばす。
「恭臣、また何か変なこと考えてませんでした?」
「う・・・」
 伸ばされた手を取ろうとして、怯えるように戻す。しかしそれをぱしりと掴まれて、結局は腕の中へと誘われた。
「どうしてそんなに不安なんですか?」
 ボタンを弾くようにしてワイシャツの前を開かれ、肩が跳ねた。するりと差し込まれる手先の冷たさを感じながら、目を閉じる。
 十倉の手が、硬いものに触れる。一度肌から離れるとすぐさま熱を失うそれは、再び胸の上に乗せられることでその存在を高木に知らせた。それをもらったときのことを思い出して、目元を赤く染める。
「せっかくあげたのに、指にはつけてくれないし」
「・・・それは、お前だって」
「僕はまだ周りから子供扱いされてますから。でも恭臣には、ちゃんと牽制してもらいたいんです」
「牽制って・・・」
 そんな必要はないと、高木は本気で信じている。人目を惹くのは十倉ばかりだと、そう思っているのだ。
 十倉が女性社員と喋っていると気が気じゃない。特に、今日話しかけていた二人組のうちの一人。あれはきっと、十倉に好意を寄せている。ことあるごとに十倉に話しかけ、高木が近くに寄ってもその頬はうっすらと朱に染まっている。その顔は可愛らしくて、高木はいつも以上に不安を煽られた。
「と、大湖が女の子と付き合いたくなったら、いつでも・・・」
「怒られたいんですか?」
 きゅっと胸の中心を抓まれて、高木は胸を引いた。しかしすぐにきちんと立ち直し、十倉のやり易いようにさせる。
「嫉妬してくれるのは嬉しいんですけど、それがどう転じたら僕が他の人に懸想するなんて考えるんですかね」
 指の腹でころころと動かしながら、頭を下げるように促して唇を塞いだ。柔らかさを楽しむように吸い上げ、舐め、甘く咬む。
 少し強く指を動かすと、口の中に空気と一緒に高い声が散った。それをいくつも飲み込みながら、体を反転させ高木の背中を棚へと押し付けた。
「何度も言うようだけど、僕が好きなのは貴方だけですよ」
 もう一度唇をついばんで、そのまま顎のラインを食むようにしてなぞっていく。首筋に舌を這わせると、高木のしなやかな肌が産毛を揺らした。
「とく・・・大湖、大湖・・・ここ、会社・・・」
「誰か来るのが嫌だったら、声を出さないで。得意ですよね?」
 いつも胸の内だけで色々考えて、教えようともしてくれない。そんな不満を唇に乗せて、十倉は高木を苛んだ。
「だ、大湖・・・やだ、やめ・・・」
 十倉の口が堅く張った胸の突起を捉え、舌先が柔らかく包み込む。その熱さに息を飲んだ隙に、素早くベルトを外されスラックスの前も解放された。下着の間に滑り込む手に性器を掴まれ、がたんと棚を鳴らす。片手を襟首に回して強く引いたが、やめてはくれなかった。それどころか巧みにしごかれて、腰骨が溶けるかと思うほどの悦楽に泣きそうになる。
「やめて欲しいなら、やめますけど。このままデスクに戻って、どうするんですか?」
 意地悪な訊き方に、高木は悔しそうに下唇に歯を立てた。こめかみを十倉に押し付けて、か細く震える。
「それとも、僕の前でやって見せてくれるんですか? ・・・それもいいですね」
「大湖・・・っ」
「そんな声で名前を呼ばれても、何をして欲しいかなんて分からないですよ?」
 エスパーじゃないんだから、と言う口調が笑っている。掴んでいた襟首を離し、その少し下をとんと緩く叩いた。くすっと笑う声が、再び意地悪を紡ぐ。
「僕なら、昼休みの時間内にどうにかしてあげられますけど・・・」
「大湖!」
 今度は強く叩かれて、十倉は微笑みを浮かべながら顔を上げた。
「その顔、好きですよ」
 手の平全体を濡らす先走りを竿中に擦り付けて、揉むようにしながらしごいた。ひくひくと手の中で震える熱源を愛しむように撫で擦り、首筋を強く吸い上げる。
「っは、ぁ・・・」
「出すときは先に言ってくださいね。スーツを汚さないようにしないと」
 空気を求めてはくはくと動く口が、縋るように十倉の首を挟んだ。そして無意識に歯を立て、くっと力を込めた。


 高木が十倉の指先に翻弄されている間、販促部はある話題で賑わっていた。さっき出て行った、ここの名物コンビのことについてだ。
「全く、十倉は高木さんのことが大好きだよなぁ」
「ほんとほんと。心配しなくても、高木さんは私たちとご飯一緒にしないのにね」
 からかうような口調なのは、十倉の執着を子供が親に甘えるのと同義だと取っているからだ。一番生意気盛りの子供が、他の子たちに親を取られないよう気張っているような。女性社員の間では、そういうところが可愛いのだと持ちきりだった。
「それに、色恋には本当に興味ないみたいだし。実和ちゃんのことも、気付いててやんわりと断ってるんでしょう?」
 その言葉に、横にいた可愛らしい女性が頷いた。多分ね、と苦笑いで応える。
 高木はもう一つ、勘違いをしていた。十倉にいつも話しかける女性は、実は高木を好いているのだ。入社してずっとモーションをかけているのに全く相手にされないから、最近現れた後輩くんを通して話しかけようとしているのに。今日だって本当はもっと色々訊きたかったのに、十倉に連れて行かれてしまった。
 でもそれでもいいかなんて、最近は思っているようだ。十倉と話しているときは近くに寄ってきてくれるし、そのときの顔はたとえ横顔だけでも魅力的だ。相手にされないと分かっていても、それを見ていられるなら構わなかった。
「十倉くんって、高木さん相手にしか気を許してなさそうな部分があるよね。まあ、あんなにいい先輩だったら、私も独占したくなるけど」
 私も私も、と黄色い声を上げる女性社員の脇で、男たちもこっそり頷いていた。クールに見えて人当たりもよく、仕事の手際もいい高木は全員の憧れの的なのだ。敬いの気持ちが強すぎる所為で、誰も自ら声をかけるなどおこがましいとさえ思っている。高木本人だけが、それに全く気付かない。
 高木の臆病な性格は、青年時代の辛い思い出が原因だ。誰にも言えない恋を心に抱き続け、誰にも悟られまいと他人との間に硬い壁を築いてしまった。おかげでバレることはとうとうなかったが、友人と呼べる人間は少なかった。他人を寄せ付けない空気が女子をも遠ざけ、されたかもしれない告白を先に潰してしまっていた。
「ていうか見たことある? 高木さんが十倉くんに見せる笑顔。すっごい優しい顔で、まるで子供を見守る親みたいなの」
「あの二人って、揃ってると凄い仲のいい親子みたいだよなー」
「なんていうか、」
「微笑ましい」
 その場にいる何人かの声が被さる。くすくすと忍び笑いが広がり、最終的には大きな笑いとなってフロア中に散った。


「恭臣。恭臣、大丈夫ですか?」
 ぺちぺちと頬を叩かれて、高木はうっすらと目を開いた。射精時の快感が強すぎたのか、少しばかり意識を飛ばしてしまっていたようだ。きちんと整えられた自分の衣服を見て、唇をもじもじと動かす。
「もう戻らないと。今夜は泊まってもいいんですよね?」
「うん・・・って、駄目だ。昨日も泊まったばっかりじゃ・・・」
「あと数ヶ月もすれば一緒に住むんですよ。いい加減慣れてくれないと、僕が困ります」
 唇を尖らせての言い分に、高木はぱっと顔を赤くした。未だに十倉の隣りで朝を迎えることに戸惑う気持ちを悟られていると分かり、恥ずかしくなったのだ。
「だって、でも・・・」
「明るい部屋でのエッチも慣れてください。一緒にお風呂に入るのも、ソファで並んでDVDを見るのも」
 十倉の手が高木の手を掬うように取る。ちゅっと中指の甲にキスをして、引き寄せて両腕で包んだ。床に座ったまま、その体重を受け止めるように体勢を後ろに反らす。
「こうやって抱き締められるのも、キスされるのも」
 唇を合わせて、すぐに離して視線を絡ませる。髪に指を通しながら、額をこつんとぶつけた。
「でも、言いたいことを我慢して隠すことだけは、慣れないでください。僕のために胸を痛めるなら、それは甘いものでないと許さない」
 絶対に、と強く言いながら、今度は唇を重ねるだけでなく少し歯も立てた。軽い痛みに眉を寄せる顔を薄目で睨み付け、逃げを封じる。
 ここには十倉しかいないが、泣くわけにはいかない。就業時間中に泣くなんて、そんなことできない。
 合わせる唇で堪えていることがバレたのか、きつかった視線が一瞬緩んだ。瞼を閉じて、ゆっくりと後頭部を撫でられる。
 キスが甘い。頭皮を撫でる指先から甘いものが滲みこんでくる。ああ、好かれている。そういう安心感が、触れているところから次々と溢れては全身を満たしていった。
 体を乗り出して、床についている十倉の手に自分のを重ねる。その手がすいと抜かれ、五指を絡めるようにして繋がれた。
「大湖、午後の仕事・・・」
「あと少しくらい、平気ですよ。それより、僕といるときは他のこと考えちゃ嫌ですからね・・・」
 少し拗ねた言い方に、思わず笑いそうになる。頬の動きだけでその衝動を抑えて、高木は自らも強く唇を寄せた。


 結局、高木はもらった指輪をその左手にはめることとなった。
 というのも、オフィスに帰るなり、十倉がデスクに座る高木の背後に立ち、その首元を見て言ったのだ。
「あれ? これってキスマークですか?」
 自分で付けておいて、いけしゃあしゃあとそんなことを言う十倉の顔は、子供らしい疑問に満ちたもので。それがなんでできるものなのか全く知りませんとばかりに大きな声で言ったものだから、その話はたちまちオフィス中に広まり。
 結果として、高木には「本人からは見えない、しかし誰かには気付かれる場所にキスマークを付ける独占欲の強い恋人」がいるということになってしまったのだ。
 そこまで広まってしまえば、もう隠しているほうがバカらしい。そういうわけで、翌日からは首にかかっていた指輪が左手薬指を飾るようになった。おかげで高木に目立ったモーションをかけようという人物が前にも増して減り、十倉は大満足だ。
 そしてもう一つ、十倉には高木に指輪を公然と付けてもらいたい理由があった。
 左手指にあるということは、パソコンのキーボードを打っている間でも、手を洗ったときにでも、とにかく逐一高木本人の目に入る。そうしてそれを見るたびに、思い出せばいい。自分が、誰のものなのか。
 カタタン、と机の端をリズミカルに指で叩き、十倉は少し離れたデスクの高木を見た。真剣に仕事をしているのか、その表情は凛々しく、傍を通る女性社員の目を惹いていた。
 その折、高木の動きが一瞬だけ止まり、ふっと頬が緩んだ。幸せそうな、それでいてどこか困ったような。
 暫く見てから視線をデスクに戻し、正面にいる社員がこちらを見ていることに気が付いた。目をぱちくりさせて首を傾げると、そいつはにやりと笑う。
「お前、何高木さんのこと見てんだよ。そんなに好きか?」
 からかい口調なのは、分かりきっているからだ。新卒一年目、出来すぎた新米の十倉大湖は、高木恭臣に心底懐いている。それはもう、オフィス内では周知の事実だ。
 だからこそ、十倉はてらいもなく答える。満面の、笑みを添えて。
「勿論、大好きですよ」
 それはもう、心から。








終。
09.01.24

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キリ番ゲットkaoru様へ送るリクエスト小説です。
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