『その官能に僕は逆らえない』


 大晦日だということで年越しパーティだカウントダウンだと騒いでいるときに、ふと吉井と二年参りに行こうと約束していたことを思い出した。
 やっべー今回こそは俺が頼み込んだのだから流石に怒られる。そう思って慌てて電車に飛び乗ってやってきたのに、吉井はアパートにいなかった。あれ、もしやあいつもどこかで飲んでいるのかしらと首を傾げ、いやいやあいつは俺ぐらいしか友達がいないしな、と思い直す。大方コンビニにでも行って酒でも調達してきてくれるのだろうなんて考えながら、ベッドに座って暫く待った。
 吉井秀人は、男にしておくには勿体ないほどの容姿をしている。そのくせ本人には愛想というものがからきしないから、冷たい人間だと思われて周りから敬遠されてしまっている。実際は、そんなに冷たい奴ではないのだけれど。というか、寧ろ面白い。あれほどからかい甲斐のある奴はそうそういないんじゃないだろうか。
 初対面から名前を読み間違えるという失礼を放った俺に対し、あいつは初めとことん無視するという態度で通した。話しかけても無視、視界に入ろうと変な動きをしても見ないふり、これならどうだと学食で食べていたラーメンを横から全て奪い喰ったときも、吉井は眉一つ動かさなかった。
 そこまでされたら普通は諦めるんだろうけど、俺様、染谷礼二郎はそんなことはしない。それどころか生粋のハンター気質から、余計落とそうと燃え上がった気がする。絶対、友達になってやろうと。
 吉井のガードは固かった。まともに視界に入れてくれるまで、半年はかかったと思う。そこから更に会話が続くまで一ヶ月、家に入れてもらう頃には大学一年目が終わっていた。でもそこからは、俺と吉井の間の壁は殆どなくなっていたように思える。
 俺が友人だ親友だと周りに言いふらした所為もあるだろうが、名実ともに仲の良い友人になれたことを、俺は嬉しく思っている。なんていうか、あいつといるのは心が落ち着くのだ。趣味も性格も全然違うけれど、男の中で唯一沈黙する時間がきても恐くない相手。そんな感じ。
 それが最近、妙によそよそしい気がするのは何故なんだ。遊びに誘っても、三回に一回くらいしか応じなくなったし。二回に一回くらいは、遊んでくれていたのに。
 加えて、目を合わさなくなった。元々人の顔を見て喋るのが苦手だとは言っていたが、それにしても最近は酷い。なあと相槌を求めても反応が薄いし、そのくせ遠くからじっと見ていることもある。俺が気付いて手を振ると、途端に目を逸らしてしまうし。
 なんなんだ。まさか、俺といるのが嫌になったのか。それともあれか。俺の女癖が悪いことにとうとう嫌気が差したのか。ほぼ毎週のように家に泊めてもらうのが悪かったのかもしれない。寧ろ、友達だと思っていたのは俺のほうだけで、ってうわ、これが一番ありえる気がする。あいつ、静かに読書するの好きだし。俺うるさいもんな。
 そんなことを考えてみるが、どうもしっくりこない。なんとなくだけど、あいつが俺のことを嫌いってことはないと思うんだよな。
 会話を交わすようになって知ったことだが、あいつは他の人とはどこかしらズレている部分があった。明らかに嘘としか考えられないような俺の冗談を真に受けたりするし、冷静ぶっているくせに小さな物音でもたまにこっちが驚くほどビビっていた。
 だけど結構親切なところもあって、俺が風邪ひいたりすると文句言いながらも色々助けてくれるんだよな。たまにすっげーいい顔で笑うし。ああいうことって、嫌いな人にはしないと思うわけよ。
 あーあ、吉井の彼女になる奴は相当幸せだよな。あいつ、絶対恋人には尽くすほうだよ。
 電気も点けないでそんなことを考えているうちに、遠くで除夜の鐘が鳴り出した。なんだよ、本気であいつ帰ってこないじゃん。もう不貞寝だ不貞寝。
 そう思っていつものようにパンツ一枚になって毛布を被り、ものの三秒で眠りに就いた。俺の特技、の○太睡眠。ちなみに吉井には呆れられてしまうほど眠りは深い。
 そんなわけで吉井がいつ帰ってきたのかなんて知らないんだけど、あいつのことを考えながら寝ていた所為か、なんだか凄い夢を見た。吉井が俺のちんこを、美味そうにしゃぶってくれる夢だ。
 吉井の彼女について考えていた所為なのか、吉井が彼女になった夢でも見てしまったらしい。とにかく今までのどの女よりも丁寧に、そしていやらしくその口は俺を責めた。俺はというと、夢にありがちな、意識はあるんだけど上手く体が動かせない状況になっていて。動かせたのなら、俺はその頭を掴んで自分勝手に絶頂を目指したかもしれない。
 マジでされてるのかと思うくらい、リアルな感触の夢だった。吉井の舌が蠢くたびに快感が背筋を這い上がり、いけないと思いつつもその唇を汚してみたい欲求に駆られた。いつも清潔そうな顔で俺の女遊びを冷ややかに見る顔を、白いもので飾りたい。一瞬嫌悪に歪むだろう表情を想像して、一層ちんこが熱くなった。かと思うや、俺はえらくあっさりと放っていた。残念なことに、吉井の顔にそれをかけることはできなかったけれど。その代わりと言っていいのか分からんが、吉井は一滴も零さずに飲み干してくれた。それがやけに嬉しくて、俺は吉井に何かを言おうとした。しかしその言葉を言うために唇を頑張って動かそうとしているうちに、目が覚めてしまった。
 隣りに、全裸の吉井がいた。


「・・・はい?」
 二度見してしまった。それだけでは飽き足らず、もう一度見た。うん、やっぱり吉井だ。お前は寝顔も整っているよなー・・・
「って、はいぃ?」
 なんだこれは。新年早々なんのドッキリなんだ。
 ていうか外明るいな。初日の出終わってしもとるやないか。ってなんだこの似非関西弁は。状況が全く分からない所為で頭ん中がわやくちゃになって自分でも何考えているのか分からなくなっている! ああ、どうしよう!
 あ、待てよ。もしかしたらこれは、吉井なりの新年ドッキリなんじゃないだろうか。俺がうろたえるのを見て楽しんでやれ、でも眠くて寝ちまったよという。
 ふふふ、明智くん。君はいつも詰めが甘いよ。どうせ裸なのは見せかけで毛布の下はちゃんと何か履いているんだろう。ほうら、捲ってみればはい全裸!
 全裸ですよ! 俺も全裸、吉井も全裸。ちなみにさっきから認めないようにしてたんですけど、下半身が妙にすっきりしています。絶対、してしまいました。ようこそおホモだちの世界へってか。あはははは。
「って笑えるか!」
「ん・・・ぅ」
 吉井が身じろいだので、俺は慌てて口を閉じた。ここで起きられたら、何を言ったらいいのか分からない。出来る限り声を潜めて、とりあえず服を着ようとベッドから降りようとしたら。
 足裏に、ぬるついた感触。
 ああまさか神様どうか違いますように。恐る恐る見ると、信じたくないことに精液だった。
 ああもう決定的。俺、吉井のこと犯しちゃった。女好きだと思い込んでたけど、どうやら俺ってば男もイケるみたい。マジ、ないわぁ。
 今までにないくらい落ち込み、頭を抱えて吉井を見た。ごめん吉井。俺お前のこと友達だと思ってたけど、どうやら少し違っていたみたいだ。お前に対して、結構邪まな感情を持っていたみたい。まさか酔った勢いで襲ってしまうとは、さぞかし、お前は抵抗したんだろうな。
 疲れているような寝顔に手を触れると、吉井は眉を寄せた。俺もそうだが、こいつも眠ると滅多なことでは起きない。うっとうしそうに頭を振っただけで、結局目を開けることはなかった。
 目を閉じていると、余計にその容姿の美しさが目立つ。睫毛は奇麗に生え揃っているし、鼻筋もしゅっとしている。あるべきところに顔のパーツがある。そんな顔をしていた。
「お前なら・・・なくもないか」
 だってこいつ、その辺にいる女なんかよりは余程奇麗だ。初めに話しかけたのだって、奇麗な奴だと思ったから。話してみたいと、思ったんだ。
 ぱさりと前髪が落ちてきたので、それを直してやりながら肌を指先でなぞってみた。すげ、つるつる。無駄毛なんて一切ないし、体も真っ白。ラインを目を追っていることに気付き、慌てて反らした。なんつーか、勃ちそう。ていうか、勃った。
 やばいなーと思ったが、生理現象なので仕方がない。とりあず抜いておこうと立ち上がりかけたとき、吉井が小さく唸った。寒いのかと思って毛布をかけようとしたら、唇が動いて俺の名を呼んだ。染谷、と若干掠れた声が耳に甘く響いた。
「よし、い」
 「秀人」を「しゅうと」と読むと、こいつはいかにも嫌そうな顔をして俺を見る。それが楽しくて、俺は何度言われても直そうとしないのだけれど。
 昨夜、こいつはイクときに俺を呼んだのだろうか。その時、どんな顔で俺を見上げたのか。それとも、逸らしたのか。
 妄想が頭を駆け巡る。もう気の所為なんかでは済まされないほど、ちんこは熱く爆発しそうなほど硬くなっていた。ふらふらとそれに手を寄せ、吉井の寝顔を見ながら擦り上げた。
「・・・っ、く・・・」
 触っていいかな。いいよな、気持ちよさそうに寝てんだし。
 さっきと同じように前髪を分け、頬に触れる。そのまま指の甲を滑らせて、唇へと辿り着いた。軽く圧しただけで柔らかく沈むそこは、女の子のものと変わらない。暫くつついているだけで、やけに興奮して扱く動きが早くなった。すっげ、気持ちいい。
 あーかけたい。かけていいかな。それはだめか、やっぱり。あーでもかけてぇ。こいつの静謐な顔を、俺のザーメンで汚してみたい。
「く、ぁ・・・っあ、ぅ・・・っ!」
 想像だけでイケてしまった。ていうかあんな夢見た所為か、吉井のエロ顔が簡単に思い浮かべられた。
 手の平にべとりと放ったものを見て、重い溜め息を吐く。友人の体でマスかくとは、俺ってばやっぱり最低なのかもしらん。しかも今考えているいたずらも、センス最悪だし。
 ぬるぬると手の中で揉み、すこし溶けたところで吉井の顔近くに持っていった。とろりと握った隙間から垂れる白濁が、その頬に落ちる。つ、と顎を伝う様が、思っていた以上に官能的だった。寝顔なのにこんなにエロいなんて、こいつヤバいんじゃないか。そういや浮いた話一つ聞かないし、もしかしてマジモンのゲイってことも・・・
 そんな有り得ないことを考えながらティッシュを取り、手を拭った後で吉井も拭いてやった。思いのほかべっとりとついてしまったそれを取りさるのは結構苦労して、流石に吉井の瞼が動いた。そしてその目が開く前にティッシュを手の中に丸め込み、冷静を装って完全に覚醒するのを待った。
「・・・よ」
「・・・あ、ああ」
 吉井も動揺しているみたいだった。そうだよな、俺と違ってお前は覚えてんだもんな。
「ひとまず明けましておめでとう」
「あ、ああ」
 さっきと同じことを返しながら、吉井は俺の顔と裸、そして剥がされている毛布を見た。その態度がおかしくて、つい笑ってしまいそうになる。
「それと・・・ごめん、か? ・・・俺全っ然覚えてないんだけど、しゅうとになんか、した?」
 ていうかしてないほうがおかしいよなーあははと笑おうとしたら、吉井はなんだか今初めてここが日本であることを思い出したというような顔をして、いつも通りのちょっと冷めた目で俺を見た。そして必死に取り繕っているのがバレバレな、しかし本人からすれば完璧なポーカーフェイスで、語り出す。
「俺が帰ってきたら、お前突然起き上がってさ。ゆみちゃーんなんて言いながら、俺の上に乗ってきて・・・」
 言いながら、その顔がどんどん青くなっていくことに気が付いた。肌が白い分、それがよく目立つ。
「そんで俺が止めるのも無駄でさ、お前ってば・・・なんて、う」
 それ以上言わせたくないと思ったら、衝動的に抱きしめていた。腕の中で、吉井の体が緊張で強張るのが分かる。
「ほんと、ごめん。ごめんなんて言葉で許してもらえるとは思ってないけど、でもほんとごめん。ごめんな、しゅうと」
「いや、だからさ・・・」
「責任取るから。付き合おう、しゅうと」
「・・・は?」
 余りの冷めた返事に閉口したが、まあそれは予想の範囲内だ。続けようとしたら、吉井のほうから体を離された。
「何、言ってんの? 何をどう考えれば、俺とお前が付き合うことになるわけ?」
「だってお前、こうなったら俺と友達続けるのしんどいだろ? しんどくなくても、俺のためーとかって俺と距離置く気だろ。でもそれ、俺はすっごく嫌なわけ。お前とはずっと付き合っていたいと思うわけ。だから、付き合おう。オーケー?」
 問いに、吉井は曖昧な顔で首を横に振った。そんな顔するなよ。俺だって驚いてんだから。
「待てよ、だってお前女の子好きだろ? 友達でいたいってんならそうしてやるから、バカな真似は・・・」
「そうしたらしゅうとだけ辛い思いすんじゃねぇか。だって突っ込んだの俺だろ? お前は俺に処女奪われたってのに、それを忘れて友達付き合いなんてできるのか?」
 吉井は言い淀んだ。ほれみろ、無理なんだろうが。
「付き合おう、しゅう」
「俺はひでとだっての」
 言葉を遮りながら言われ、俺は口を閉じた。裸のまま吉井がベッドを降り、俺に背を向けて伸びをする。
「お前、ほんとバーカ。冗談に決まってんじゃん。びっくりさせようと思って、裸で寄り添ってただけ」
「あ?」
「ほんと単純なのな、お前。俺のこと騙され易いって言うの、もうやめたら?」
 そんなことを言いながら風呂場に向かう吉井の後ろ姿に、俺は手を伸ばした。よろよろと、追いつこうなんて意志は全くない腕を。
「え? つまり、どういうことですか?」
「俺とお前はなんともないって話。勘違いもいいとこだよ」
「でもここ、精液・・・」
「ただのバニラアイスだよ。昨日寝る前に喰ってて零したんだ」
「は? バニラアイスは嫌いだったんじゃ・・・」
「あーもーいいだろ? 何もなかったんだし。この話はもうおしまい、俺はシャワー浴びっから」
 早口にそう言い、吉井は浴室に消えた。そしてシャワーの流れる音がし始めて、俺はへなへなとベッドに崩れ落ちた。ああ、よかった。俺、吉井と友達のまんまでいられるんだ。初夢は所詮夢であって、なんでもなかったんだ。
 もう一度満身の溜め息を吐いて、俺はあお向けに寝転んだ。ほんと、よかった。俺が友人を襲うような最低な男じゃなくて。
 にしても、吉井はやっぱり面白い奴だな。俺をびっくりさせようと、裸にまでなるなんて。しかもリアリティを求めるため、バニラアイスまで。
「・・・・・・・・・」
 しっくりこないな。あいつ、こんなふざけたことをするような奴だったか。
 ふと思い立って、ベッドの横に落ちていた白濁を指で掬った。少し固まりかけの、吉井がバニラアイスだと言っていたもの。
 その液体から香るのがバニラのそれとはほど遠いものだと知るのと同時、俺は浴室の壁に取り付けられている給湯器のスイッチが入っていないことに気が付いた。あれでは、いくら流そうともお湯に変わることはない。
「っ、しゅうと!」
 どうやら、きちんと尋問する必要がありそうだ。なんで精液をバニラアイスと偽ったのか、なんで給湯器の電源をオフにしたままシャワーを浴びるなんて言ったのか。そして一番気になっている、この質問を。
 そもそもおかしかった。吉井はどんなときであろうと、冷静で寡黙だった。それが何故、「嘘だ」と説明する際だけ、やけに饒舌だったのか。
 そしてその声が、どうして震えていたのか。それを俺は、訊かなくてはならない。





終。

09.01.02up