第一話  『花嫁の帰還』


 中学を卒業して以来およそ十年。ずっと連絡を入れていなかった実家から、突然手紙が届いた。
 興信所でも使ったのか、教えていないはずの現住所の書かれたそれは、かろうじて父の字であると分かるくらいの汚さで書かれていて、しかも急いでいたのか文法もめちゃくちゃだ。
「ん・・・せの、さん?」
「ああ、起こしたか」
 横で眠る青年が、小さく身じろぐ。俺が眺めていた封筒を手に取り、送り主の名前が親類であると確認して薄く笑う。
「ここ、せのーさんの実家? しんや、むら?」
「違う、まよる。真夜村。T県の端にある、ド田舎さ」
 教えてやりながら、忘れかけていた村の香りを思い出す。山林に囲まれた小さな村で、人口は二千いるかいないかというほど。今は、もっと減っているかもしれない。
 田んぼと畑以外には、野菜と少しの日用品しかないスーパーと、二週間遅れの雑誌が入ればまだましという本屋が一軒。小学校は俺が卒業して次の年に廃校になり、中学は隣りの町まで自転車で通っていた。
 子供の頃から出ていきたくて、製菓の高校に行くのを口実に家出同然で飛び出した。
 寮に入るからと嘘を吐いた俺は、その後実家には一切連絡を入れず色々な家を泊まり歩いた。一人暮らしをしている従兄弟の家を仮の実家ということにして、学校からの連絡は全てそこに行くようにした。上手くやれば、案外バレないものである。
 一応本気でパティシエを目指していたのだが、修行も終わらないままヒモ生活に身を宿してしまった。いい年してニートだが、抱いてやれば喜んで金を出す人間は何人もいた。横で寝るこの青年も、その一人だ。
「おウチ、なんだって? チチキトク、とか?」
 物騒なことをきゃらきゃらと言うこいつは、親の金で生きている馬鹿だ。男に興味はないが、抱いてくれるなら養ってくれるというので、懇切丁寧に抱いてやっている。ヒモというのも、案外大変なんだ。
「なんか、よく分かんないんだよな。お家の一大事だとか、この村の存続がどうとか」
 お前はウチの誇りだともあったが、家出息子に何を言うのか。青年の手から取って破ろうとしたら、慌てて奪い返された。
「だ、だめだよ無視しちゃ! 古い村なんだから、なんかお宝が見つかったのかもしれないじゃん!」
 好奇心だらけの顔が、きらきらと光る。金持ちのくせに、この強欲さはなんだ。流石、俺に薬を飲ませて勝手に咥えこんだだけのことはある。
 ふうと溜め息を吐いて、返された手紙を揺らす。
「ま、ずっと帰ってないしな。死ぬ前に顔くらい見せてやるか」
 別に親が嫌いだったわけではないし。しかしあの人らも随分呑気だよな。この十年、一度もおかしいとは思わなかったのか。
「じゃあ一度帰るわ。飛行機代、頼めるか?」
「勿論!」
 抱きついてくる裸の尻を撫でてやりながら、溜め息を押し殺す。
 最近少し疲れている。ガス抜きにも、ちょうどいいかもしれない。
 このときの俺は、二度とこの尻に触れる必要はなくなるなんて、ちらりとも思っていなかった。


 村の外れに一つしかないバス停に着き、サングラスをずらしながらその余りの変化のなさに驚いた。
 相変わらず電柱は木製だし、見渡す限りの山、山、山。畑、畑、畑! 畦道には、牛を引く老人までいた。
 全く、これを見たくないから出てきたというのに。
 バスが去るのを見送ってから、旅行鞄を肩にかける。といっても貴重品以外には何も入っていないそれは薄く、俺は滞在する気が全くないことをありありとそこで示していた。
 そのとき、ちくり、と首筋に何かを感じて振り向いた。その先には、見覚えのない男が立っていた。年は高校生くらいか、今時の服装をしてはいるが妙な違和感がある。目が、紫だ。
 そいつはその紫の目を丸くすると、俺に向かってのろりと足を動かした。尋常ではない感じに、身構える。
「お前」
「やっと・・・やっと、帰ってきんだ・・・」
「は? お前、一体だ・・・」
「いたぞー! 瀬能んとこのせがれじゃー!」
 話しかけようとした言葉は、突然の闖入者の声で掻き消された。は、と思って見た先から大量のジジババが走ってきて、余りのことに体が固まる。
「は? 何? まさか、え? はあぁ?!」
 一人一人は俺より弱いだろうが、こんな大勢で来られたら何ができるわけでもない。俺は簡単に包囲され、そして担ぎ上げられると御輿のように運ばれる羽目となった。
 暴れても意味はなく、サングラスが飛んだ。
「お、おい! こりゃ、なんの真似だよ!」
「よぉく決心してくれたな。両親も孝行息子じゃと喜んどるぞ」
「だから、なんだってんだ・・・!」
 サングラスを探す目が、紫の光を捉えた。それがさっきのガキの目だと理解し、同時にそいつも俺と同じくらい狼狽していることに気付いた。ジジババを掻き分け、俺に向かって手を伸ばしている。
「ちょ、待って・・・リュー!」
「・・・あ?」
 お前、なんで俺の名前。
 思ったが、みるみる内にその姿は離れていった。声だけが、いつまでも俺に向かって飛んでくる。
「・・・なんだってんだ、一体」
 ぽかんとしている間にも俺の体はジジババに祭られるように運ばれていき、やがて見覚えのある場所に着いた。何を隠そう、俺の実家だ。
 ああ、ボロい。何も変わってなんかいない。しかし、明らかにおかしい点がある。
 家の周りを、ジジババが拝むように取り囲んでいたのだ。
「おお、琉太じゃ!」
「本当だ、あれは琉太じゃろうて!」
 十年経ってるのになんで分かるんだ。お前ら、絶対適当言ってるだろ!
 バンザイ、バンザイと気持ち悪いくらい俺の帰りを喜ぶ連中を掻き分け、なんとかついた玄関先。ガラリと開けると、これまた十年前と余り変わっていない両親が俺を迎えた。
「おかえり、琉太」
「みんなお待ちかねだったんだぞ」
「い、いや、親父にお袋。なんかおかしくないか? 普通、音沙汰なかったことを怒るんじゃ・・・」
「何、こうして戻ってきたのなら関係ないさ。ほれ、荷物を貸せ」
 なんだこれは。元々温和な性格だったが、気味が悪過ぎる。びくびくしながら二人について長い廊下を行くと、居間に入るなり魔棚に拝み出した。
「親父? お袋?」
「イーリ様、愚息が漸く帰って参りました」
 魔棚に、イーリ様。
 その棚は、一見すればただの神棚だ。しかし、真夜村ではこれを魔棚と呼ぶ。神ではなく、悪魔を奉る棚。
 真夜村を護るのは山の奥に住む悪魔様である、というのはこの村に住むものなら誰でも知っている寓話だ。その悪魔様の名前がイーリ様で、いつからかは知らないがこの村を気に入り保護してくれているのだという。
 これは余りにも村内では当たり前のことだったので、テレビで神棚の意味を知るまで信じきっていた。今思えば、本当に変な話である。悪魔なのに、守り神とは。
「なあお袋。そんな棚に話しかけたところで、本当に悪魔なんているのか?」
 無視されたところで気にはならない。どうせ俺もすぐ帰るんだし、と膳の上にあった菓子を摘んだとき、うふふ、とキモい笑いを浮かべながらお袋が振り返った。
「いるわよぉ。ほら、外見て」
「外だあ? ・・・っおわぁ?!」
 言われるまま視線を動かした先にある光景に、俺は思わずあとずさった。人サイズの猿が、低い声で泣きながら網戸を掻いている。
 いや、そもそもあれは猿なのか? なんか妙に黒いし、逆光でよく見えないがあれはどう見ても翼・・・って待て、何網戸開けようとしてんだよ! わ、入っ、ぎゃ!触・・・!
「ぎゃあああぁぁぁぁ! 親父! お袋! 助けっ」
 空空空、空飛んでる! ってお前らなんで誰も驚いてないんだよ! クソ、拝んでないで助けろジジババども! って親父とお袋なんか和やかに手振ってお見送りかいっ!
「琉太ー。もう会えないと思うが、達者でなー」
「旦那様に粗相のないようにねー」
「だから、なんの話なんだよおおぉぉぉぉぉぉぉ・・・」
 はは、自分の声でもドップラー現象は起こるんだな。初めて知ったぜ。
 口端を奇妙に上げ、強がるように笑ったのを最後に、俺は近付く山を見ながら意識をなくした。


 目覚めると、そこは異世界だった。なんてのはよくあるファンタジーだけど、俺の目の前には美女がいた。
 髪はふわふわカールで透き通るような銀色、それと同じ色をした瞳は憂いをたたえながらもなお輝いて、その控えめな笑顔を浮かべる唇と豊満な胸は、まるでむしゃぶりつきたくなるような魅力で。
「あら、駄目ですよ。ここはもう、和彦様に売約済みですから」
 伸ばした手が空を掻き、それとほぼ同時に床へ落とされた。猿みたいな鳴き声と、デカい羽音。まさかと振り仰いだ真上には、あの化物がいて。恐怖と混乱による苦笑いを浮かべながら、俺は思考を停止させた。
「ありがとうね、グゥ。これはお礼よ」
 俺の上で美女は猿にリンゴのようなものを渡し、そいつは受け取ると嬉しそうに鳴いて一瞬で消えた。あとには黒いもやが残っただけで、俺は目を擦る。
「あの、今のは?」
「使い魔のグゥよ。貴方のお母様から連絡をもらって、迎えに飛ばしたの」
 へえ、そうですか。連絡ってのはもしかして魔棚から? あ、ご名答。いえいえ、褒められるようなことではありませんから。
「って、なんだよここは! 突然猿に拉致られて、迎えだって? んなの、納得できるわけ・・・っ」
 立ち上がって見渡してみて、俺はまたおかしいことに気付いた。応接間だろうか、昔テレビで見た外国の城の内装に似ているのは気のせいだろうか。いくら山の中とはいえ、真夜村にこんなところがあったなんて。いや、あるわけがない。これでも一応、十五年はあそこに住んでいたのだから。こんなところ、俺は知らない。
「・・・あんた、誰だ。なんで俺は、ここに連れてこられた?」
 あら、と美女は優雅な動作で仕草で口元に手をやり、そのまま困ったように首を傾げた。
「お母様たちから聞いてませんか? 貴方は、ウチの息子の・・・」
「リュー!」
 バタン! と重厚な音がして、ここの入り口らしい扉が開かれた。その向こうからずかずかと入ってくる影は、あ、さっき見た変なガキじゃないか。
 ガキはそのまま真っ直ぐに俺の前まで歩き、そして少し下から睨み上げた。
 バス停でも思ったが、こいつの目は奇麗な紫だ。それでも外国人という感じではなく、だが日本人のようにも思えない。
 そんなことを思いながらアメジストの瞳を覗き込んでいたら、突然襟首を掴まれた。引き寄せられ、何事かを思う前に唇をぶつけられる。勿論、その唇に。
「ん? んんん?」
 合わせるだけの、拙いガキのキス。それでも必死なのか、目を閉じたガキは眉を寄せて四苦八苦している。
 俺は放心したままそれに付き合い、やがて突き放されるようなキスの終わりにもただ呆然と従った。
 状況が飲み込めない俺と、生意気そうなガキ。そしてその間で穏やかに笑む美女は、嬉しそうに両の手を合わせていて。
「待ってた、リュー。俺の、花嫁」
「はい?」
 俺の、なんだって?
「んもう、駄目でしょラズちゃん。婚姻の儀式の前にキスなんて」
「でも父さん、最近の人間はキスもセックスも婚前に済ませるのが普通なんだぜ?」
「それはそうだけどぉ」
 あ、イーリ様その顔可愛い。じゃなくて。
 今、何かおかしいこと言ってなかったか? 誰と誰が結婚するってのは確認したくないとして、人間はってのはなんだ? ていうか父さん? 母さんの間違いだろ。いや、それも変だ。少し年の離れた姉弟とかじゃないのか。
 わやくちゃになりそうな俺の耳に、また一つ足音が近付いてきた。もうこれ以上の問題は持ち込まないで欲しい。そう思って振り向いた先には、なんとなく覚えのある顔が。
「榊・・・先生?」
 そんな馬鹿な。同一人物だとしても、十年前と殆ど変わってないなんて。元々しわくちゃだった親父たちならともかく、あんた俺のこと教えてたとき28とかだったじゃねえか。
「久し振り、瀬能くん。大きくなったね」
 あ、駄目だ。脳が思考を完全に放棄しようとしている。
 システムエラーです。再起動の必要があります。
 昔もらった古いパソコンの画面によく表示された文字がぐるぐると頭を巡り、俺は本日二度目の気絶を経験することになった。


 ・・・ここは、どこだ。古い木のベンチで、目を覚ました。
 ここはバス停だ。ということは、俺、帰れるのか。自由なようで金に縛られている、あの生活へ。
 ん? なんか、聞こえてくるな。これは、そうだ、ガキの声だ。ガキが、泣いているんだ。
 ・・・うるせえな。おい、ガキ。泣くな。
「俺は、ガキなんか・・・大嫌いなんだ」
「瀬能くん?」
 眩しい光がぱっと広がり、それが消えるのを待って目を開けると視界に榊先生が大写しになった。やっぱり十年前と全然変わっていない。
「ああ、まだ夢の中なのかっていだだだだ! 何すんだよ!」
「ほっぺたつねってみた」
 寝かされていたベッドに再び横になろうとした俺の頬を千切れるかと思うくらい引っ張ったくせに、先生はあっけらかんとした顔でそう答えた。
 人当たりの良さそうな顔をして、呼吸するように酷いことをするところも変わってない。信じたくないが、これはやっぱり榊先生本人らしい。
「先生って、すげー童顔だったんですか? っていうかここは? 城とか、あと、花嫁って・・・」
「まあ待ってよ。今からゆっくり説明してあげるからさ」
 そう言って、先生はベッドサイドにある小さな机で紅茶を淹れ始めた。その間に、俺は部屋を見回す。えらく広い、ベッドのほかにはクローゼットや簡単なテーブルセットしか置いていない部屋。しかしその一つ一つの造りは奇麗なもので、目を凝らせばその装飾がかなり細かいことも知れた。
 それはそうと、もう夜じゃないか。高い天井の、その半分以上までの高さがある窓にはもうカーテンがかけられ、その隙間からは夜の気配が窺える。家のことを訊いたらすぐ帰る予定だったのに、これでは一泊は決定か。
 重い溜め息を吐く俺の前にティーカップを出し、先生はソファに座り直して俺を見た。そして同じように部屋をぐるりと見渡し、また俺に視線を戻す。
「ようこそ、アスモデウス城へ。そしてここは、君のために用意された部屋だ」
「へ?」
 俺の部屋? この馬鹿デカいのが?
 無言で問うと、先生はにっこりして頷いた。
「瀬能くんは僕たちの子供に選ばれた花嫁だからね。その部屋を用意するのは当たり前だろう?」
「ちょちょ、ちょっと待ってくださいよ。俺が、花嫁だって?」
 なんだそれはそんなの聞いてない。つか、それ以前に俺男なんですけど。
「真夜村が、魔寄るからきているのは知っているね?」
「はあ」
 幼稚園小学校中学校と宗教のように教え込まれたから。魔棚だって、下手したらこの村特有のものだと知らないままでいたかもしれないぐらいだし。
「この守り神・・・守り魔は、戦国時代にきたイーリ様なんだ」
「はあ。・・・はあ?」
 戦国ってーと、織田の軍勢があぁ、鉄砲がぁ、砲弾がぁってあれか?
「ちなみに僕も戦国の生まれだから」
「はあ。・・・笑うとこですか?」
 質問に、先生は笑うだけで何も言わず、代わりにべろりとその服をたくし上げた。うわっとビビる俺の目に、もっと驚くものが飛び込んできた。
 胸の下、腹を斜めに割くような古い傷が、盛り上がった肉となってそこに走っていた。
「これって・・・」
 刀傷、なのか? にわかに信じがたいが、今の時代を生きていてこんな傷をこさえるなんて、極道でもなければ難しいだろう。先生は勤務地の中学とこの村を含めた一帯を出たことがないと言っていたし、それにこの村は嘘みたいに平和だ。たとえ仇相手でも、刃物を出したりはしないだろう。
「他に物証とかがないからこれで信じてもらうしかないんだけど・・・とにかく、その時期にこの辺りでは大きな戦があったんだ」
 そこに、ハルファスという悪魔が訪れた。
 たくさんの血と、武器のぶつかる音。人々の悲鳴や苦痛の声、そして怒号。
 血と硝煙といった戦いのさなかに出るものが大好きなハルファスは、誘われるように地上へ出てきたのだという。
 そこへ一緒に出てきていたのが、イーリ様の親戚であるアスモデウスという悪魔。それは戦を好みはしなかったが、地上見物にと物見遊山的な気分できていた。可愛がられていたイーリ様は、半ば無理やり地上に来たのだという。
「イーリさんは血も大きな音も嫌いでね。逃げるように飛び込んだ山奥で、瀕死の僕を見つけたんだ」
 そして様々な知識や力を尽くして先生を助けたイーリ様は、そのままそこへ住み着いてしまったらしい。それは先生と恋に落ちたことも原因の一つであったが、それよりも戦争で誰かが死ぬのはもう見たくなかったのだとか。
 一族には破門の扱いを受けたが、何分溺愛されていたのでこの城と、そしてこの地を司る権利を得たのだという。結果、悪魔に魅入られることのなくなった村には平和が訪れた。
「魔棚でイーリさんとは会話ができるし、時々謁見の祭りもあったのに・・・知らなかった?」
 恥ずかしながら、全く。てか、今の今まで知らなかったのは俺だけなのか? 親父もお袋も、教えてくれなかったぞ。
 両親ののんびりっぷりに怒る俺を見て、先生はまた微笑んだ。
「とにかく歓迎するよ。まさか元教え子が息子になるなんて・・・あ、この場合は娘になるのかな? どう思う?」
「どう思うも何も、俺にはさっぱり・・・」
「リュー!」
 バアン! と覚えのある展開に、俺はげんなりとしながら音のしたほうを見た。また扉を思いっきり開けたガキと目が合い、肩を落とす。
「話は終わったのか? じゃあもうヤってもいいよな? なんたって、リューは俺の・・・」
「待てよクソガキ。俺は何も納得なんか・・・」
 ヒイン、と耳の奥が鳴ったかと思うと、俺はその場に膝を付いて喉を押さえた。声が出ない。どころか、息もできない。
「・・・っ! っ、・・・・・・っ!」
「こら、ラズくん! お嫁さんに乱暴したら駄目だろ!」
「だって母さん、こいつ、俺のこと・・・っ」
「っは、かはっ! 母さん、だって・・・?」
 あ、息ができる。咳き込みながら訊くと、先生は合点したように手を叩いた。
「悪魔に娶られたら、男女関係なく嫁と呼ばれるんだよ。悪魔にしてみれば、人間は全て供物であり生の苗床だからね」
「俺を産んだのも母さんだぜ」
「産ん・・・っ?」
 男が、出産を?
 そりゃできなくはないと聞いたことくらいあるよ。なんでも男の大腸に人工的な袋を作って、そこに人工授精させた胎児を入れて、十月十日育てさせるって。
 でも男の体は出産に適した構造なんかしてないから、出産のときには胎児に引きずられて腸から内臓から全部出ちまうってぇ気味の悪い話だ。
 う、と口を押さえた俺を、先生が覗き込む。
「大丈夫、瀬能くん?」
「何青くなってんだよ。お前も俺の子を孕むんだからな」
「は?」
 なんなんだ。俺は一体、どういうところに帰ってきちまったんだ。
「俺の名はラズ=ディラウト。瀬能琉太、お前を嫁としてここに招いた者だ」
 キラ、と紫の目が妖しく光る。俺はもう何がなんだか分からなくて、ただ苦笑いすることしかできなかった。





続。